投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

新版 日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造 - 篠田謙一(NHK出版)

 
2019年3月20日第1刷発行 

著者は1955年静岡生れ。京都大学理学部卒。医学博士。国立科学博物館人類研究部長。専門は分子人類学。

DNAで考古学を研究するというのは人が持つ文化を無視しているようで好きではなかったのだが、ちゃんとしたのを読んでおかなければと思い借りた本。読んでみて損は無かった。凄い。面白く読んだ。日本人についてはP113から。

かいつまんで書くとDNA解析には母→子(ミトコンドリアDNA)、父→息子(Y染色体DNA)の二つの分析方法がある。日本人に特徴的なミトコンドリアDNAはM7aとN9b。この本は琉球、先島列島、九州、本州、北海道から出る古代の人の骨から抽出したDNAを解析した結果を著している。日本人の祖先は最初は 3万年前に東南アジアから日本列島に進入し(M7a)、2万年前以降に北からの進入があった(N9b)。この人たちが一般的に縄文人と呼ばれているが、その後に渡来系の弥生人が西から進入してきて現代の日本人を形作ったという二重構造説は否定している。そんな単純なものではないと言う。もっと複雑な人の構成があったと言う。縄文人は一様ではなく同じ文化や生活様式を持っている人たちではなく、生活環境に適応したいくつもの集団に分かれていた。またアイヌは縄文人の直系とは言えず、オホーツク文化を担った人たちの系統が強く出ているし、琉球や先島の人たちは貝塚時代とその後のグスク時代では明らかに人が変容する。入れ替わるのではなく混合。これは平安時代に九州から農耕民が移住してきたため。縄文人から弥生人、現代日本人を分析した結果を図表に置いていくと縄文人と弥生人を結ぶ線の上に現代日本人は載らないという。日本人は鎌倉時代からは現代日本人は変わらない結果が出ている。古墳時代から平安時代にかけて人骨の数が少なく分析できていないが、ここで何かイベントがあったのではと思わせる内容になっている。

こんな記号が並ぶ。

縄文・続縄文
N9b 65% M7a 7% G1b 11% D4h2 17% Z1a2 1.4%

オホーツク文化
Y 43% G1b 24% M7a 6% C 5% A 8% N9b 11% B 3%

近世アイヌ
Y 31% N9b 19% N9a 1% A 9% B 1% F 2% C 4% M7a 4% G 8% D 14% M7b,c 3%

現代アイヌ
Y 19% D 18% G 25% M7a 16% M7b,c 4% A 4% N9b 8% F 2% B 2%

アイヌは明らかにオホーツク文化の影響を受けているのが分かる。


以下メモ
-----------------------
遺伝子分析

・母→子(ミトコンドリアDNA)、父→息子(Y染色体DNA)
・ミトコンドリアDNAは比較的構造が簡単、1980年代から研究開始
・ミトコンドリアDNAの研究はアメリカの先住民研究から開始
・Y染色体DNAは21世紀になってから研究が進む

ミトコンドリアDNAの研究は1980年代から盛んになり歴史がある。その代わり一気に研究が広まったため表現する記号にブレがある。Y染色体DNAの研究は21世紀になってから研究が進み、こちらはミトコンドリアDNAの表記の混乱を反省材料にし統一した表記で進められている。

ミトコンドリアDNAの多様性から導かれた新人(ホモサピエンス)のアフリカ起源説は主流だった人類の進化は100万年以上前にアフリカを旅立った原人が各地で独自の進化を進めてそれぞれの地域の新人に移行したという多地域進化論を全面的に否定した(P8)。現生人類は全て20万年~10万年前にアフリカで生まれ、6万年ほど前にアフリカを出た。先行人類は全て絶滅した。

ネアンデルタール人もその絶滅した一種。彼らは私たちと70万年~50万年前に分かれたグループになる。新人の祖先ではない、世界中のホモサピエンスの中にネアンデルタール人に由来すると考えられるミトコンドリアDNAは無いとされていたのだが、礼文島の船泊遺跡からみつかった縄文人の骨の解析に使用した次世代シークエンサ(大量のDNA配列を一度に読み取ることが出来るマシン)で一変する。

