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🤳《不易流行》🤳あしたの詩を唄おうよ…🎵

 故郷は遠くにありて・・・忘れかけてた【遠い背景の記憶】原点回帰[214]【あゝりんどうの花咲けど】 

2023-12-26 | こころの旅

    あゝりんどうの花咲けど (昭和40年学習研究社「美しい十代」9月号P127~135)
第三章:はじめて玲子を見たとき、佐千夫は吸いかけた息をとめた。濃いまつげにかこまれた
      玲子のひとみに、窓外の景色が流れていた・・・・・。
 最終回、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【4】P44~P46 (原本P82~P83)の紹介です。
 四十日近い入院生活ののち、玲子は退院した。 手術はしなかった。する必要がないのではない。必要はあるのだ。
危険でできない状態だつたのだ。 退院した玲子は、学生生活にもどるのではない。主治医の友人が所長をしている療
養所に移されることとなつた。 医者のそのすすめを聞き、玲子は涙を流して拒んだ。「どうせ、人はいつかは死ぬんだわ
。このまま東京にいたい」 (東京には佐千夫はいる) みなは総がかりで、玲子を説得した。佐千夫も熱心にすすめた。
それでも、玲子はなかなか承知しない。 「そんなこと言って、あたしを遠くへやってしまいたいんでしょう」 そんなダダを
こねたりした。 しかし結局は承知して、療養所にゆくことになつた。行く玲子よりも、行かせねばならぬ佐千夫のほうがつ
らい。 退院の日、佐千夫は学校を休んで迎えに行った。療養所へ行く荷物をまとめるのを手伝った。「ほんとうに、なにか
らなにまで、すみません」「あたりまえのことです」 礼を言う玲子の母に、心の中で佐千夫は、もしできることなら玲子にか
わつて病気になりたいくらいだと答えていた。むしろ佐千夫は、そばについて看病してやれなじぶんの立場が、まどろっ
こしいくらいであった。 療養所まで、佐千夫は玲子についていった。「あなたとの最初で最後の旅行になるかもしれない
わね」「ばかな。今度は元気になって療養所から出るとき、迎えにいくよ。この線路を、逆に東京へ走るわけだ」「そうなり
たいわ」 療養所は、白や赤の草花が咲き乱れ、空気は澄み山や川の眺めも雄大ですばらしかった。「なんだか、急に
元気が出てきたみたい」「そうとも。半年もここにいれば、きっと元気になる」「お手紙、ちょうだいね」「読むのがめんどうくさ
くなるほど出すよ」 別れるとき、玲子はほほえみながら泣いていた。 東京へひとりでもどった佐千夫の、胸のなかはう
つろだった。玲子のいなくなったこの東京という雑然としたきたない町。おもしろくなかった。本を読む気もおこらない。アル
バイトをするのも、張り合いがない。(なんのために?)(俺は今、ここにいるべきじゃないんではないか)
(学校の卒業なんか、一年や二年おくれたっていいじゃないか。彼女だって、休学したんだ。 佐千夫は人生の根本にま
でさかのぼって、これからのじぶんの方向について考えはじめた。しんけんに考えた。悩んだ。そして結論したのだ。(療
養所にの近くにいって住もう。そこではたらきながら、彼女をはげまそう) 人はそれを、おろかな行為だとあざけるかもしれ
ない。恋に狂ったバカだとののしるかもしれない。しかし、人のおもわくなど、どうでもいい。 決心がつくと、すぐに佐千夫
は汽車に乗った。 思いがけない見舞いを全身でよろこぶ玲子に、佐千夫は決意をうち明けた。感動で涙をうかべながら
も、玲子は反対した。しかし、佐千夫の決意は変わらなかった。療養所からの帰途、近くの町を歩いて求人のはり紙を出し
ている材木屋をみつけた。はいっていって、その場で、住み込みではたらくことに決めた。 東京へ帰り、おどろく大橋に
説明しながら、荷物をまとめた。「学校のほうはこのまま長期欠席するよ、ひょっとしたら、彼女、二、三ケ月で帰ってこられ
るかもしれないからな。そのときは、おれも帰ってくる」
 そのまま、療養所近くの町に移った。材木屋で熱心にはたらきながら、ひまがあれば玲子を見舞う生活が
はじまった。 季節は、秋になった。山にうすむらさきのりんどうの花がかわいく咲いた。ときどき玲子は自
由時間に療養所を出て、佐千夫の借りている部屋に来て遊んだ。ふたりはもう、こころのうえでは他人ではな
くなっていた。たがいに、相手のいない人生は考えられない。




