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青森市小牧野遺跡保護センター②縄文時代の墓制 山野峠遺跡の再葬土器棺墓

2024年05月02日 14時17分41秒 | 青森県

青森市小牧野遺跡保護センター(縄文の学び舎・小牧野館)。青森市野沢字沢部。

2022年9月29日(木)。

世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の一つである小牧野遺跡の北約1.5㎞にある旧青森市立野沢小学校を改修した小牧野遺跡のガイダンス施設であるが、青森市域の埋蔵文化財センター的な存在でもある。

山野峠(さんのとうげ)遺跡の再葬土器棺墓。

縄文時代の墓は、一般的に地面に穴を掘って埋葬したものが多いが、縄文時代後期前半に特殊な埋葬方法が現れてくる。その方法とは、遺体を一度土葬して、再びその墓を掘って骨を取り出し、それを甕形土器に入れて再埋葬するものである。考古学ではそのように埋葬された墓を、『再葬土器棺墓』と呼んでいる。

国道4号線東バイパス久栗坂トンネルの上に山野峠遺跡があるが、昭和8年に峠の東側斜面から、12個の甕形土器が石室に入った状態で発見され、そのうちの6個から人骨が発見された。人骨は大人のもので、しかも火葬されたものではなかった。その後、西側の斜面から平石を組み合わせた石棺墓が、一列になって7個発見された。このことから、遺体は最初この石棺に埋葬され、のちに甕形土器に収められて再埋葬したものと考えられた。

倉石村薬師前遺跡で発見された再葬土器棺内部の人骨は、一番奥に頭骨があり、それを囲むように腕と脚の骨が立てかけられていた。その様子は、あたかも出産間近の母胎内の胎児の姿勢に似ていた。

再葬土器棺墓』は、土器を母親の胎内に見立て、人骨を胎児の姿勢に組み立てて再埋葬していることから、縄文人が、死者の再生を希求した行為と考えられている。また、この特殊な埋葬方法は、村の指導者など、特別な身分の人の死に際して行われたと考えられており、これまでのところ青森県を中心に秋田・岩手両県北部で多く発見されている。

【考古部会執筆編集員 葛西勵】※『広報あおもり』1998年9月1日号に掲載

青森市小牧野遺跡保護センター①小牧野遺跡の墓・出土品



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