-書きかけ途中記事です-
石塚観光さんのボランテイアパス、
7月27日号に参加して来ました。
#僕の前回は6月15日(ブログ記事)
予定通り午前3:30起床(TT)
当日の朝(深夜)は眠れずブログ更新なんてやっていたものですから・・・・・(出発前のブログ記事)
自業自得と言うべきか(汗
睡眠は1時間半くらいかな。
でも早く寝ろって言われても無理なものは無理・・・・・
当然ですが、
ねっむーーーーーーーーーい。
そんな起床ですから、
当たり前です!!!!!
ひじょーーーーーに辛かったです。
肝心の当日に動けるのかって話ですね(汗
僕は水戸市内の集合場所をチョイスせず、
(水戸インター近くの集合だと午前3時くらいで早い)
那珂市の最終乗車地(那珂市役所近く)にて乗車。
出発が午前4:30です、
今回も少しでも寝ていたくて(汗
乗りこみ時は「やや」雨がぽつぽつ。
↑ 乗り込んだ後にもう一度車外に出て慌てて写真撮影。
(「高感度」で撮影していますので肉眼ではもっと「暗い」ですね)
皆さん、
予定通り乗車された様子でぼぼ予定時間に出発!!!
まずは道中。
車内に明かりは無しでスタート、
出発した後は(明るくなる)朝まで各自「睡眠」タイム。
当然、
車内で「朝」の挨拶等(マイク)も無し、
まずは「お休み(休息)」からスタートです。
これには僕も助かりました!!!!
暗いままなので眠りに付きやすく、
意外と心地良いバスの揺れ。
車内の空調も冷え過ぎず快適(前回は凍えるくらい寒くて眠れなかった)
車内放送も無いので落ち着いて目を閉じられます。
静かなバス車内。
これから宮城県へ。
(車内では私語も無く皆さん暗黙の了解でした)
常磐自動車道・那珂インターより高速道路へ、
福島県「いわきJCT」を経て、
磐越自動車道へ。
宮城県までの高速道路を移動中、
途中2回のトイレ・タイムがありました。
その一度目、
ここは磐越自動車道「阿武隈高原SA(下り)」です。
距離にして那珂ICより128Kほど、
ここの地点で午前6:15頃でした。
(出発した後は・・・・・90分間くらいは仮眠が取れました (^^) )
すっかり明るくなっています、
僕は子供と記念に!!!
パス車内でお茶のサービス。
「頑張ろう茨城」
暑くなることを想定したいたので、
水分は多目に持参(クーラーバッグが非常に重くなりました)
お恥ずかしいことに・・・、
前々日の練習の疲労が(木曜日の練習)今頃になって・・・・・・、
体を蝕みます(TT)
体中が痛いです。
道中に後一回トイレタイムを経て、
渋滞に巻き込まれることなく現地に到着。
宮城県東松島市。
前回訪れて作業した『仙石線・東名駅』のすぐ近くです。 ↓
(前回の6/15ブログ記事)
ボランティアセンターからのリクエストでは、
芝桜の手入れ(古い芝桜の駆除・雑草刈り取り、他)が出ていたようです。
(前回6月にも携わったエリアです)
本来は、
芝桜の手入れからスタートする予定でしたが、、、、、、、、、
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
(↑写真は作業を終えた後に撮影しました)
作業開始と同時に激しい雨が!!!!!
開始早々2~3分ほどだったかな・・・・。
のっけから土砂降りです。
しかも半端ない雨、
豪雨と言うべき雨。
現地で呆然と立ち尽くし全身ズブ濡れ。
濡れる事なんて構わないんです、
この時期なので、
元々が全身「汗まみれ」になると思ってましたから。
ただね、
悲しい気持ちになっちゃうんですよ。
何にもしていないのに、
なんでこうなんだろう・・・・・・・・・って。
時間にして5分間くらいだったかな?