 玲子の病気や佐千夫がはたらかねばならぬという障害はあったけれども、ふたりはいつも会えるということ
で、しあわせであった。充実した日々だった。
 秋も深まったある朝、はたらいている佐千夫のもとへ、スクーターが呼びにきた。玲子の容態が急に変わっ
たのだ。
 いつもは病気のことを佐千夫に知らせたがらない玲子が、身もだえながら、「知らせて」と頼み込んだという、
佐千夫がかけつけたとき、かすかながら玲子の脈はまだあった。
 佐千夫の腕のなかで、あえぎながら玲子はかすかに目をひらいた。その目は、涙でふくらんでいた。くちび
るが、わずかに動いた。
 声にはならなかった、そのまま目が閉じられ、ややあって呼吸が絶えた。     (おわり)
 
※原作者 富島健夫   2020年9月吉日  編集者 KENZO YAMADA

※同年発表された、舟木一夫 歌唱の♪あゝりんどうの花咲けど♪は、今も私の心の奥に青春の憧憬と共に
良い想い出の音感として残っています。
 作詞 西沢 爽
 作曲 遠藤 実
 歌唱 舟木一夫

    ♪ さみしく花に くちづけて
      君は眠りぬ永遠に
      あゝりんどうの
      うす紫の花咲けど
      高原わたる 雲あわく
      白き墓標は 丘の上

    ♫ やつれし君の 枕辺に
      花を飾りし日はいずこ
      あゝりんどうの
      うす紫の花咲けど
      かえらぬ君を 泣くごとく
      露を宿して 揺れる花

    ♬ 白樺道に ひとり聞く
      歌はかなしき風の歌
      あゝりんどうの
      うす紫の花咲けど
      初恋あわれ いまはただ
      誰に捧げん この花ぞ
 

 この作品【あゝりんどうの花咲けど】は、1965年(昭和40年)学習研究社の少女雑誌「美しい十代」9月号(P127~135)・10月号 (P90~97)・11月号(P76~83)に連載された故富島健夫氏の短編青春純愛小説です。
刊行される事なく、舟木一夫主演でTV映画化が決定していたものの何らかの理由で未発表となった作品です。
 しかし、同名のタイトルで同年6月に発表された舟木一夫歌唱の♫あゝ、りんどうの花咲けど♬は、今も私の心の奥深く、
青春の憧憬と共に良い想い出の音感で残っています。嘗て、マイブームのスタートから三年余り...どうしても読んで
みたくなって雑誌「美しい十代」を探しました。その結果、熊本県菊池郡菊陽町の菊陽町図書館に一冊現存する事を
確認しました。そこで担当職員の村崎氏とコンタクトが取れ、村崎氏のコレクションであることを知りました。3月末に
再度同図書館へ連絡を入れたところ、村崎氏は退職されていましたが雑誌のコピーを頂けるということで
早速、コピー依頼をしました。4月中旬に同図書館より9月号(8P)・10月号(7P)・11月号(7P)の原本コピー
版が届きました。私の意向を受け止めていてくれた村崎氏に感謝するとともに、「ジュニア」と「官能」の巨匠 
富島健夫伝の著者 荒川佳洋氏のアドバイスにお礼申し上げます。
 そして、菊陽町図書館の皆様、有難うございました。




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 故郷は遠くにありて・・・忘れかけてた【遠い背景の記憶】原点回帰[213]【あゝりんどうの花咲けど】 

