いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第482週

2024年02月10日 23時59分00秒 | 草花野菜


▲ 今週のみけちゃん

■ 今週のよその猫


「西の街」で

▼ 新しい街でもぶどう記録;第482週

■ 今週の花

地面に場違いな鮮やかな花が落ちていた。切り花。おそらく、誰かが落としたのだろう。

■ 今週の隔操作

お菓子屋さんのディスプレイ。外にいるお偉いさんの指示で、内側から店員さんが展示品の再配置を行っている。

■ 今週の断面


いちご大福


クリームパン

■ 今週の「乳」


乳と峰って、すごいよね。 ロケットおっぱい ?  Google[乳峰禅寺]

 リンク先 google[乳峰]

■ 今週のキク科の野菜の天ぷら


ごぼう天うどん: 資さんうどん(公式 web site

■ 今週の購書


「体験者が語る 戦後も続いたタコ部屋労働 : 真駒内米軍基地建設工事」、札幌郷土を掘る会、1987年
ヤクオフで500円

愚記事に「いか@タコを思う。」がある。17年前だ。

タコとは、タコ部屋のタコである。タコ部屋とは、特に北海道で行われていた強制労働である。
愚ブログで言及されるキャンプ・クロフォード(札幌市郊外)の建設でもタコ部屋/タコ労働があったとされる。これは1980年代から知られていた。そのキャンプ・クロフォード建設でのタコ労働に関する冊子。「体験者が語る 戦後も続いたタコ部屋労働 : 真駒内米軍基地建設工事」、札幌郷土を掘る会、1987年 (日本の古本屋 品切れ)。


 キャンプ・クロフォード全景


引用元

朝鮮戦争の頃のキャンプ・クロフォード。この建物は現存する ⇒ google 画像

■ 今週の「」付きの空港:「板付」空港、あるいは、レコンキスタ史跡探訪


(旧名)「板付」空港=現、福岡空港

米軍板付空軍基地  敗戦によって旧日本陸軍の席田(むしろだ)飛行場が米軍管轄の板付飛行場(現・福岡空港)となり、周辺の射撃場や訓練場、住宅地区などと合わせて基地を構成した。沖縄が本土復帰した1972年に返還された。読売新聞 web site

 Google map [板付]

「板付」空港は、「厚木」空港と同様「」付きの空港だ。それというのも、「厚木」空港は厚木になく、「板付」空港は板付にはない。上の地図で赤線に囲われた地区の地名が板付。空港の敷地とは別地区。

「板付」空港=現、福岡空港へは10年前に一度行った。ただし、その頃は、「板付」空港を知らなかった。のち、朝鮮戦争に関する資料をみていると Itazuke(板付)がよく出てくる。空軍基地であるこことは文脈からわかったが、どこにあるのかわからなかった。ググるとすぐわかった。現、福岡空港だ。朝鮮戦争の時の前線空軍基地。一方、10代の頃から読んだ文章に板付が出ていた。特に気にすることもなく、読み飛ばしていたのだ。そのことは以前に記事に書いた(板付@1952; 福田恒存『平和論にたいする疑問』への註、あるいは、福田恒存の「演技」について)。2020年。つまり、「板付」空港=現、福岡空港を認識した頃だ。今回はおいらが「板付」空港=現、福岡空港を認識した後の初めての訪問だ。

■ 今週知ったこと;敗戦後もっとも引き揚げ者が上陸したのは博多港


博多港 2024/2/10

博多港は、昭和20年(1945年)の終戦直後、引揚援護港としての指定を受け、約1年5ヶ月にわたり中国東北部や朝鮮半島などから、一般邦人・旧軍人など139万人の人々が博多港に引き揚げてきました。福岡市 web site

■ 今週の初めて見た:「勝共連合の人たち」

おいらの勝共連合に対する印象を書いたことがある: 「勝共系の人たちというのは、かつて共産主義運動(山村工作隊とか)に参加し、党に裏切られ(と本人たちの認識)、運動に挫折した人たちなのだ。元アカ。その挫折でできた心の隙間を埋めるための思想、それが勝共思想と気づいた。」 (愚記事

この日、生まれて初めて、おいらは、「勝共連合の人たち」を見た。博多駅前だ。

 



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