そのまま外でズブ濡れのままでしたが、
いよいよ雷も酷くなってきたので近くの民家へみんなで移動。
(大きいカーポートのスペースをお借りして雨宿りへ)
{{場所を提供して下さったお婆さんありがとうございます!!!}}
約20分程待機していると、
何と小降りになり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・運良く雨があがってくれました。
もうズブ濡れで空気も冷えて、
体も一気に冷えてしまった。
このままだと風邪ひくな・・・(--;
早く体動かして「温まりたかった」ので、
作業再開は別な意味でも嬉しかったなぁ。
我ながら、
よくもまあ全身ズブ濡れで再開しものです。
(作業を終えた後の着替えは持っていたけど「作業着」の替えはなかったんですよ)
芝桜(斜面がキツイ場所)から道路を隔ててエリアを少し変更 ↑
この辺りも津波が届いていて、
東松島市内での被害は死者1000人(他・行方不明45人)以上、
1000人以上って住民の3約%に値します。
家屋被害は11000棟以上(ほぼ半数が全壊)で、
流失・水没車は約11000台。
浸水は市内の65%相当で、
全国の被災地で「被害面積」が最大なのが東松島市です。
立て替えている住宅は新しくなり、
解体などもほぼ進んでいますが、
震災当時のアパートなどや家屋など無残な姿のままも残っています。
ほんの少し咲き始めていたグラジオラス、
まだまだこれからですね。
どんな花なのか知らなかったんだけど、
ネットで調べて初めて理解。
葉が「剣」のような形をしていましたね。
咲き誇るところ、
これからが花期に入るみたい。
とても綺麗なんだろうなぁ・・・・・・・、
自分の目で見てみたいです!!!!!
今、
被災地に花を植える・育てる、
そして人が戻ってくる・集まってくる。
僕も花を植えることの意味・・・・・・・、
本当の意味を良く理解していませんでした。
ただ綺麗とか、
明るくなるとか、
それもあると思うけれど、
それだけじゃないんですね。
勿論、
咲いていられることの期間や時期も限定される訳だけど、
その場所に、
その土地に、
活きていることの意義を体感させてくれるものだと思います。
そこで生きて行くことの意味、
住んでいたところへの想い、
そこに何があったのか、
そこでどんな生活があったのか、
住んでいた人にしかわからない「人生」が凝縮されています。
もうそこに住むことは出来なくなっても、
かつて住んでいた場所に足が向いてしまう。
そんな時に、
この花達を見てもらって、
少しでも心を休ませることが出来るのなら、
それは非常に嬉しいことだと思います。
それで結果的に、
人が沢山集まる易い場所と変わって沢山の人達も訪れる。
この場所を覚えてもらうこと、
そして、
この場所を忘れていないんだよ、
と伝えることが出来れたら良いな。
作業をしている間、
自動車を運転してるドライバーさんが会釈して下さったり、
通りすがりの方が話しかけて下さったり、
それだけで「ココまで来て良かった」と心が温かくなりました。
7月27日のボランティア参加者。
仙石線・東名駅のホームで。 ↑ 作業を終えて全員着替えを済ませてから(午後13:30~頃)
(#昼食時間は抜いて「通し」作業でした)
{{今回は通しで作業時間は4時間半となりました}}
今回は18名の参加、
県内のあちらこちらからの参加者に感激です(僕が思うのも変ですが)
水戸市近隣とか全然関係なくて、
むしろ水戸市外からの参加者が目立ちました。
今回は県外からの参加者がいたのか不明ですが、
(僕は「2班」でした、自己紹介時に聞いた(2班の皆さん)話では県内がメイン)
守谷市から出発して来た小型バスとも合流したので、
遠方からの参加者もいらっしゃいましたのかな。
(僕の後ろの座席の方は「竜ヶ崎市」とおっしゃってました)
全般的に子供・女性が多く、
参加者の構成によってボランティア内容も変動させていくようです。
(成人男性が少ないと力作業が厳しいです)
前回僕達が参加した時と、
顔馴染みの方が2名いらっしゃったり、
中学生の女の子達(友達通し)の単独参加もあったり(親は参加していません)
その頑張る姿から、
僕は力と勇気を分けてもらえました。
素晴らしい子供達です。
僕の子供以外で、
同じ小学生の子が1名(男の子)がいました。
一生懸命に、
非力ながらも雑草で満杯になった「土のう袋」を、
運んでくれたり、
その姿が愛らしくて・・・・・・・・・・癒されたりしました。
今回、
添乗員を務めて下さった、
石塚観光の綿引社長様もおっしゃってましたが、
ボランティア活動も変わってきている、と。
そして、
「特別なことをしているんじゃない」
名無しのボランティアで良いんだ、
名乗るものじゃないんだ、
と。
そんな話をされていて、
とても心に響きました。
そして、
僕も気持ちが軽くなったような気がします。
出来ることをやれば良いんだ。
人の役に立つこと、
ストレートにそれだけに目が向いていました。
綿引社長様がおっしゃる通り、
「もう来るな」と言われるまで行きます!!!