2023-12-22 | こころの旅

    あゝりんどうの花咲けど (昭和40年学習研究社「美しい十代」9月号P127~135)
第三章:はじめて玲子を見たとき、佐千夫は吸いかけた息をとめた。濃いまつげにかこまれた
      玲子のひとみに、窓外の景色が流れていた・・・・・。
 今回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【3】P41~P44 (原本P80~P82)の紹介です。
 玲子が発作をおこして入院したのを、二日間、佐千夫は知らなかった。(心配かけてはいけない) 知らせてあげようか
という友だちに、玲子は首を横に振りつづけたのだ。 玲子は心細かった。そばにいてほしかった。しかしそれはわがまま
だとじぶんにいいきかせて、意志強くがまんしたのである。 (あの人の気がつかぬうちに退院できるように) ただそれば
かりを祈った。じぶんの学業や健康のためではなく、佐千夫に心配をかけまいという理由で、早い退院を願った。 発作
をおこしたのは、これまで何回もある。だからあわてなかった。 しかし医者のことばは、早期退院の玲子の希望をうちくだ
いた。 「今まで普通の生活をしてこられたのがふしぎなくらいだ。あなたの心臓は相当に弱っている。普通、心臓の病気
というものは、実際よりも病人自身のほうが大げさに思い込むものだが、あなたの場合は逆だ。徹底的に精密検査をする
だけで、すくなくとも一か月はかかる。 玲子は、病床で佐千夫に手紙を書いた。佐千夫が心配しすぎないように、できる
だけ明るい調子で書いた。 佐千夫はすぐにかけつけた。ベッドの上から、玲子はほほえみかける。佐千夫は怖い顔を
して、 「どうしてすぐに知らせてくれなかったんだ」 佐千夫にしてみれば、玲子が入院して苦しんでいるのも知らずにの
んきに暮らした二日間が、うらめしかったのだ。「ごめんなさい。たいしたことはないのよ」「家へは?」「電報を打ったわ。
きょうあたり、母がくると思うけど」  夕方、玲子の父母がそろって病院にあらわれた。父母にも、玲子は元気そうにふるま
った。けれどもそのためにかなりムリをしていることが、佐千夫にはわかった。かえつていたいたしい。 このままずっとつき
そってやりたい。 しかしそれは、玲子の病状によくないことはわかりきっている。 佐千夫が病院を去るとき、玲子は送っ
て出てきた。「もういいよ」「だいじょうぶよ、歩くぐらい」 病院の廊下は、暗くて長い。ときどき、手押し車にあお向けになっ
た患者が、すれちがってゆく。 玲子はゆっくりと歩いた。 「すぐに元気になるわ。ただ用心と検査のために入院しただけ
だから」「さっきのお医者さんもそう言ってたよ」「ほんとう?」「うん」  うそだった。医者は、勇気を出して玲子の病状の
実態をききに言った佐千夫に、もっときびしいことを言ったのだ。 「あたしのこと、心配しないで勉強してしてちょうだい。
 あなたが心配していると思うと、あたしがつらい」「心配しないさ、こんな大病院に入院しているんだ。全部医者に任せな
きゃ」「また来てくれる?」「くるとも。毎日くる」  こうして、玲子の入院生活がはじまつた。父は三日ほどいて田舎へ帰り、
母だけが残つた、母は病院内に寝泊まりして、玲子の看病にあたった。 それまでのにぎやかな寮での生活にくらべて、
それは単調でたいくつな毎日だった。食事をし、診察を受け、その日の予定の検査を受けると、あとの一日の大部分は、
することもない。ただ病室の窓の外に植えられている桜の木の葉が風に揺れるのを眺めながら、ぼんやり暮らすのである。
あまりほんをよむことも、医者から禁じられている。 (このままなおらないのではないだろうか)(検査の結果、手術をして、
手術の途中で、そのまま死んじゃうかもしれない) (そんなことってない。あたしは生きなきゃ。あたしが死ねば、それこそ
あの人はひとりきりになってしまう)(こんな弱いからだのあたしなんて、あの人の重荷にしかならないかもしれない。死んだ
ほうがあの人のためかな?)  なにもすることがないので、考えることが多かった。考えることだけが、自由であった。考え
ることは、いつも佐千夫に結びついた。 そして、見舞に来た佐千夫と会っているときだけが、玲子のもっともうれしい時
間であつた。 佐千夫は、約束どおり、毎日、あらわれた。午前中のときもあれば、夕方のときもある。その日の佐千夫の
学校の時間割やアルバイトのつごうによって、時刻はまちまちであった。 いつのまにか、佐千夫自身、玲子を見舞うこと
が生活の一部になってきた。見舞からの帰り、もう佐千夫は、翌日の見舞いを待ち遠しがっていた。できれば玲子の母に
かわつて、玲子につきそっていたい。 見舞うたびに、玲子はやせてゆくようであった。別れの際に握手をする。その手の
細さを、佐千夫は強く感じるようになった。 夜中に、おそろしい不安に佐千夫はおそわれてうなされることがある。ひょっ
としたら、玲子は今、苦悶しているのではなかろうか。その不安がたかまると、いてもたってもおれない気持ちになる。しか
し病院に行ってたしかめるわけにはゆかない。それこそ、玲子の安眠をさまたげて、からだによくない。佐千夫は夜の明け
るのを待ちかねて病院にかけつけ、おどろく玲子の母に、「変わったことはありませんか?」「いいえ」「じゃ、ぼく、このまま
帰ります。あとでまた来ます。」  不安に襲われるのは、夜だけでない。授業中、アルバイトをしている最中、なにもかも
投げ出して病院にかけつけたくなることが、しばしばだった。

