笑顔の魔法

猫が読む聖書
天から愛猫が送ってくれるメッセージから書いていますニャン。

はじめての開花で見せられたシルシ

2024-05-16 09:22:22 | 生き方
今朝、ママたんが起きてベランダのお花たちにお水をあげているときでしたニャン。

「みてください」
そんな声がどこからともなくきこえてきました。

ママたんが周囲を見渡していると、
天井近くのところに赤い色のお花を見つけましたニャン。

わ~咲いてくれたのね~ありがとう!!
ママたんは感動してお花さんにお礼を言いました。


このブーゲンビレアさんは、
お姉ちゃんの大学時代の友人が救われたあと、
礼拝の時に持ってきてくれたお花でしたニャン。

魂の花ともわれているお花ですニャン。
花言葉は、PASSION(情熱)

そのお友達は、大学で初めて日曜日に課外授業があった日、
(ママたんはミッションスクールでどうして日曜日に?と言ってたくらい、)
初めてのことでしたニャン。

その日は、日曜日で大阪集会の礼拝の日でしたニャン。
毎月一回、当時は第3日曜日の午後から礼拝していましたニャン。
今は第2日曜日に切り替えていますニャン。
大阪から空や空気、大地を通って地球の果てまで賛美を流していますニャン。

朝から授業に出かけたお姉ちゃんが帰ってきた時、
2人のお友達を連れてきましたニャン。
「今日、知り合ったの」

???

「家で礼拝しているので来ない?」
と誘ったらついてきたというのでしたニャン。

礼拝が始まると、チャラくんが一人の少女のそばにピタッとくっついて、
両手を揃えて祈りポーズをしましたニャン。
礼拝中、さんびのなかで、その少女は涙を流していましたニャン。
チャラちゃんは、ママたんに何かを訴えるようにして目配せをしていましたニャン。

礼拝のなかで神さまが一人ひとりを祝福されていましたニャン。
聖餐式の時、神さまの愛がお部屋いっぱいに満ちていましたニャン。

礼拝が終わっても、チャラちゃんは少女のそばにくっついて離れませんでしたニャン。

はじめてきた人には祈らせていただきますニャン。
最初にチャラちゃんが訴えていた人から。

その人はもっと涙を流して泣きながら、イエス様を信じる祈りをしましたニャン。
「洗礼を受けませんか?」
ママたんの勧めに頷いて洗礼を受けましたニャン。
美しい天の光が差し込む瞬間で、その人は救われましたニャン。

ママたんの耳にその人の洗礼名が聞こえてきましたニャン。

その光景を見ていたもう一人の少女も、
「わたしも洗礼を受けたい!!」
と言って救われましたニャン。

さすがミッションスクール。
多くの人たちが祈られている背景も感じましたニャン。

チャラちゃんは二人が救われたのを見て、
ホッとして毛づくろいをしていましたニャン。

クリスマスアドベントのはじまりの日、
美しい救いの始まり。
本当のクリスマスが二人に与えられた記念日になりましたニャン。

日曜日の課外授業の意味はこれだったの?
みんなが帰っていかれた後、
ママたんとお姉ちゃんは神さまに感謝して祈りをお捧げしましたニャン。

翌日、お姉ちゃんが大学から帰ってきた時、
「ママ聞いて聴いて!」

お姉ちゃんが大学に行くと、その少女が駆け寄ってきて、すごい証をしてくれたそうですニャン。
その少女は過食症と拒食症を繰り返していたそうで、それが癒やされたと。
朝起きたら世界が変わっていてキラキラ輝いていたことを話してくれたそうですニャン。

”神のなされることは皆その時にかなって美しい。
(伝道の書3:11)”

神のなされることは皆その時にかなって美しい。
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
(伝道者の書3:11)

「神はすべてを時宣(じき)にかなうように作り、
また、永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されない。」
(新共同訳 コヘレトの言葉3:11)

それから、その少女はママたんに何通もの手紙でお礼や証を書いてきましたニャン。
人が知らないことを神さまはすべてご存知で救われる。
二人は礼拝に通ってくるようになりましたニャン。

そんなある日、鉢植えのブーゲンビレアを持ってきてくれましたニャン。
お花が大好きなママたんはせっせとお水を挙げて会話してお手入れをしていましたニャン。

でも・・・
その次の年からお花は一度も咲くことはありませんでしたニャン。
悩みや苦しみに思いが痛めつけられる年代の少女たち。
しばらく礼拝に来なくなった時期がありましたニャン。

「**はどこにいる?」
神さまのお声も聞こえましたニャン。

ママたんは毎日祈り続けましたニャン。

ある時、再会の機会を与えられて、また礼拝に集うようになりましたニャン。

「母が礼拝に行って帰ってくると、別人みたいにイキイキしていると言うんです」
といつも言ってましたニャン。

良かったニャンね。

新型コロナウィルスが世界を震撼とさせて蔓延になって、
政府から隔離政策を言われるようになりましたニャン。

ママたんは、あることでお祈りしていた中でこんなことが起きるなんて・・・
と驚いていましたが、神さまはすごい!
一人で、またはお姉ちゃんが帰阪できるときは二人だけの礼拝になりましたニャン。

ワクチン接種が始まってからは、妹ちゃんや他の方々は接種されたため、
シェディングを受けるママタンとお姉ちゃん二人だけでの礼拝になりましたニャン。
どんなときも、神さまもイエス様も聖霊様も一緒、
礼拝に来ない人たちも守られるよう祈り続けましたニャン。。

天に帰られた人たちも一緒に、
天国と地上をつなぐ礼拝をお捧げする思いは変わりませんニャン。

来れない人たちはネット礼拝をみんなでお捧げしましたニャン。
まだまだ終息も収束もしていないので、一緒に礼拝することはできませんが、
その人は今、近くの教会で奏楽のご奉仕をしているそうですニャン。

置かれたところで主を礼拝する。
霊とまこととを持って礼拝する一人ひとりを神さまは祝福されていますニャン。

今はメールで交流している関係ですニャン。。
いつも丁寧にママたんのことやお姉ちゃんのこと、
ママたんが関係する人たちのことも祈ってくれてる文章で締めくくられていますニャン。
互いに祈り合える関係は麗しいですニャン。

赤いブーゲンビレアの開花が彼女の信仰のシルシに思えたとママたんが話して祈っていますニャン。

もう大丈夫!!

信仰を与えてくださった神さまの愛のなかで、、
真理に生かされている存在がこれからも永遠に祝福されますように。

神は愛なり。
(第一ヨハネ4:16)
”わたしたちは、
神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、
かつ信じている。
神は愛である。
愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。”

マルチン・ルターも、こう言っていますニャン。

愛は唯一の、永遠なる、
言葉では言い表せない善性であり、
あらゆるもののうちで最高の宝です。
そして、その愛の名は神様御自身です。
この神様からすべては発し存在するようになるのであり、
すべてはその同じ愛によって維持されています。
さらに、愛にとどまる人は神様にとどまり、
神様はその人にとどまってくださいます。

感謝ニャ~
ニャーメン。




















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