スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

天龍の雑感⑲&事前の調整

2024-04-24 19:08:51 | NOAH
 天龍の雑感⑱の最後のところでいった馬場の指導については,天龍源一郎が何かを具体的に語っているわけではありませんから,僕の方から補足します。
 馬場は身体の大きな選手と小さな選手の差異を,飛行機で喩える場合がありました。身体の大きな選手がジャンボジェット機であるとすれば,小さな選手は小型機であるというようにです。ジャンボジェットと小型機では,初動には差があります。加速は小型機の方が早いですし,トップスピードに乗るのも小型機の方が時間が掛かりません。つまり,身体の小さな選手の方が早くプロレスに順応することができるし,トップクラスで戦えるようになるのです。これに対してジャンボジェット機は,初動の加速は鈍く,トップスピードに乗るまでに時間を要しますが,トップスピードに乗ってしまえさえすれば,小型機よりもずっと速いスピードで飛ぶことができます。つまり,身体の大きな選手はプロレスに順応するのに時間を要し,トップクラスで戦えるようになるまでにも時間を要しますが,トップクラスで戦えるというところまで来ると,身体の小さな選手を凌駕するようなレスラーになれるのです。
 三沢光晴秋山準は,全日本プロレスに入団してからそれほど時間を掛けずにデビューしています。それはもちろんこのふたりはアマレスでの基礎がしっかりしていたからということもあるでしょう。しかし一方で,身体がそれほど大きいいわけではなかったので,プロレスに順応するのが早かったから,早い段階でデビューすることができた,いい換えれば馬場がデビューにゴーサインを出したということがあったようにように思われます。
 ここから理解できるように,初動の加速に差異があるのだから,身体の小さな選手がすべき練習と,身体が大きな選手がすべき練習の間にも差があるべきだと馬場は考えていました。実際に馬場がそれぞれにどのような練習を指導していたのかは分かりません。ただ,馬場はそれをたぶん分けて指導していたのではないかと思います。そしてそれができたのは,あるいはこのような考え方ができたのは,馬場自身が稀有に大きな身体をしていたからだと思います。とくに身体の大きな選手には適切な指導が求められるのであって,そこで失敗してしまうと大成することはなかなか難しいのでしょう。

 面会するとなると,事前に日時の調整をするのが自然です。もっともこの場合は,ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizはパリからハノーファーへ戻る中途の旅路でしたから,面会しようと思えばいつでも会える状況にあったといってよいでしょう。だからといって何のアポイントメントもなしにレーウェンフックAntoni von Leeuwenhookやスピノザを訪問したとしても,相手が会ってくれるとは限りませんし,多忙で面会できる状況にないかもしれません。ですからレーウェンフックのときもスピノザのときも,ライプニッツは事前に日時の調整を行っていた筈です。ナドラーSteven Nadlerはレーウェンフックについては何も書いていませんが,スピノザについてはシュラーGeorg Hermann SchullerおよびチルンハウスEhrenfried Walther von Tschirnhausから報知を受けていたといっていますので,スピノザもライプニッツと会う準備をしていた筈です。なので,レーウェンフックと面会できる日時が,スピノザを訪問する日時に近ければ,アムステルダムAmsterdamからデルフトDelftに行き,そのままハーグDen Haagへ向かうのが自然ですが,日時に乖離が生じてしまった場合は,デルフトでレーウェンフックに会った後,一旦はアムステルダムに戻るという,非合理的な行程を,仕方なく組まざるを得ないケースが生じ得ます。なので『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』の記述は,そのまま解するとライプニッツの行程はきわめて非合理的であったと解せるようになっていますが,事実としてその通りであった可能性も残ります。
                                        
 フロイデンタールJacob Freudenthalの『スピノザの生涯Spinoza:Leben und Lehre』では,ライプニッツはハーグでスピノザを再三にわたって訪問したと書かれています。つまり,ライプニッツとスピノザの面会は,1度ではなかったということになります。このことはライプニッツ自身が,繰り返し,長い時間にわたって話し合ったという主旨のことをいっていることから確定することができます。ということは当然ながらライプニッツは,何日間かはハーグに滞在したことになります。ナドラーはそれを数週間といっていますが,この部分はおそらくという推測の形で記述されていますから,そのまま史実と確定することはできません。とはいえ何の根拠もないような推測ではあり得ませんから,少なくとも2週間はハーグにいたと考えてよいでしょう。

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