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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ゴールデンカムイ

2024-02-29 15:55:17 | 映画(か)
評価点:75点/2024年/日本/128分

監督:久保茂昭

「再現度」は高い。しかし、それで満足していては……。

1904年の日露戦争で両国ともに多くの死傷者を出した。
その二年後、激戦を生き延びた杉元佐一(山崎賢人)は、北海道で砂金をさらっていた。
しかし、見つからず途方に暮れていたところ、出会った酔っ払いがアイヌが隠した金塊の話をしはじめた。
話によれば、その金塊は北海道のどこかに埋められて、そのありかが脱獄した死刑囚の体に暗号として入れ墨で刻まれているということだった。
信じられない杉元だったが、ヒグマに襲われたその男には、不自然な入れ墨が入っていた。
男の遺体を担いでいた杉元だったが、獲物を奪われたヒグマが杉元を狙っていた。

「ヤングジャンプ」で連載されて大きな話題になったマンガの、実写映画化作品。
速報が入った時点では、誰もが「やめておけ、無理だ」と待ったをかけた曰く付きの作品だ。
しかし、公開されるやいなや、大きな話題になり、観客動員数も伸び続けている。

私の隣に居た客(中年女子)は、原作を見たことがないと言いながらラストで号泣していた。
その意味では、原作を忠実に再現しただけではなく、ある程度「自律性」のある物語としても成立していると言えるだろう。

主演はマンガ実写化請負人こと、山崎健人。
「キングダム」と「ゴールデンカムイ」によって役者人生を終えるのではないかと言われるほど多忙なアクション俳優である。
もちろん、私はほとんど、みたことがない。

興味のある方は是非、というか、興味のある方はすでに見終わっているので、こんな批評で行く動機にはならないが、十分鑑賞に堪えうる作品であることは言えるだろう。

▼以下はネタバレあり▼

原作はすべて読んでいる。
話題になったときに、周りにも勧められて読ませてもらった。
映画を見に行くかどうかはあまり決めていなかったが、タイミングがあったので見に行くことにした。
周りからは事前に再現度が高い、という話は聞かされていたので、日本映画に対する非常に低い期待感と原作の面白さや前評判の高さとが相克して、フラットな気持ちで座席に着いた。

内容としては原作の10分の1ほどのところで終わっている。
ちょうどきりがよいところで、適度な見せ場がある場面で終わっている。
だが、当然だがこれで完結できるほど原作は短くない。
だから、原作とは違って若干構成が変更されている。

細かいことを述べても仕方がないが、要するに杉元佐一が金塊にこだわっている理由が描かれた第一部ということが言えそうだ。
フォーカスされているのは、杉元であり、原作ではアイヌのアシリパちゃんにそのことを告げるのはもっと後になる。
けれども、ここで告白しなければ物語としての完結性が失われてしまうという判断だろう。
これは実に正しかった。

こういう映画は、ただ原作をなぞるだけでは失敗する。
映画としての自律性がなければ、おもしろい作品になるはずがないからだ。
ヴィジュアルの再現度ばかりが注目されがちだが、映画を支えるのはそれだけではない。
原作のある程度の変更は、やむを得ないし、そうでなければ脚本家は不要になる。
(原作とその翻訳については最近議論になっているので、これ以上触れないでおく)

話題になっているヴィジュアルも非常に完成度が高いと言えるだろう。
もちろんコスプレといえばその通りなのだが、冒頭の日露戦争の激戦や小樽の街並みなど、セットやCGなどを工夫しながら臨場感ある背景や演出を作り上げている。
テレビやタブレットなどで鑑賞すればもっと「アラ」が目立つかもしれない。
けれども、それはどんなハリウッド映画でも同じことで、映画館で鑑賞させるだけの映像が作れれば十分だろう。

変態のキャラが多い中で、俳優陣も喜んで変態を演じているようにも思う。
コンプライアンス的に登場させにくいキャラが今後出てくるが、どのように描くのか楽しみではある。

だが、ここまでは及第点であって、これで満足できるかといわれれば、そうはいかない。
アラを探すつもりはないが、この一作目で上がったハードルを、原作の魅力を生かしながら実写に落としていくのは非常に難しさが伴うだろう。

もっとも気になったのは、テロップだ。
テロップによって説明しようとする手法は一般的だが、テロップで説明すればするほど観客は画面と客席にある越えがたい境界線を意識してしまう。
いわば「これはフィクションです」と宣言しているようなものだ。
もちろんナレーションも同じだ。
上映時間の関係もあるし、カタカナにされないとアイヌの言葉が聞き取れないということもある。
演出上仕方がないのであれば、それを生かした必然性のあるものにしなければ、映画としては興が削がれることになるだろう。

リアルな演出がある一方、不意にフィクション要素が強くなるところもある。
わかりやすいのはラストの見せ場になっている小樽を馬車で爆走するシークエンス。
単純に言って、長すぎる。
見せ場として成立させるためにとはいえ、不自然に長いので、冗長気味になっている。

また、アシリパちゃんが弓で鶴見中尉の馬を射たが、次のカットには鶴見中尉の馬はなくなっていた。
不自然極まりなく、テレビの時代劇や大河ドラマを彷彿とさせるチープさが見え隠れしてしまう。こういうのが「ある」ことがいけないのではなく、感じさせない演出が必要である、ということだ。
まだまだ上手くやれる余地はあるように思う。

そして、次回作を作る気満々のラストで、今後の展開に来させるエンドロールになっている。
原作をこれまでどおりトレースするような構成ではなく、登場人物を切り取るような作品構成にするべきだ。
もちろんそれ以外の方法もあるだろうが、原作をそのまま描いたのでは、冗長すぎて面白さは半減する。
せめて長くても4部作が限界だろう。

ゴジラ-1.0」にしても、本作にしても、映画の見せ方でいくらでもおもしろくできる、ということは見えてきたはずだ。
アイヌ民族への迫害という暗い歴史は、私たち「和人」にも責任がある。
正しく映像化されることを望む。

私の奥さんは、高校時代の北海道修学旅行で、「アイヌ民族博物館」の来館なるルートを選択したのに、担当教員の独断によって「そんなところ誰も行きたくないから行かないでおこう」と当日になって変更されたという。
「やっと時代が私の感性に追いついた」と息巻いていたが、アイヌについての描かれ方も一定きちんとしている(ように感じる)。
こういうリスペクトは、作品にとって重要なファクターになりつつある。

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