2010年、クロアチアのビンデジャ洞窟から発見された3万8000年前の3体のネアンデルタール人女性人骨から採取した40億塩基分のDNA配列の解読の結果、サハラ以南のアフリカ人を除くアジア、ヨーロッパ人にはおよそ2.5%程度の割合でネアンデルタール人のDNAが混入していることが明らかになる。

P26
母→子(ミトコンドリアDNA)、父→息子(Y染色体DNA)
ミトコンドリアDNAは比較的構造が簡単、1980年代から研究開始
Y染色体DNAは21世紀になってから研究が進む

P34
卵子の中には精子から入ったミトコンドリアを積極的に排除する機構が存在するということが分かっている

P35
ヒトは23種類の染色体がある。父と母から1セットずつ受け取っているので46本の染色体がある

P36
男性はX染色体とY染色体を持っているので精子にはX染色体を持つものができる。女性はXをペアで持っている。男性はXとYを持っている。Yは男性をつくる遺伝子を持っているので、受精卵はこの染色体を持つと男性になる

P36
22種類は男女で同じ。残りの1組は男性と女性で異なる

P38
Y染色体のハプログループ分類法は2002年に世界の学者が集まり共同研究機関で最初の標準化がなされた。18の分類とその下に153のハプログループ(2018年に20の大分類)

P39
ミトコンドリアDNAハプログループはこのような標準化がなされないまま。日本人のハプログループはD、以前はD2a、現在はD2bと変わっている

P42
アルコールは門脈と呼ばれる消化器系に分布する静脈に運ばれて肝臓にたどりつく。アルコールはいったんアセトアルデヒドに分解され、続いて酢酸と水に分解される。肝臓の細胞が待つ酵素が関与する。ALDH1、ALDH2。ALDH2酵素が正常に働かない場合、下戸になる。ALDH2をコード化している遺伝子はヒトの第12番染色体にある。この酵素の487番目のアミノ酸は正常型ではグルタミン酸。このグルタミン酸がリジンというアミノ酸に置き換わっている人がいる。変異型酵素。

P44
この変異型は中国南部が中心23.1%。日本23.9%。北米2.2%。南米6.1%。インド5.0%。東欧1.1%。西欧0.0%。極東15.1%。日本が最大である

P51
現代人は4つのグループに分かれる。クラスター
L0、L1、L2 アフリカ人だけ
それ以外は一部のアフリカ人(L3)とそれ以外

N ヨーロパ人が主(WESAmの混合)
M アジア人が主(WESAmの混合)
 Af 一部のアフリカ人(L3)アフリカに留まったヒト
 W ヨーロパ人、インド人
 E 東アジア人、ポリネシア人
 S サフル人(オーストラリア先住民、ニューギニア人)
 Am アメリカ先住民

P56
ミトコンドリアDNA集団解析はアメリカ先住民の研究から始まった
Amはそのため

P63
ひとりの女性のミトコンドリアDNAが今に続く
ひとりしか子孫を残せなかった

P64
MのグループとNのグループは別々にアフリカを出た

P66
祖先が出アフリカをした頃、ネアンデルタール人、北京原人、ジャワ原人はいた

P71
6万年前新人類出アフリカ
1500年前に南太平洋の島々に展開
オーストラリア4万7000年前
東アジアも同時期
ヨーロッパは4万5000年前
アメリカ2万年前

P74
ミトコンドリアDNA個体間の変異が多い。ハプログループという概念、この部分だと通常は数万年に1回程度の変異なので数万年さかのぼると祖先を共通する集団を見つけられる

P75
L0、L1、L2、L3、M、Nはハプログループ

P81
ヨーロパ ヴェルム氷期の時代
4万年前~2万8000年前 オーリニャック文化
これは集団で交代し
2万8000年前~2万1000年前 グラベット文化
これも集団で交代し
2万1000年前~1万6500年前 ソリュート文化
1万8000年前~1万1000年前 マグダレニア文化
後にバルカン半島から移動してきた人々にヨーロッパは置き換わる

