東近江市八日市東本町の現「東近江敬愛病院」は昭和38年(1963年)に山口睦彦医師が国立滋賀病院(東近江市)を経て、「山口外科病院」を開院している。早いもので58年前となる。
同業の「広島外科」は1年早くの1962年(昭和37年)に東近江市内で開院している。
戦後の八日市には元陸軍病院だった国立病院(現東近江市総合医療センター)と宮地病院(現宮地医院)、小沢病院(八日市浜野)くらいしか入院できる病院がなかった。
しかし、国立病院はサナトリウムが発祥で、内科系中心だったと思う。よって外科の病気は宮地病院で手術を受ける人が結構多かった。また、妊婦も入院していた。
そんな中、高度成長期に「山口外科病院」が出来たのである。規模は今の「東近江敬愛病院」より小さかったが宮地病院よりも病床が多く、外科病院としてのニーズはあったと思う。
それが総合病院の東近江敬愛病院や青葉メディカルなどとしての前身となった。