外国人における文化のアラシが問題視されてますな。
外国人が日本の作法やマナーを無視した行為をすることです。
自分も他国に行った場合には多分そこの土地の風習や作法が分からず違法な行為をしないとは言えません。
その場合、気持ちが疲弊していては何もできなくなります。
大陸文化を持つ人々は他国と交流するための強い気持ちが元々持ち合わさってるのでしょう。
しかし、単一民族の日本人にはそういう心の強度があまり強くない。
特に人的なやりとりの中、気持ちで戦う行為が少ない。
だから「思いやり」などという文化が発明されてしまった。
「思いやり」では生きていけないけれど、国同士の交流には「駆け引き」というそもそもの手法がある。
ギブアンドテイク、メリットの交換をするわけだ。
自分に得がないことならば相手に対して何もしない。
そんなことをすると、文化が壊れる。
奪い取ることはあっても、与えるだけの行為は生きる上で否定的に取られる。
取られるという表現すら、受け身であり使えない。
損をする行為は拒絶しなければ生きていけない。
しかし、そこで考えるのは、国内環境の変化に戻る。
そもそも、外国という表現だけれど、嘗て戦国時代まで遡ると、日本の国土もたくさんの国に分かれていた。
今の外国と比較するなら、言葉の壁が無い、或いはほぼ無いことだろう。
日本の国内なら言葉が通じる。
しかし、今の外国との交流では言葉が通じない。
従って、そこをどう対処するかが大きな課題になる。
訳した言葉ではまだ伝えられない事が多いのだろう。
むしろ、言葉がなくても風習に従わなければならない対処法を考え出せないならば、外国人を受け入れる事は危険極まりない。
或いは、日本の風習を変えるか、言葉を英語に変えるか。
そうでもしないと、グローバル化は進める事は危険極まりない。
今のまま進むなら、混沌とした文化のアラシで、日本は文化的に崩壊する。
既に崩壊しかかってる。
危険な国に作り替えられてる。
戦争はなくても、崩壊の危機に陥り、荒れた国に変化している。
そこで弱い文化の人種は当然、自然淘汰される。
外来種に食われるしかない。
もっと基本的な物事を理解した上で運営できる政治家なりが強く推し進められないならば、消滅するだろう。
今や、国会議員が弱い文化に陥ってる。
マスメディアやプロパガンダに左右されて、政治は広告で運営され始めてる様に見える。
今や、国民がみんなんで国を守る機運は無い。
国民全員に気持ちは自己保身のために国が変化してくれ、と言っているみ等しい。
国がそんな弱い変化を示すなら、存在意義を持たない。
強い国の法律が介入して作り替えられる。
今まではアメリカの植民地的な日本国であったが、段々とそれも変化している。
やはり、行き着くところは「人」だろう。
多くの人が戦いながらつこって行かざるを得ない。
「してもらう」という意識が強い国民性は捨てなければ、消滅するだろう。
今の日本人は「社会保障」を求める。
そこには「してもらう」という気持ちが強い。
グローバルな意識には受け身は存在できない。
勝ち取るしかない。
誰も「してくれない」社会が世界の常識だろう。
奪い取る、という言葉で理解できなければ消えることを意味する。
今や、日本人同士でもお互いに奪い取るしか無くなっている。
だから、窃盗や強盗が増える。
奪い取る、しかない。
外国人を受け入れるためにはそこまで意識を広げてからでないと、危険極まりない。
最近、そう感じる。
感じるだけではダメだが、既に老化して疲弊した老人たちの国。
強い若者をどんどん作り出す努力をせず、自己保身に走り続けていたツケが今に至る。
もっと先を見越した有能な国のための労働者を作り出せなかった。
アメリカに負けたからだろうな、とすら思うのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます