賃貸住まいの高齢者

単身赴任生活が終わり、定年。でも生活できないから、、どうしよう。。

生活コストを抑えるには、集団生活が一番コストダウンできる

2024-12-13 05:45:14 | メンタル
独居老人という言葉がある。
一人で住んでいる老人の事だ。
老人ホームというものもあるし、老後施設は多くの老人たちを集団で介護する。
集団で介護するから、比較的コストは安くつく。
住宅におけるコストも安いし、食料もまとめて作ったり、まとめて処理できる。
まとめて処理するということを卑下した意識で捉える人がいるが、それはいかがなものか。
行動を感情で捉える日本国民の性質はあまりよろしいとは思わない。
日本語は感情を基礎として作られているから、ある程度は致し方ないけれども、それをうまくコントロールして使えるようになるのが日本語の技術力だろう。

集団生活の話である。

かつての日本社会は、大家族で生活をする文化が基準となっていた。
さらに村社会と言って、そういう大家族が一定の集団を作って村を作っていた。
仮に一つの家族に問題が起こったとしても、村でまとまって助け合うことができた。
蟻や蜂の社会と似た感じがする。
命をつなぎ合わせていくと言う「種の保存」と言う目的には非常にうまく出来上がった文化だと思う。

現代社会は、一人ひとりが孤立して生きる文化に変化してる。
特に日本のような「近代文化」がここ数十年で輸入された国は多くの場合そうなっている。
西洋文化は、昔から形作られた社会が「個人の孤立と集団形成」にうまく結びつく構造になっている。
つまりそれはかつてのアメリカの文化を見てもわかるように、両親は近くの家に二人だけで住むが、子供たち家族はそんなに離れてないところに個別の一つの家を築く。
さらにその家庭内で子供ができたら、一つの部屋は個人のものとして扱えるようにする。
だから独立心は養える。
独立はするのだけれども、そんなに遠くは離れない所に住んで、ある程度の集団社会には帰属するのではないか。
嘗てアメリカでも、そういう文化があったが、そこに変化が巻き起こったのが都市化であろうな。
特に高層ビルやマンション群であろう。
マンションに住むと隣近所の人の顔はわからない。
そういうケースが増えてきた。
一つのマンションに両親や兄弟も似たような部屋を借りて住んでいればもう少しマシだったのかもしれない。
しかし都市化によって交通網が変化した。
文化圏が広がった。
感覚的に空間が広がった。
移動距離が伸びた。
ある意味で生活の仕方に時間がかかる様になった。
今やグローバリゼーションと言って、世界中を飛び回る生き方がヨシとされている。
ところがそうなると、転勤やら出張やらでかつての村文化とかコミュニティーが壊滅した。
結局、生きることは助け合いではなくて戦い合いになっている。
それが今の時代の基礎になりつつある、いや、なってる気がする。

しかし、個人単位で生活をしたり暮らしたり文化を作るとなると非常に一つ一つにコストがかかる。
1人でマンションを借りる。
1人で食生活をする。
1人で多くのもの、家具を持つ。
すべて個人個人にそれらの命をつなぎとめる材料が必要になってくる。
共同生活においてならば、共有部分が大きく共同して使う材料や食材とかもあるのに。

コストコで売られている商品が安いと言う。
それは一つの商品を大量に販売するからだと思われる。
それを購入できるのは大人数で生活をする人たちは重宝するだろう。
10日かけないと食べられない様な食材を一人で買う事は非常に難しい。
そうなると、コストコの安い商品は手が出ない。
買ったとしても、半分位で残りは腐ってしまう場合もあろうな。
結局、小さな単位の商品を買わざるを得ない。
小さく区分けされると、それなりにコストがかかるから高くなる。
それと、同じ論法である。

現在 見直すべき事は、ある程度隣近所にコミュニティーを受け入れて、集団生活を受け入れるべきだろうと思う。
現在の個人主義的な生活の仕方や、意識のあり方は、変える方が生きるものとしては正しいように思う。
最近の人は肉体を使って生きると言う意識が低下してるような気がする。
自分というのは肉体のある生き物か?
実は現代人の感覚は「自分はただの情報で良い」と思っているような気がする。

そうなると、そこには心がない。
心がないから精神的な混乱を起こしうつ病になる。

本当に考えないといけないのは、その辺りではないかと感じる。

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