JFK-World 世界の撮影・取材地トピック

Freelance Film Director
TV-CMおよびTVドキュメンタリー番組のディレクター & カメラマン

奈良ホテル物語 3

2024年05月09日 | 奈良

奈良ホテルの宿泊客専用スペース
桜の間 ・・・



ここに古いピアノ。



大正11年12月、奈良ホテルに2泊した
アインシュタインは、



このピアノを弾いたそうです。



戦後、ピアノはGHQによる
接収前にホテルから持ち出され、
創業100周年の2009年、
約60年ぶりにここに戻ってきました。



そんな史実が
ていねいに記されています。



こちらは、天皇陛下の即位を祝う
『平成の大時計』
平成2年12月
天皇陛下、皇后陛下ご来館の際、
皇后様は15分ごとに流れるメロディに
何度も耳を傾けられたとか。



メイン階段の踊り場 ・・・



この銅鑼は、昭和20年まで、
ゲストに食事時を知らせるために
鳴らされました。
また、戦時中は空襲警報の役割も。



防火用水 ・・・



非常時にドアを叩き割る鶴嘴 ・・・
どちらもシンボルですが、
往時を偲ばせます。



ちなみに、東京都では条例により
鶴嘴は凶器と見做され、
こういった展示はできないらしいです。



これは、創業当時のドア部品。



大正2年のランチメニュー。



昭和3年のディナーメニュー。



昭和6年、朝食は1円50銭。



昭和58年、ゲストとなった
オードリー・ヘプバーン は、



ロビーの照明をシャンデリアと呼び、
とても気に入った様子だったと
伝えられます。



ひと時ひと時、
そして、ひとつひとつのものに
思い出が宿っています。



奈良ホテルは、
それらを大切に守っています。


加藤和彦
♪あの素晴らしい愛をもう一度♪

今日は晴れて良い日だ。
こんな日に消えられるなんて
素敵ではないか。
私のやってきた音楽なんて
ちっぽけなものだった。
世の中は音楽なんて
必要としてないし。
私にも今は必要もない。
創りたくもなくなってしまった。
死にたいというより、
むしろ生きていたくない。
生きる場所がない、
と言う思いが私に決断をさせた。
どうか、
お願いだから騒がないで頂きたいし、
詮索もしないで欲しい。
ただ消えたいだけなのだから。


2009年、彼はこんな遺書を認め、
旅立ちました。
最近、彼の心情が分かります。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (zooey)
2024-05-09 20:00:45
奈良ホテルのご案内、堪能させて頂きました。
加藤和彦の遺書、初めて読みました。
安井かずみと一世を風靡した彼が
まさか自ら命を絶つとはね…
Unknown (JFK)
2024-05-09 20:22:42
zooeyさん、コメントをありがとうございます。
ていねいに年輪を重ねた古いものは威張っていいと思います。
加藤和彦も威張れる人だったのに、残念ですね。

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