今日現在まで歴史的に観たら国家間の争いが継続的に続いてると感じるのです。
平和は存在しない。
或いは平和だと勘違いしてる、と。
日本人の意識がずれている点について考えてみた。
バルト海の海底ケーブルが切断されたと言う事件がある。
おそらく、ロシアの国から指示された一般の中国船が、錨(いかり)を下ろして、作為的に切断したのではないかと言う予測が濃厚だ。
中国がその調査をすると言ってるらしいが、そもそも海底の切断されたて砕かれた錨(いかり)は粉々で既に調べられるような状態ではない。
当然、そんな事は中国は既にわかっている。
だから、調査をしようと言う。
調べられないけれども、調べてみようと言う。
できないことをやってみようと言う。
結果できないと言う返答しかできない事はわかっていて、そういうことを言う。
それが、一個人の事故などの問題であり当事者の言葉であれば、こっそりほくそえんでいる顔が思い浮かぶようだ。
さらに、その中国は、台湾海峡につながっている海底ケーブルを作為的に切断した疑惑がある。
まぁ、きっとやっているだろうな。
結局、どこの国も同様のワルサの試合をしている。
したがって、国と国とは、相互に足の引っ張り合いをしている。
戦前も戦中も、戦後も同様のことが延々と繰り返されている。
戦車や戦闘機や銃などを持ち出して、お互いに殺し合いをしながら、領土奪い合うと言う行為に至っていないと言うだけである。
仮にそうなった場合に、より優位に立てるように準備をしている。
これは戦争のための前哨戦と言っても良い。
軍事的な戦いこそしてないだけで、もし仮に道具(武器)が変われば既に戦争に突入していると言える。
道具(武器)を、経済的なお金の奪い合いだとすれば、経済戦争になる。
人を煽動や洗脳における奪い合いに持っていくのであれば、人工衛星やスペースXなどを使ったある意味での情報戦争も既に始まっている。
政治的なプロパガンダの戦いは、常に巻き起こっている。
その中で個人が何を信じて、どういう暮らしをして、どういう未来を迎えようと努力するかは、そのような様々な仕掛けによって仕組まれていく。
非常にわかりにくいものもあるが、簡単に探し出して既に見えているものもたくさんある。
そこで、具体的な行動を起こすのが、世界的な常識なのだろうけれども。
特に、日本人とかは知ってても知らないふりをする。
多くのものを盗まれた後で気がつかなかったと言うふりをする。
そういう風土を背景に国民性なのだろう。
それが幸せなのかどうかは私にはわからない。
ただ、日本の諺に「見ざる言わざる聴かざる」というのがあるように、知らないふりをすると言うのは、ある意味、日本の文化の中にしっかりと組み込まれているような感じもする。
それを良いこととか悪いこととか言うことはできない。
一つ言える事は、ここ八十年程度の日本の国の歴史的に類を見ない平和な時代は、奇跡とも言えるべき時代だったような気がする。
本来、起こり得ない平和な文化を過ごしてきた。
これからはもともとのひどく見苦しい残酷で、愚かな時代に逆戻りするようになるんだろうなと言う予感がある。
しかし、それはなるべくしてなる歴史を取り戻すだけなのかもしれない。
想像したくないけれども。
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