 次回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【4】P44~P46 (原本P82~P83)を紹介します。
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 故郷は遠くにありて・・・忘れかけてた【遠い背景の記憶】原点回帰[212]【あゝりんどうの花咲けど】 

2023-12-19 | こころの旅

    あゝりんどうの花咲けど (昭和40年学習研究社「美しい十代」9月号P127~135)
第三章:はじめて玲子を見たとき、佐千夫は吸いかけた息をとめた。濃いまつげにかこまれた
      玲子のひとみに、窓外の景色が流れていた・・・・・。
 今回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【2】P38~P41 (原本P79~P80)の紹介です。
 
 やがて春が過ぎようとするころ、佐千夫の母は岡本謙三と結婚した。玲子に言ったように、佐千夫は帰省しなかった。
勉強とアルバイトが忙しかったのだ。 母たちは旅行の途中、東京に来て佐千夫の下宿に寄った。 「これからはもう、
アルバイトなどしなくていいよ。わしをほんとうの父親のように思って、遠慮しないでくれ」 「いいえ、送金は今までどおり
でいいんです。アルバイトって、はたで思うほど苦労じゃありません。それに、いい人生経験になります。」 じぶんがらくを
するために母の再婚をみとめたのだと思われたくない。佐千夫は、岡本謙三の好意を感謝しながらも、送金の増額をこと
わった。 母は幸福そうであった。そんな母の様子に接すると、ふっとある寂しさを感じる。東京駅で母たちを送った佐千
夫は、あたらしい父ができたというよりも、”母がいなくなった、よそへ行ってしまった〟という感じのほうが強かった。(いよ
いよ、これからひとりだぞ。しっかりしなきゃ) (いや、ひとりではない。あのひとがいる) 玲子がじぶんにとって唯一の心
のよりどころになってきたのを、佐千夫は感じた。 ふたりは、日曜日はほとんど会っていた。玲子には、佐千夫が口には
出さないけれども、母の再婚にやはり打撃を受けていることはよくわかる。会っているとき、玲子はやさしくふるまった。
 ある日曜、朝からからだがだるく、急に立つとめまいを感じたりしていた。へやで横になって静養すべきであった。しかし、
佐千夫のへやを訪れると、この前会ったときに約束してある。おそらく同居の大橋さんは気をきかしてどこかへ行っている
であろうし、佐千夫は時計とにらめっこして待っているにちがいない。 行かなければ、心配するだろう。悲しむにちがい
ない。また玲子自身、会いたい。 玲子は用心しながら、電車に乗った。案のじょう、佐千夫は、くだものやジュースをとり
そろえて玲子を待っていた。玲子はつとめて元気な様子をよそおったが、佐千夫はすぐに玲子の苦しそうな息づかいに
気づいた。 「気分が悪いの?」 「ううん、たいしたことはないの。きのう、夜おそくまで本を読みすぎたかしら」 郷里のあ
の山頂以来、ふたりはつつましい接吻をつづけてきた。それは、玲子が佐千夫のへやを訪れるたびに、くりかえされてき
た。しかし、佐千夫はそれ以上を求めなかつた。ふたりだけしかいないへやである。佐千夫の胸が、はげしいおののきに
おそわれることがないではない。そのたびに、玲子はあまりにもあどけなく清純に見えた。どこへも遊びに行かないとき、
ふたりは並んで横になり、天井の節穴を見ながら、たあいない話をしたり、低く歌を合唱したりするだけであった。ときどき
そっと佐千夫の手が玲子の胸に触れると、玲子はそれを両手で握って、じっとしていた。「きみの寮に行ってみたいな」 