P86
5000年前まで北方ヨーロッパ人の直接の祖先はヨーロッパに達していなかった。ハンガリーからアルタイ山脈の間に広がるステップ、ヤムナヤという牧畜文化、イランやアルメニアからの集団の影響を受けて車輪を知った

P86
ドイツ人の遺伝子の3/4がヤムナカ由来になる
イベリア半島には影響少、イギリスではストーンヘンジを造った集団が現代人に伝えている遺伝子は10%、残りはヤムナカ由来

P87
インドヨーロパ語族 アナトリア発ではなくヤムナカではないのか?

P93
インド9000年前に農耕が持ちこまれる
ゲノム解析 北方と南方の混合は4000年前 インダス文明の時期
インダス文明衰退時期に混合が広まった

P95
ヨーロッパ アナトリアの農耕文化の上にヤムナヤの農耕文化が重なる
インド イランの農耕文化の上にヤムナヤの農耕文化が重なる

P98
ミトコンドリアDNAのハプログループM7a、N9bは日本人だけ

P100
遺伝的な特性には東南アジア>東アジア 東南アジアから東アジアへ人は移動した

P101
ネアンデルタール人の遺跡 最も東はテシュク・タッシュ

P102
バイカル湖 アリタ遺跡 2万4000年前 ミトコンドリアDNAハプログループU。これはヨーロッパ後期旧石器から中期石器時代の狩猟採集民に最も多いY染色体DNAは現在の西ユーラシアの基本的な系統、アメリカ先住民の系統の根本にあたる。現在の東アジア集団と類似性は認められない。アメリカ先住民が持つヨーロッパ系遺伝子はこの時代の流入もあるらしい

P103
スキタイ人 ヨーロパ人と同じ風貌 ヘロドトスの歴史書

P106
アメリカ クロヴィス文化 クロヴィス型槍先尖頭器 アンジャック墓地遺跡 人骨 1万2600年前 アリタ人の遺伝子流入 ミトコンドリアDNAハプログループP4ha 南北アメリカに広く分布 Y染色体はアメリカ先住民に共有
ただエスキモーとの類似性は無い

P109
ベーリンジア 陸地化したベーリング海峡一帯 ここで数千年以上、他のアジア集団と隔離されていた これがアメリカに移動した ヤナ川 3万年前より古い遺跡

P110
2015年大規模ゲノム解析 新大陸集団 2万3000年前にアジア集団から分岐
アメリカ進入は1万5000年前 エスキモーを除くと1回だけの進入

P111
南北アメリカに広く分布する集団と北アメリカにだけ分布する集団の2つ

P113
ここから日本人について

P114
M63.8% N32.2%(P51参照)
M D4a 7.4% D4b 2.4% D4d 2.7% D5 4.9% D4 その他19.7%

P117
D 東アジア最大のグループ 3万5000年前 南周りから東アジアへ
日本 D4 32.6%

P119
D4a 10000年前にできた 新しい 中国南部はD4は日本より少ない

P120
N B4 9.0% B5 4.3% Bは40000年前に中国で誕生
BはRから分岐 インドから東南アジアに拡散したものの一つ
アメリカ大陸に見られるB2は3万3000年前 B4bから派生

P124
M M9 3.5% M8 1.4% M7c 0.8% M7b 4.5% M7a 7.5%
M7a 主に日本
M7b 大陸の沿岸部から中国南部
M7c 東南アジア島嶼部
M7aの起源は今は海に沈んでいる。黄海から東シナ海ではないか。ここから分かれた。M7aは日本本土では7%。沖縄では25%ほど

