The Catherine Palace
「エカテリーナ宮殿」
サンクトペテルブルグの郊外 = ツァールスコエ・セローに建つ
後期バロック様式の宮殿 ・・
(10月9日のブログ参照 )
その名前は、第 2代ロシア皇帝 = エカテリーナ1世に因みます。
Catherine I
エカテリーナ1世 (1684年ー1727年 在位 1725年ー1727年)
リトアニアの貧しい農家の娘は、ピョートル大帝に見初められ、
1712年正式に皇后となります。
(共に再婚 )
『娘』 と呼ぶには晩婚ですが、
その女性こそがエカテリーナ1世です。
1717年、ピョートル大帝は、エカテリーナ1世のために
ツァールスコエ・セローに石造りの宮殿を建てます。
ピョートル大帝とエカテリーナ1世の子女であるエリザベータは、
1741年 第 6代ロシア皇帝に即位すると、
この宮殿を取り壊し、そこに新たな宮殿を建設します。
建設は1748年にはじまり、
完成までおよそ8年の歳月を要しました。
この宮殿は、
サンクトペテルブルグの 「冬宮」 (エルミタージュ美術館) に対し、
「夏の離宮」 と呼ばれています。
以来、『石造りの宮殿』 は、歴史の中に埋没し、
The Catherine Palace 「エカテリーナ宮殿」 という
名前だけが残りました。
1762年、第 8代ロシア皇帝に即位したエカテリーナ2世は、
この宮殿を様々な外交に活用しました。
(9月30日のブログ参照 )
18世紀ロシアの
劇作家 = デニス・フォンヴィージン(1745年-1792年)は、
エカテリーナ宮殿の印象をこんな風に記しています。
『私は、壮麗な女帝の宮殿に驚嘆した。
いたるところに黄金が光り輝き、
赤や青の勲章をつけた人々や美しい貴婦人たちが大勢集まり、
いつ果てるともないすばらしい音楽に満ちている。
すべてのものが私の目と耳を圧倒した。
私には、
この宮殿は人間よりも崇高なものの住処のように思われた。』
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