  「たいへんよ、女の子たちって、すごくうるさいんだから」  寮の各へやには、外部からの男の客は入れてはならないこ
とになっている。訪問者は玄関の横の応接室までである。それでも寮生たちは大騒ぎする。それにこうして会えるのだか
ら、なにもわざわざ寮の応接室で会う必要はない。 へやで話をしているうちに、日が暮れる。へやのなかは、だんだん暗
くなる。ふたりは、電灯をつけることを考えなかった。手を握り合ったまま、たがいの存在をうれしく意識していた。ただこう
して会っているだけですばらしいことなのだ。 そんなときに、ひよっこりと大橋が帰ってきたりする。なにもあやしいことを
していたわけではないけれども、ふたりはドギマギして大橋を迎え、急に明るくつけた電燈がまぶしかった。帰ってきた大
橋も、日ごろの豪傑ぶっているじぶんを忘れて、ドギマギするのである。 玲子はからだに注意しながら、幸をはアルバイト
にはげみながら、ともあれ、平穏に学生生活はつづいていた。 玲子はもう同室の学友たちに、毎日曜日に佐千夫に会
いに行くことを知られてしまっていた。出がけにみなは、「よろしくね」ということばを浴びせかけるのである。幸をのあたらし
い友人たちもまた日曜日に佐千夫を誘うことはしなかった。 アルバイト先で、佐千夫が手の指にケガをしたことがある。
そのときいっしょにはたらいていた大橋がイタズラ気をおこして、寮にいる玲子に電話をかけた。 人さし指をちょつと切っ
ただけなのに、大手術を要するようなホラをふいたのだ。 青くなって、玲子は車でとんできた。簡単にホウタイを巻いただ
けで元気で仕事をしている佐千夫に抱きついて、声をはなつて泣きだした。大ケガがデマだと知って、大橋をおこるよりも
、うれしかったのだ。 「くだらぬイタズラはよせ」  ふいの玲子の出現におどろういていた佐千夫は、やがて真相を知って
、大橋にカンカンにおこった。 またあるとき、玲子の寮に、不良がかったいとこの浦部繁行がたずねてきた。応接室で五
分ほど、玲子は会った。日光に行こうと、繁行はしつこく誘う。むろん、玲子はことわった。呼びとめるのもきかずに、応接
室に繁行を残して、へやにはいってしまった。 「いとこなら、もっと親しくしてもいいんじゃない?」 そう言う友だちに、玲
子は答えた。「彼におこられるもの、あんな不良とつきあっちゃ」 玲子にとっては、佐千夫といっしょでなければ、どんな
ぜいたくな旅行でも遊びでも、興味はなかったのだ。行ってみたい名所旧跡はいっぱいある。けれども、いつかは佐千夫
と行けるにちがいないのだ。(でも、ほんとうにはたして、行けるであろうか?) 不安があった。それまで、じぶんは健康で
いることができるだろうか。

 次回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【3】P41~P44 (原本P80~P82)を紹介します。
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 故郷は遠くにありて・・・忘れかけてた【遠い背景の記憶】原点回帰[211]【あゝりんどうの花咲けど】 

2023-12-15 | こころの旅


    あゝりんどうの花咲けど (昭和40年学習研究社「美しい十代」9月号P127~135)
第三章:はじめて玲子を見たとき、佐千夫は吸いかけた息をとめた。濃いまつげにかこまれた
      玲子のひとみに、窓外の景色が流れていた・・・・・。
 今回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【1】P34~P37 (原本P76~P79)の紹介です。