P126
N A 6.9% 中央アジア、北アジア、北米、中米に多い

P127
M G 6.9% カムチャッカ半島 69.6% 日本は朝鮮半島からか?
北海道の縄文人からもみつかる

P129
N F 5.3% 中国南部、台湾の先住民に比較的多い

P131
N N9b 2.1% N9a 4.6% N9aは中国南部、台湾。 N9bもほぼ日本、関東以北の縄文人に多い 。Y 0.4% N9の枝分かれ、Y1は北東シベリア、沿海州。 Y2 フィリピン人。N9a、Y2は南。N9b、Y1は北。Y1はアイヌ人に多く含まれる。日本人にはほとんどいない。

P134
オホーツク文化 アムール川流域の漁労民をルーツ。「この人骨のDNAを分析した結果、佐藤又寛さんはその多くがハプログループYに属するものであることを明らかにされています。オホーツク文化人は忽然と姿を消しましたが、そのDNAはアイヌの人たちに受け継がれていたのです。」

P134
M M8a 1.2% C 0.5% Z 1.3%
M8aは中原、中国の北部で誕生

P135
C 日本にはほとんど見られない。中央アジアから新大陸

P136
Cだけはアジアで大きく人口比率をのばした。遊牧民と関係がある。日本はこの影響を受けていない
Z カムチャッカ半島 北欧のサアミ人 ロシア極北地域にも。どこで発生したか不明だが極北ルートがあったのかも

P137
徳川家治の生母の人骨 Z3 母系に伝わるミトコンドリアDNA

P137 
Y染色体 C、D、Oは人口の90%

P138
O
日本人男性の約半数 O1b2 30%-40% O2 20%-30%
Oは東アジア~オセアニア
O1b2は朝鮮半島~華北
O2は華北~華南

C 
C1a C2 本土日本人10% アイヌにはやや多いかも、しかし16人のサンプルでしかない
Cは東アジア、オセアニア、オーストラリア、シベリア、南アフリカ
C2は沿海州、モンゴルに多く南に行くに従い減少
C2は北から、C1aは南から

D D1b 日本人女性30%-40%

P140 
日本、朝鮮、中国を比較。全く異なる
日本はDが沖縄も含めて多い
D1bはチベット50%
もともと北東アジアに広く分布していたがOに追いやられ周辺に分かれたのではないか

P141
日本固有のハプログループ

P142
縄文人は全てD
アイヌは16名中12名がD1b、残りはC2
沖縄45名 C 4% D1b 56% O 38%
ミトコンドリアDNA 沖縄M7aが多い
D1bが古代日本の主なハプログループ

P142
2008年 理化学研 7,003名のDNA分析
日本列島集団は本州と九州の二つに分かれ、それらは北京の集団とはかけはなれている。2018年、20万人以上のサンプルで分析を始めた

P144
アイヌ、琉球集団と類縁性が高い(斎藤成也)
琉球集団は台湾先住民と近縁性なし
沖縄と宮古島は遺伝的な違いがある

P145
日本人にヨーロパ人のミトコンドリアDNAが1%出る
ミトコンドリアDNAは女性遺伝。この1%は明治期以降のヨーロパ人女性流入の結果

P157
二重構造説の否定
日本列島の気候風土、環境は多様性があり縄文人+弥生人という簡単な説明では無理がある。環境に適応した人々がその場所に住む
ミトコンドリアDNAハプログループ比較では本土、沖縄、アイヌに共通点は無い。沖縄とアイヌはかけはなれている

P158
1990年代以降の人骨形態学は本土、沖縄は類似。アイヌは不共通という考えとなった
アイヌは縄文人直系ではない

P160
1985年 キヤリーマクスPCR法 ごく少量のDNAを増幅可能

P165
ミトコンドリアDNA M7a N9b D4b2
M7a N9bは日本人だけと言っても良い
関西以西M7a、関東から北海道N9b

P166
西日本M7a1 東北、北海道M7a2、M7a3
縄文人は均一ではない。M7aの成立は3万年~2万年前。縄文時代以前に西から進入

P168
N9b b1~b5 関東以北の縄文人。b1、b5は中部から北、b2、b4は関東~東北まで

P169
北海道だけG1b、Z1a2が出る。北方系との接触があった

P171
現代人 N9b 2% M7a 7.5% 縄文人(関東より北)でも主なものもこの程度
M7a1 関西以西の縄文人が持っていたものを現代人は引き継いでいる。M7a2はごくわずか。これは水稲稲作を持って広がってきた人の影響か

