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熊本から気ままに山と自転車のブログ

みやま市真弓はなたれ小僧さま

みやま市真弓はなたれ小僧さま探訪ポタリング
2020/3/8(日) 晴

今日の天候は晴れ、最高気温予想は18°と陽春の日に、午前10時前ポタリングに出る。

新型コロナウイルスも、市中感染拡大が予想されるこの頃ではあるが、希望者全員の検査が可能になり、特効薬が開発されない限りいつかは罹患しなくてはならない。
願わくば、自覚がないままに罹患し完治することを願うばかりの日々を送っている。
そのためには、ウイルスに負けない体力こそ肝要と自転車に跨って出かける。
目的地は、みやま市真弓の「はなたれ小僧さま」とする。

往路は、熊鹿ロードから県道3を北進する。県道3の菊池川を跨ぐ内藤橋上で12時のチャイムを聞く。
南関町肥猪から国道443を北進する。道の駅「生き生き村」で午後1時前、自宅から3時間、休息を兼ねて昼食とする。
メニューは、南関アゲの巻きずしと南関アゲうどん(写真1参照)と、南関アゲ尽くし。


食事を済ませ、目的の愛らしい表情の「はなたれ小僧」(写真2参照)に到着する。


場所は、県境を越えて国道443の急カーブの先、右側の真弓橋(写真3参照)を渡った所にある。


説明板が2面ある。内容は少し違うが民話としてはこちら(写真4参照)が面白い。
現在の県境は分水嶺辺りであるが、昔は北の関町、南関町辺りが同一経済圏として密接な繋がりがあったことが分かる。江戸時代の筑肥国境は現在の大牟田市湯谷にあった。平家物語にもこの地の関所のことが出てくるという。
そもそも、ここの関がいつごろからあるのか?邪馬台国と狗奴国の国境だったのか?それとも、狗奴国は白川、緑川以南の熊本市南区城南町隈庄辺りか(後世古代幹道球磨駅家が造られる)?邪馬台国は北朝方、そうすると狗奴国は南朝方だったのか?その歴史は、県南火国造葦北阿利斯登の子百済の立率日羅まで繋がったのか?等々、疑問は際限がない。


みやま市の説明板(写真5参照)には、「小僧さま」の石像が作られたことや、底なし淵の場所、水神様の祠の所在、屋敷の地名が残ること等が書かれてある。


底なし淵(写真6参照)は、説明板の裏にある。


水神様の祠があるという釈迦院まで1.5kmとあるので行ってみることにする。
川沿いを山間部に向かって進むが、それらしい建物が見当たらない。
やっとそれらしい施設(写真7参照)目に留まる。


石段を上がると、そこは天満宮(写真8参照)だった。


立派な楼門(写真9参照)がある。


更に石段を上がると拝殿(写真10参照)がある。
その後ろに神殿が見える。


更に石段を上り、道を挟んだ上に石碑(写真11参照)がある。
こちらが本来の祭神か?


更に道を少し辿ってみたが、それらしい建物はないようなので帰途に就く。
途中地元の人にお聞きしたところ、山頂ではないがもっと上の方らしい。
宇城市の三千段の石段がある釈迦院を思い出した。

帰路は、国道443から県道4・3を辿り、菊池川沿いを下り玉東町稲佐に出る。更に国道208から県道31を南進し、熊鹿ロードを辿り帰宅する。
往復とも、距離・時間ともそれ程の差はなかった。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)43km→真弓天満宮45km→熊本(自宅)
所要時間7.5時間(実6.5時間) 総計88km 走行累計31,740km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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