  ふたりのあたらしい生活がはじまった。玲子は女子大の寮にはいった。食堂に集まっての自己紹介のとき、 「恋人は?
」 上級生がからかい気味にそうきいてくる。 「いいえ、いません。みつけてください」 たとえいてもそう言うのが普通であ
る。玲子もみなと同じように答えながら、みるみる顔があからむのをとめることができなかった。 佐千夫は、へやを借りた。
やはり同じ大学に入った大橋といっしょに暮らしはじめたのである。 「おれとではなく、彼女と住みたかったんじゃないか
?」 「バカを、言え」  佐千夫と大橋は、ナベやカマを買ってきて、自炊をはじめた。食事つきの下宿よりも、そのほう 
が安あがりだし、また栄養もとれる。もちろん、忙しいときやめんどうくさいときは、街や大学構内の食堂で簡単にすませる
。 玲子が遊びに来た。 「案外、きれいだわ。万年床でゴミだらけにして暮らしていると思ったのに」 そうであったら掃除 
してあげようと思ってエプロンを用意してきた玲子は、ひょうしぬけした声で言った。  佐千夫と大橋は、顔を見合わせて
笑った。玲子がくるというので、ふたりは朝早くから大掃除をして待っていたのである。 途中、大橋は気をきかして、「お
れ、一時に人と約束があるんだ」そういって出ていった。 「アルバイト、疲れるでしょう?」  佐千夫は昼の学部に入学し
ていた。けれどもうまく時間割りをつくって、アルバイトをはじめていたのだ。(大学では、じぶんで時間割りをつくる)高校
とちがって、講義にかならず出席しなければならないわけではない。 「なあに、たいしたことはない」  もちろん、母から
の送金はある。けれども、それだけでは足りない。大学の四年間、費用のすくなくとも半分は、アルバイトでかせぐつもり
であった。一定の仕事ではなかった。大学には学生生活課というのがあって、そこでアルバイトの世話をしてくれる。掲示
板にあらゆる種類の仕事の求人ビラが並んでいる。それを見て、気に入ったのを申し込むのである。いいアルバイトは、
応募者が多い。その場合は、くじ引きであった。 「今までどういうことをしたの?」「最初はハガキのあて名書きだった。
選挙用のやつだから、普通のより高かったよ。あきらかに事前運動だが、そんなのぼくの知ったことじゃない。そのつぎが、
引っ越しの手伝いだ。すごく金持ちの家でね、引っ越しも三日かかった」  朝早く、犬を散歩させるだけのアルバイトもあ
った。その犬は、佐千夫や大橋が買ってきて食べる肉よりも上等の肉をたべていた。ビルの夜警もあったし、土方仕事も
あった。家庭教師は、学生たちのもっともねらっているアルバイトだ。商店の配達係もあれば、風船をふくらませるアルバ
イトもあった。時間と体力の許すかぎり、佐千夫はなんでもやる。「勉強のほうだいじょうぶ?」「だいじょうぶさ。みんな、
高校時代の受験勉強の反動で、遊んでばかりいる。その間、こっちはちょっとばかりはたらいているだけなんだ。勉強す
る時間は、アルバイトをしていない連中とたいして変わりはない」
 それよりも、佐千夫には、玲子の健康が心配だった。なにしろ生活が急に変わったのだし、東京の空気は濁っている。
