なぜチェコに行く事になったのかというと、それは私の「何となくチェコに行きたい」とたかよさんの「チェコに行くのが夢だった」がクロスオーバーして実現しました。
元を正せば、私の「何となくチェコに行きたい」という思いは、母親の影響です。母が20年前ぐらいに旅行した時に、「チェコは素晴らしかった。カレル橋の夜景は最高!」と繰り返し言っていたのが耳に残っていて、それが一度は行ってみたいに繋がりました。
そしてチェコはユーリ先生が住んでいる街です。25年ぐらい前に岡崎市にある生物学研究所に留学していた先生。国際交流バーティで一緒に料理を作ったり、別荘に行ってバーベキューをした思い出があります。
チェコに行く事に決めた時から、出来ればお会いしたいという思いが叶い、20年の時を経て再会を果たす事が出来ました。
20年ぶりにプラハで再会!なんてドラマチック!
人生にはこういう事が起きるんですね。
今だったら、メールを送れば簡単に連絡が取れますが、20年前に連絡が途絶えていた人に連絡を取る方法としては、ユーリ先生から母親に送られてきた手紙の封筒に書かれたハンドライティングの住所しか手がかりがありません。それもチェコではなくて、チェコスロバキアの住所になっていました。なんと、チェコとスロバキアが分離する前の手紙なので、2003年よりも前の手紙。
これを手がかりに連絡を取ろうなどという不可能に近い事を、『やってみなきゃ分からない』精神でやってみた私!偉い!
ほぼ無理だろう…、と思っていたのですが、数日後、見た事のないアドレスからe-mail が届きました。なんとなんとユーリ先生、本人だったのです。
うっそーーーー、まじーーーー!?
無謀なかけに出た私も、本当にメールが届くとは思わなかったのでびっくり仰天。
メールには、「郵便受けに日本から手紙を郵便局まで取りにくるようにと書かれたメモが残されていて、一体何事だろう?もしかして悪い知らせなのでは?と思ってドキドキしながら郵便局まで取りに行ったら、あなたからの手紙で、悪い知らせじゃなくて安心しました」と書かれてありました。
そう言われて初めて気づきましたが、受け取り確認が出来る国際書留便みたいなもので送ったのですが、受け取った方としては、そんな特別な方法でしかも20年も音沙汰のなかった日本からいきなり手紙が届いたら、不審に思うのは当然の事。
ぶしつけな手紙を送って余計な心配をかけてしまい、ご迷惑をおかけしました。すみません。
そんなユーリ先生と、憧れのカレル橋でのツーショットです。