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熊本から気ままに山と自転車のブログ

南郷往還跡・曲手阿弥陀三尊像・梅ノ木遺跡の支石墓

南郷往還跡・曲手阿弥陀三尊像・梅ノ木遺跡の支石墓
2022/9/2(金) 曇

今日の最高気温32°湿度70~60%の予報。午後からにわか雨の心配はあるが、曇天に期待して午前9時半からポタリングに出る。
目的地は、菊陽町道明の町指定文化財「南郷往還跡」、「梅ノ木遺跡の支石墓」と未指定文化財「曲手阿弥陀三尊像」、「戸次六地蔵板碑」、「妙見さんのムクの木」とした。結果未指定文化財「戸次六地蔵板碑」、「妙見さんのムクの木」の2件は辿り着けなかった。

ルートは、明午橋を渡り新屋敷を抜け、国体道路から第一空港線を走り、菊陽町道明に向かう。
目的の「南郷往還跡」(写真1参照)は、国道443の旧道らしい道の中央辺りを横断している。


先ずは、説明板(写真2参照)を読む。「肥後の国府「飯(正:飽)田府」は9世紀~14世紀末まで、古町村(現熊本市古町)にあり、政治・経済・文化の中心となっていました。この肥後の国府と阿蘇南郷とを結ぶ道路が暗号往還で、熊本市の長六橋を起点として、大江、保田窪、長嶺を経てこの道明に至り、西原村万徳、俵山を越えて阿蘇南郷谷、さらには、色見(阿蘇郡高森町)を経て、豊後竹田(大分県南西部)へ通じていました。
道明から高遊原台地に至る急坂には石畳が敷かれていましたが、現在は約180メートルが残るのみです。
南郷住(正:往)還跡の入口にあたる追分石(道標)には、「左おふつ、右まんとく」の文字が刻まれており、その後ろには、享保11年(1726)建立の石地蔵が道行く人の安全を見守り続けています。」とある。


説明板に、「左おふつ(大津)、右まんとく(万徳)」とあるところの道標「(写真3参照)。私には「左から川(辛川)、右まんとく(万徳)」と読めるが・・・説明板設置後に道標を造り直したか。


説明板に「享保11年(1726)建立」とあるところの地蔵尊(写真4参照)が鎮座する。


地蔵尊の前を通り、道を辿ると左に緩く曲がる辺りから坂道になり、石畳(写真5・6参照)となる。


道明の南郷往還跡を後にして、戸次の六地蔵板碑を探して畑の中道を東に辿るが、所在地の地図の記憶が曖昧で辿り着けなかった。
そのまま県道145に出て東方向に走り、「妙見さんのムクの木」の表示板(写真7・8参照)の所まで来た。
説明板には、「当神社の御祭神は水神と言われ、この木の根元から流れる水は涸れたことがなく、昔から日照り続きには村人は、ここで雨乞いを催していたそうである。」とある。
が、「ムクの木」が見えないし神社も見えないので、ここを後にする。


県道145を折り返して西進し曲手で右折して、風格ある長屋門の住宅前にある曲手六地蔵(写真9参照)を見る。


六地蔵の先に地蔵堂境内に板碑(写真10参照)が見える。菊陽町ホームページを見ると、これが「曲手阿弥陀三尊像」のようである。光背が描かれた仏像が一体見える。三尊に見えないのは私だけか。
菊陽町ホームページには、「上部中央に阿弥陀如来、右上部に観音菩 薩、左上部に勢至菩薩が線刻され、その下 部には「逆修のために阿弥陀三尊を立造奉 る」とあり、「道順禅門」「妙仲禅尼」の夫婦 により天文23年(1554)8月、供養の一貫とし て建立されました。」とある。
菊陽町ホームページ文化財パンフレットの地図上の位置は、少し違っている。現場は道の西側である。


観音堂の御本尊(写真11参照)は木彫の八頭身の立派な仏像である。
12時も過ぎているので観音堂の庇をお借りして、持参したサンドイッチで昼食とする。


曲手観音堂を後にして白川を右岸側に渡り、田圃の中の4km程の一直線の道を西進する。未来大橋の橋脚下の梅ノ木遺跡の支石墓(写真12参照)に辿り着く。


説明板(写真13参照)には、「梅ノ木遺跡は、菊陽町大字津久礼字梅ノ木に所在し、この地が圃場整備されるために昭和57年5月4日から同年9月7日まで、熊本県教育委員会によって発掘調査が行われた。遺跡は、白川が形成した自然堤防状の微高地に位置し、井堰の西半部に弥生時代中~後期(今から約1700~2000年前)の地面を掘りくぼめて造った竪穴住居跡が27棟、奈良時代後期(今から約1200年前)の竪穴住居跡が5棟検出された。
弥生時代の住居跡からは、石包丁や磨製の石鏃、石剣などの石器のほか、鉄鏃や鉄斧などの鉄器をはじめ多数の弥生土器が出土し奈良時代の住居跡からは、鉄鏃や須恵器、土師器が出土した。
住居跡群の東方と南方は、弥生中期にここで生活をしていた人々の墓地となっていた所で、東方からは大人用の大型甕棺2基、子供用の小型甕棺1基が検出された。支石墓は、甕棺墓、木棺墓、箱式石棺墓などと同様に、弥生時代になって登場した墓の一種で、巨大な掌石(上石)とそれを支えた支石を上部構造とし、その下に地表を掘って埋葬主体を設けている特異な墓である。
梅ノ木遺跡の支石墓の埋葬主体は、2基とも方形の土抗(堀くぼめただけの穴)で、支石の失われた支石墓の土抗からは、人の歯が8本出土した。
支石墓の分布は、長崎県と佐賀県を中心とした西北九州に集中しており、熊本県では、その大半が白川以北の県北部に位置する。」とある。
この説明板は菊陽町教育委員会のものであるが、町指定文化財一覧にはない。
弱く雨が降り出した。雨脚が垂れた雲も見える。帰路を急ぐ。


14時半に帰宅する。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)26km→妙見さんのムクの木24km →熊本(自宅)
所要時間5時間(実4時間) 総計50km 走行累計50,597km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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