その言葉に救われた気がします。
出来ることで大きいことは何一つないけれど、
そんな僕でもまた行きたいです。
(作業中は本当にキツいですけどね)
出来ることが少な過ぎて、
自分の非力さを恨んでいる場合じゃない。
そんなことで凹んでいる場合じゃない、
そう思えたんです。
自分なりに、
今の自分が出来ること、
今の自分が思うことを、
静かに続けて行くことが一番大切なんだ。
そう確信しました。
焦るあまり先を見過ぎないこと、
与えられた「今」を自分に刻めるように努めたい。
女性陣はバス車内でカーテンを閉めて着替え。
男性陣は外で着替え。
女性陣の着替えが終わってバスに乗り込みます。
も~~~全身汗だく、
下着も汗だく(TT)
とりあえず服を着替えて・・・・・辛うじて気分をリセット。(したつもり)
外でスッポンポンになって着替えました!!
本日の作業を終え着替えも済んで、
最後に回した昼食タイム。
今回のボランティア弁当も、
石巻市の㈱大徳さんです。
前回は「ご飯が超多いなぁ・・・・(--;」と思ったけれど、
今回はそう感じませんでした(^^)
遅めのお昼と言うこともあって、
余裕でペロリでした(笑
子供も・・・・・・・・残さず余裕で完食でした(^^;
午後14時の昼食。
食べた場所は前回と同じ「奥松島縄文村資料館」の敷地内です。
蒸し暑くなった時間帯、
奥さんと子供はバス車内の冷房が効いているところで食べています。
僕は外で食べたかったので・・・・・・・、
寂しく。。。。。。いやいや、
のんびりと、かな?
他の皆さんはチリチリになって、
どこかで食べていたようですね。
(車内で食べている人は少なかった、と聞きました)
お弁当食べた後、
バス車内から家族を連れ出して写真撮影を。↑
同じくボランティア参加していらっしゃった女性が近くを通りかかって、
撮影して下さいました(^^)
ありがとうございます!!!
帰りに近隣の被災地を回りました。
東松島市立野蒜(のびる)小学校。 ↑
この体育館が持参直後に避難所となりましたが、、、、、、、、
その避難所に津波が押し寄せました。
体育館なら安全だと思い、
多くの住民が体育館にたどり着いたのもつかの間、
一瞬で呑み込まれてしまったようです。
(この体育館内から200人以上の御遺体が確認されました)
この体育館の中で、
命からがら助かった人達は、
隣人を救えなかったことを悔やんでいる。
自らの無事よりも生き残ったことに対して、
罪悪感を感じていらっしゃる。
それも、
もう一つの震災の現実だと思います。
深く深く心に傷を負ってしまう人、
「揺れ」に対して心的外傷後ストレス障害を引き起こしてしまう人、
大人も、
子供も、
沢山の人達が今でも苦しんでいるんです。
そう思うと、
僕も苦しくなります。
ひょっとしたら、
僕が被災地に通い続けたい強い気持ちの裏返しは、
僕自身が目の前で見た津波が起因しているのかも知れない。
多分、
僕自身の間凝りの人生、
目の前で津波が迫ってくる光景など、
そんなものを見る現実なんて金輪際ないと思います、
最初で最後の光景だったのかも知れない(と思いたい)
でも普通の人生なら、
その「最初」ですら経験し得ないものなのだから。
あの恐怖は、
今でも脳裏に焼き付いていて忘れられません。
僕が体感した恐怖なんて、
被災地の人達に比べれば・・・・・・・。
帰路。
磐越自動車道で豪雨。
視界がほぼ「0」・・・・・・・辛うじて前方の車のブレーキランプが頼り。
乗車していても恐ろしいほど、
視界「0」でした。
帰りも阿武隈高原(上り線)にてトイレタイム。
そしてプチお土産購入。
更新途中です。