1月2日に101歳になった祖母が、1月7日の早朝に旅立ちました。
悲しいお別れ、とうとうこの日が来てしまったという思いと、101年間お疲れさまでしたという思いと両方ですが、祖母の顔を見ると、生き切ったという満足感が表情に現れているようでした。
3人の娘を育て、孫が6人、ひ孫が9人、2年前には玄孫が一人。
祖母の88歳のお祝いをするために全員集合した写真はこちら。
祖母との思い出はいろいろありますが、晩年祖母が私の顔を見る度に思い出して語っていた話は、私にとっても一番思い出深いものでした。
それは私が小学生になる前の話で、農業を営んでいるこの祖母と町に住む祖母の両方の家に交互にしばらく預けられた時の話。
農家の祖母の家では、朝から暗くなるまで畑で自由に遊ばせてもらい、自由の喜びを知ってしまった私は、町に住む祖母の家に行きたくないと、柱にしがみついて大泣きして抵抗したという話。
子供は素直で残酷…。
サバサバしていて大胆で男のような話し方で、細かいことには頓着しない人だったな。自分の親が死んだ時も「死んじゃったものは仕方がない」と言って、慌てることなく農作業を終えて、その上NHKの朝ドラの再放送を見てから会いに行ったらしい。祖母の性格を良く表している行動です。
数多くの武勇伝を残しての旅立ち。
向こうに行ってもきっと楽しく祖母らしく暮らしていると思います。合掌。
私の農家のおばあさんは、草取りや植え付け、何でも早いです。
太陽が昇り沈むまでが勝負だからです。
家ではマキでご飯を炊き、お風呂をくべます。
片付けもします。くよくよする暇はありません。
当然子供はほったらかしです。
時代が変わり私も大人になって、おばあさんが「おれ」とか「わし」という理由がわかりました。
私の祖母も、「おれ」とか「わし」とか言っていましたが、理由があるのですか?ぶっきらぼうで上品な言葉を使っているのを聞いたことがありません。男になる必要があったということ?
私はそれとは別に、言葉の奥に家内安全、家族を育て上げる、自然への畏怖と敬意、災害でも負けないで生きるぞという意気込みを感じてきました。
そこには男とか女は関係ないです。
「わし」「おれ」を頼もしく、かっこよく歯切れがいいです。こういう奥さんは夫を大事にします。その辺はかなり女性的です。