騒音もはげしいし、神経をつかうこともはなはだし。「あたしはだいじょうぶ。気が張っているせいか、前よりよくなったみた
いよ」 しかし、どことなく疲れているようだ。佐千夫はそう思う。 しばらく話をして、ふたりは街へ出た。こうして会っている
とき、映画などを見るのは時間がもったいない。その日、ふたりははじめて新宿御苑に行った。 御苑のなかを散歩しな
がら、「ぼくのおふくろ、いよいよ再婚するらしい」「まあ、すてきじゃない。あたし、なにかお祝いを贈らなきゃ」「ぼくも贈ら
なきゃいかんかな」「いっしょに贈りましょう」 考えれば、それは奇妙な会話であった。 玲子は佐千夫の腕をとった。腕を
とられた部分が、うずくような感覚に襲われる。「でも、ちょつと寂しいでしょう」「うむ」 「ヤキモチを感じない?」「そんなこ
とはない」 佐千夫は大声で否定した。その声があまり大きすぎたので、前を歩いているアベックがふりかえったほどであ
る。 「ごめんなさい。つまらないことを言って。で、式にはいなかへ帰るの?」「いや、ぼくは出ない。おふくろの結婚式に
出るなんて、へんじゃないか?」「それもそうね」 しばらくして、佐千夫は低く言った。 「再婚するぼくのおふくろを、きみ
はいやらしいと思うかい?」 「ちっとも、だってまだあんなにお若いんだもの」 ふたたび間を置いて、佐千夫は言った。
「若い未亡人は、再婚してもいい。じゃ、もしきみが若くて夫に先に死なれたら、やはり再婚する?」 「ま、あたし?」
 思いがけずじぶんがひき出されたので、玲子はまごついた。 「そうねえ」 佐千夫の目は、しんけんだった。 「わから
ないけれど・・・・・」 あたしはしない。一生に二度も夫をもつなんて、あたしはいや。玲子はそう思う。けれどもそれをその
まま言えば佐千夫の母への批判になってしまう。 迷っていると、佐千夫はかさねて質問してきた。 「そうね。その立場に
たってみなければ責任あることは言えないけれど、今の気持ちではぜつたいにしない」 「おふくろもそう言っていたけれ
ど、やはり、再婚する」 「あたしはちがうわ」 ふいにはげしく、玲子は首を振った。 「あたしは、そんなことはしない。あな
た以外に男の人って、考えられないわ」 口走ったあとで「あっ」と気づき、玲子はまっかになった。佐千夫も顔を赤くした。
うろたえて、たがいに目をそらせる。 佐千夫は大股に歩きだした。 たちすくんでそのうしろ姿を見送っていた玲子は、
すぐに走り寄った。 「ごめんなさい。あなたのおかあさんをけなしたわけじゃないのよ。人にはそれぞれ生きかたがあるわ
。 ただあたしは・・・・・」 弁解する玲子の肩に、力強い佐千夫の手がかかった。 「ちがうんだ。おふくろはあれでいい。
ほかのどの女の人だって、あれでいい。しかしきみだけは、さっきのように答えてほしかったんだ。ぼくは今、うれしいんだ」
 そして、耳に口を寄せ、 「さっき、”あなた〟っていったのは、ほんとうかい?」 玲子はうなずいた。あたしたち、婚約し
たのだわ。そう思った。佐千夫は、母の再婚をすこしも気にしないでいい立場にいるじぶんを意識した。 彼には、玲子が
いるのだ。今は母よりも貴重な人となっている。

