盛りを少し過ぎた桜が 暖かな日差しの中で舞い始めた4月19日、リュウが旅立ちました。
アレルギーを持った孫が居たため 去年からお外生活になっていましたが
食べ物を受け付けなくなった10日、このままではいけない と家族に相談。
私達夫婦の部屋に リュウのベッドを用意しました。
そこから旅立つ19日までの10日間、信じられない程の生命力で生き抜いてくれました。
可愛くて可愛くて溺愛し過ぎた私達が もういいよ頑張ったねって思えるように
頑張って時間を作ってくれたんだと思います。
いつも私を支えてくれて 誰よりも私の気持ちを分かっていたリュウ。
私が悲しくて悲しくて泣いてる時や 他の人に気付かれないように心の中で怒ってる時も
傍に来て ぴったりと体を寄せて 温かい体温をくれました。
「 大丈夫 大丈夫 」 って言ってくれてるように・・・。
最後の最後まで 傍に居るよ って言ってたのに、最後はワタシがちょっと離れた
わずかな時間の隙に 逝ってしまいました。
最後の姿は見られたくなかったのかな?
私が取り乱すのを心配したのかな?
最後の10日間の介護生活は 今までの恩返しの時間。
時間がある限り 来て一緒に手伝ってくれた お姉たんとキテレツ次女。
いつも 「 リュウ 頑張れ 」 「 リュウ おはよう 」 「 おやすみ 」と
声を掛けてくれた孫ちゃんズ。
皆の声や足音を聞きながら ズッコ家 と言う 「 群れ 」 の生活に戻ったリュウ。
皆の気持ちが リュウの頑張る力になって 10日間も頑張れたんだと思います。
リュウが死んだと分かった時 泣いてくれた にゃーにゃんがお手紙を書いてくれました。
棺代わりの大きな箱にリュウを寝せて バスタオルで包み そのお手紙をリュウのお腹に乗せました。
大好きだった車に乗せて 蓋は閉めずにお外が見えるようにして 旦那さんと二人 火葬場へ向かいました。
最後のドライブ いつものように運転席と助手席の肘掛けに前足を乗せて
どこへ行くのかと 前方を見ているリュウがここに居るようで・・・。
泣きながら いつものように声を掛けて 最後のドライブをしました。
旦那さんと二人でお花を買って 小さな骨になったリュウを 桜吹雪の中で 埋葬しました。
リュウのベッドのスペースが無くなった部屋は ガランと広く感じて・・・
それより遥かに大きな穴が 体の中に出来てしまいました。
毎日ひどく寝不足で 右手は腱鞘炎になりました。
毎日 毎日いっぱい泣いて 視界もぼやけたままで 呼吸していないリュウのお腹が動いて見えました。
「 息してるよね? 」 「 ・・・・してないよ 」 「 してないの? 」
信じられなくて 何回も確認して・・。その度に悲しさが増しました。
もう介護はしなくていいのに やっぱり夜は眠れなくて 喪失感が大きいです。
それでも もう 前を向いて行かなきゃね。
空気を読んじゃうリュウたんが 心配して虹の橋を渡れなくなってしまうからね。
もうしばらくは家の中に居てくれると思っています。
今 こうしている今も きっと私の膝の上に顎を乗せて 上目使いで私を見ているはず。
三人の子供達と一緒に育った18年。
大事な大事な家族です。
心からの 「 ありがとう 」 と 「 大好き 」 を ずっと伝えて行きます。
我が家とリュウの思い出を 今度 載せようと思います。
我が家の備忘録ブログだからね。
子供達と そして孫達と一緒に過ごした18年間は宝物のような日々です。
小さかったけれど 大きな存在だったリュウ。
またいつか 会えると信じて生きて行きます。
リュウ ありがとうね。 大好きだよ。