旅ゆけば

拙い旅の記録とひとりごと

生まれたばかりの頃②

2024-04-27 17:34:00 | 小旅行
4/20(土) 晴れ

大船発10:16 - 横浜着10:31。横浜駅西口に到着後はバスの時間まで少し間があったので、母に今からバスに乗る旨電話した。母から当時向かいに住んでいた人が今も住んでいるから電話してみようか、と言われたが、やめておいてと言った。優しく親切な方だったらしいが、残念ながら私は全然記憶になく、顔も分からない。先方だって困るよね、突然あの時赤ん坊だった者です、なんて人が訪ねてきたら。どういう話をしたらよいのかも分からないし。それにこの物騒な世の中、事前に母からの電話があったとしても怖がらせてしまうかも。
そんな訳で、それはいつか母と再訪した時にということで、少し残念に思ったが、今回は、一人こそっと訪れるだけにしておいた。
横浜西口バス停のりば14 より、92系統 急行 笹山団地中央ゆき 10:55のバスに乗る。
この時点でバスを待つ列は、高齢者層多し。 長年、横浜は通勤の経由地だが
、西口からこの方面のバスに乗るのは初めてだと思う。10分程の遅延でバスが到着する。 無事乗り込むとそこそこ乗客がある。92系統の時刻表は惨憺たるもので、平日、休日共に基本的に毎時1本で朝夕は2本になっている時間帯もあるが、交通の便はかなり悪いだろう。母によると以前は沢山通っていた、とのことなのだが、それって40年以上前の記憶の中の話よね。年々、減便された結果、集中乗車になっているのだろう。それにしても皆横浜でのお買い物の帰りなのか?この時間に帰路ってことは開店と同時に入店していた勢い??
横浜駅周辺の渋滞エリアを抜け、高台を目指す。眠気で魂が抜けかけた頃、バスは笹山団地へ入っていく。そして終点の笹山団地中央で下車する。ここまでで大体30分程だった。
下車した客は、皆この団地の住人だろう。 果たして私は、42年ぶりに再びこの地を踏んだ。
笹山団地と一口に言っても同じ場所に県営団地と県公社の分譲マンションが存在している。案内図によると県営団地は、60棟近くもあり、それらに取り囲まれた形で、分譲マンションもこれまた10棟程度あるのだろうか、とにかく俗に言う大規模団地である。私は分譲マンションに住んでいたので、そちらに向かう。
号番号もそのままにそれはあった。母の言う通りマンションの前には、公園(閉鎖されていたが)があった。 分譲マンションは、外観からは、ほとんど往年劣化は見られず、定期的に修繕されてきたのだろうことを伺わせた。
マンションの出入口付近まで来たが、当時のことは浮かんでこなかった。毎日のように遊んでいたであろう公園も入口の門は施錠され、遊具はどれもさび付いていた。この地区ののっぴきならない高齢化を物語っていた。実際団地内は、土曜日の昼時だというのに子供はおろかほとんど人の姿を見ない。
分譲マンションの敷地は、私有地につき住民以外立ち入り禁止の看板がかかっていたが、幸い周りには人がおらず、私は嘗ての住まい周辺を写真に収めた。当時の記憶がほとんど皆無なのと特に分譲マンションの方はネットで言われているような場末感もなく、昔も現在もそこに暮らしている方々の生活を感じる場所だった。隣接する古い集会所からは、老人のカラオケも聞こえてくる。
いわゆる郷愁、というか切ない感じはあまり湧かなかった。
しばらくそのマンション付近に佇んだ後、近隣の商店街へ行くことにした。
団地入口へ向かうメイン通りを下っていくと遠くにランドマークタワーが見えた。そんなところは、さすが横浜といったところ。夜はどんな雰囲気なのかな。

アーケード内で営業しているのは、小さな弁当屋、床屋、あとはパブだけといったような感じだった。ここは、まさにネット上でよく見る寂れ系エリアそのもので、その手の場所がお好きな方にはドンピシャといった感じだった。
本当に、団地住民の近所の買い物は、その商店街のそばにある相鉄ローゼン一択ということか、さすがに不便かな。
ちょうどお昼時だったため、アーケード内の店舗で、地域住民のためのランチ提供(有・無料は不明)みたいなことをやっていて、そこには人がいた。数人だが子供も見かけた。私は、そのアーケード内に蕎麦屋があるらしいことをネットで見て、最悪お昼はそこに入るのもありかなと思っていたが、入口付近に構えていたはずのその店は既に閉店していた。
辺りには、休めるような場所も飲食店もなく、ついでに言うとトイレも無いので、笹山団地中央13:01発のバスで横浜駅に帰ることにした。(商店街に向かう途中、相鉄ローゼンに入ってトイレを貸してもらおうとしたが、見えるところになかった。 特に買うものもなかったため退店。)
やや短い探訪だったが、目的は果たされた。帰りのバスも人口密度は高めだった。

それにしても幼児の脳ってほとんど記憶していないものだな。私は3歳位まではそこで暮らしていたのだが、実際現場に行ってみても意識上、特に何も思い出さなかった。ただ嘗て上り下りしていた階段付近や公園辺りには、何となく居心地の良さのようなものは感じたかもしれない。
当時かわいがってくれた近所の方々も様々に状況が変わり、高齢化し、既に亡くなった方もいる。長い時間の経過を感じる。

横浜駅西口に向かうバス道中では、横浜下町庶民の台所と言われている洪福寺商店街を遠くに見ながら(人だかりになっていて寄る気にはならなかった)小さな私だった頃を訪ねる小さな旅は、終了となった。

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