 次回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【2】P38~P41 (原本P79~P80)を紹介します。

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 故郷は遠くにありて・・・忘れかけてた【遠い背景の記憶】原点回帰[210]【あゝりんどうの花咲けど】 

2023-12-12 | こころの旅

    あゝりんどうの花咲けど (昭和40年学習研究社「美しい十代」10月号P90~97)
第二章:佐千夫の目は燃えた。玲子は本能で、佐千夫の感情のあらし
      を直感した。玲子は目を閉じ、佐千夫の腕に力がこもる・・・・・・・。
 今回は、【あゝりんどうの花咲けど】編集版【5】P30~P32(原本P96~P97)の紹介です。
 ふたりがはじめて、ことばでおたがいの気持ちをたしかめ合ったのは、年が明けた冬休みのある日であった。
 受験勉強の気分転換にと、そのあたたかい日、ふたりは日帰りの沖ノ島行きの観光船に乗った。海の上で、ふたりは
並んで、白く光る波をみつめた。海の風はつめたくなかつた。島の港からロープ・ウェイで、沖ノ島の中心をなしている
山頂へ上がる。 ゴンドラのなかからはるかに下を見やる。ホテルやゴルフ場が、絵のように見えた。客は二人だけだった
。 玲子がささやいたのだ。 「今、ロープが切れて落ちても、あたし、あなたといっしょなのね」 手は、佐千夫の腕をつか
んでいた。玲子のことばの奥の意味は、佐千夫にはまっずぐにわかった。 「そう、いっしょだ」  若い女の乗務員は、遠
慮して、ガラスに顔をつけて外をみつめている。ふたりは手を握り合った。 「あなたといっしょだったら」 と、玲子は顔を
伏せながら、 「死ぬのだってこわくない」 佐千夫の胸は、とどろいていた。呼吸を静めながら、耳もとに口を寄せる。 「
好きだから?」 「ええ、好きだから」 「ぼくもだ」 そのはじめての愛の告白のつづきを、玲子は山頂のベンチでつぶやく
ように言った。 「でもあたし、きっとあなたよりも先にひとりで死ぬわね」 「そんなバカな」  はげしい語調で、佐千夫は
否定した。それからじぶんのからだの弱さを嘆く玲子のことばと、その気弱さを叱るように激励する佐千夫のことばがかわ
されるうちに、いつのまにか、玲子のからだは佐千夫の腕のなかにあった。そこは、茶店の裏で、大きな岩が左右の目を
さえぎっていた。海に何隻かの小舟が浮かんでいるだけである。小さく見える。 「ぼくといっしょに強く生きるんだ」佐千夫
は玲子の胸を抱きしめて、命令するように言った。玲子は、うるんだ目でうなずいた。激情が、佐千夫をとらえた。佐千夫
の目は、燃えた。本能で、玲子は佐千夫の感情のあらしを直感した。玲子はふるえた。おののいた。けれども、近づいて
くる佐千夫の顔を、玲子は避けなかった。逆に、からだをかたくしたまま、目を閉じた。玲子を抱いている佐千夫の腕に力
がこもった。 瞬間、ふたりはお互いのくちびるお感じた。それは、すぐに離れた、玲子は耳まで赤く染めて、顔を伏せた
。 息苦しい。 「おこった?」 佐千夫のわびるような声に、玲子はかすかながら、横に首を振った。ただただ恥ずかしか
っただけである。 

 冬休みは、沖ノ島でのその強烈な記憶をふたりの胸にきざんで、たちまち過ぎた。三学期になった。受験生たちは、顔
つきまでかわってきた。 「あたしは、ムリはできないからだだから、気がらくだわ、あなたも気をつけてね、からだをこわし
ちゃ、元も子もなくなるわ」 「きみこそ、クラスメートのペースに乗ってついやりすぎるなよ。ぜったいだいじょうぶなんだか
ら」  入試の期日は、ちがっていた。玲子は父につきそわれて上京し、佐千夫は大橋をはじめ数人の友だちと上京した
。駅まで、母といっしょに岡本謙三も見送りにきた。 「あれ、どこのおやじだい?」 ふしぎそうにきく大橋に、佐千夫は笑
って答えた。 「ひょっとしたらおれのおやじになるかもしれん人なんだ」 もう佐千夫は、じぶんに遠慮しているふたりの
おとなを、逆に気の毒に思うようになっていた。 入試は、おわった。佐千夫と玲子ははじめて顔を合わせ、おたがいの
できぐあいをたずね合った。ふたりとも自信はあったが、 「まあまあだ」 「あたしも、まあまあってところ」
 玲子の発表が、先にあった。自信のとおり合格であった。佐千夫はじぶんのことのようによろこびながら、いよいよ、おれ
はぜったい落ちられないぞ。そう思った。佐千夫も合格した。まっさきに、佐千夫はそれを玲子にしらせた。電話で玲子は
「ばんざい」を叫んだ。
 こうして、ふたりは同時に、親のもとを離れて東京での学生生活を送ることになった。それはからだの弱い玲子にとって
も貧しい佐千夫にとっても、けっしてなまやさしい生活ではないはずであった。
 次回は、あゝりんどうの花咲けど (昭和40年学習研究社「美しい十代」9月号P127~135)
第三章:はじめて玲子を見たとき、佐千夫は吸いかけた息をとめた。濃いまつげにかこまれた
      玲子のひとみに、窓外の景色が流れていた・・・・・。
【あゝりんどうの花咲けど】編集版【1】P33~P37(原本P76~P79)を紹介します。




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