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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

八十八夜の新茶と姉の思い出

2024-05-07 23:31:33 | フォトエッセイ
 今年の八十八夜の新茶が届いた。贈り主は私の姉の娘、つまり姪である。
 この時期、新茶を贈ってくれるのは、三年前の今頃亡くなった姉の毎年の好意だったが、それを姪が引き継でいてくれているのだ。

      

 この亡くなった姉と私の関係は特殊であった。私たちの実母は、私が生まれて一週間ほど後、いわゆる産後の肥立ちが良くなくて亡くなってしまった(その意味では私は母殺しの鬼子だ)。実父は女姉妹ばかりの家へ婿養子で入っていたのだが、「家を守る」という昔風の流儀で、実母の妹と再婚することになった。しかしその折、その妹は女学校を出たばかりの19歳、乳飲み子の私やその2歳上の姉をとても面倒見きれないとうことで、姉と私は親戚中をたらい回しにされた結果、別々のところへ里子に出されてしまったのだ。

 以後、私が40歳を過ぎるまで、再会することはまったくなかった。ようするに、お互い80年以上を生きたのだが、その半分は消息すら知らないままだったのだ。
 私は、そうした生き別れの姉がいることは知っていたが、良くしてくれた養父や養母に悪いと思い、私の旧家や姉のことを所詮は縁のなかった仲だと諦めて、探そうとはしなかった。しかし、姉の方は、いろいろな伝手を辿って私を探し当ててくれた。

 それ以後の付き合いであるから、子供の頃も、それ以後も喧嘩などはしたこともなく、再開後も、旧家が「家」をリセットするためにお互い締め出された境遇ということもあって仲良くしてきた。多少の遠慮を含みながらの仲ということでそれも特殊であったかもしれない。

          
 せっかくの新茶をマグカップで・・・・とお思いかもしれないが、これが私の流儀だ。湯のみ茶碗のセットはいくつもあるが、それでチマチマと飲むのではなく、これで最初は香りを楽しみながらすするように飲み、最後の方はゴクリと飲み干す。

 その姉が、住まいが静岡県ということで毎年、この時期に贈ってくれたのが八十八夜の新茶であった。それを今、姪が継承してくれているわけである。姉との繋がりが今も続いているという思いがして嬉しい限りである。
 その喜びを率直に書いたお礼の手紙を書いた。

 子供の頃、童謡の「花かげ」を聴くと、なぜか生き別れの姉のことを想い、胸キュンになったことを、いま懐かしく思い出している。
 https://www.youtube.com/watch?v=N3HEyJDTAWY

 


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