P173
Y染色体
縄文人で4体しか抽出できていない
ハプログループD D1b2
これはD1b2aの祖型にあたるもので現代人には存在しない
ミトコンドリアDNA M7a系統と同じでYも関東以北の縄文人と現代人は離れてしまっている

P176
ミトコンドリアDNA 西からM7a 3万年~2万年前、北からN9b 2万年前以降

P178
北部九州、甕棺。人骨が消失しない。数千体の人骨

P179
西九州の弥生人は人骨から見て縄文系。朝鮮系の支石墓であっても縄文系の人。男性158センチ、女性148センチ
北部九州は縄文系より5センチ身長が高い。顔も面長でのっぺり。鼻根部は平坦。こちらは縄文系とは見えない。種子島広田遺跡、鼻根部とその周辺は縄文系だが顔はさらに上下に短く後頭部が扁平な特異な形状。身長はさらに低い。同じ時代、九州には三つの人がいた。ゲノム解析が進むとこの図式も単純すぎる

P181
福岡の安徳台遺跡、3体がミトコンドリアDNAハプログループが決定可能。B5a、D4e、D4g。縄文人からは出ないタイプ
この人物(女性)は渡来系弥生人と考えられるが、遺伝的特徴は現代日本人に近い縄文系寄りにいる



P183
現代日本人はもっと縄文人、渡来系弥生人、中国集団を結ぶラインに寄るはず。ここは課題。

P191
弥生終末期~古墳律令制の始まる7世紀、古人骨のDNA分析はほとんど行われていない

P192
東京の日野、三鷹の横穴墓群 7世紀
D4a 1体 D4b 1体 D4j  2体 弥生人
M7a 3体 縄文人
A    C

P193
鎌倉時代 現代日本人とほぼ同じ
日本人の変容は古墳時代まで

P197
石垣島 白保竿根田原洞穴遺跡 2010~2016
1100点以上の人骨
2万年前
完全な頭骨も4体

P198
高宮広士
狩猟採集民は琉球列島のような大きさの島に永住するのは不可能。困難。ヒトは子孫を残すことは出来ない。農耕を持ち込むことで定住が可能

P201
12C
沖縄は急激に遺跡の数が増える。貝塚後期、沖縄と先島は別の文化。グスク時代になると琉球列島全体が同じ文化に統一。中国南部との交流。
土肥直美は貝塚後期とグスク時代の人骨が異なる。グスク時代のものは日本本土集団との類似性が認められる。貝塚人は本土の縄文人と異なる

P202
貝塚後期
M7a
貝塚前期人の子孫が主流
D4、A4も見られる
貝塚後期(平安時代)
日本本土からD4を主体とする人々が流入

P203
奄美の調査
グスク時代開始期
南九州からの大規模な農耕民の移住があったことが指摘されている
入れ換えではなく混合

P207
アイヌはオホーツク文化人の影響
大陸北東部の先住民との結びつきが強い
Z1、G1が出る

P208
縄文・続縄文
N9b 65% M7a 7% G1b 11% D4h2 17% Z1a2 1.4%

オホーツク文化
Y 43% G1b 24% M7a 6% C 5% A 8% N9b 11% B 3%

近世アイヌ
Y 31% N9b 19% N9a 1% A 9% B 1% F 2% C 4% M7a 4% G 8% D 14% M7b,c 3%

現代アイヌ
Y 19% D 18% G 25%  M7a 16% M7b,c 4%  A 4% N9b 8% F 2% B 2%   

P209
船泊23号ゲノム
縄文人
日本本土と沖縄の主成分分析では船泊は同じ線上に並ぶがアイヌはずれている。オホーツク文化の影響が強い

以上

(2024年1月 西宮図書館)





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