時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

ラブレターのような弔事

2022年09月28日 | 時のつれづれ・長月 

多摩爺の「時のつれづれ(長月の32)」
ラブレターのような弔事(元総理の国葬)

2022年9月27日(火)、東京九段の日本武道館は、爽やかな秋晴れに恵まれていた。
賛否両論があったが・・・ 4,000名超が参列した安倍元総理の国葬が終わった。
会場の外に設けられた、一般弔問者むけの献花台にも大勢の人々が並び、
朝早くから、日が暮れるまで、元総理に別れを告げている。

葬儀委員長を務めた、岸田総理の弔辞も素晴らしかったが、
なにはさておき、まるでラブレターかと思うぐらい、
心の琴線が大きく揺れたのは、菅前総理の弔辞で・・・ これには、うるっとくるものを感じた。

昨年、父の葬儀では、喪主(母)に代わって、お礼の挨拶を務めたが、
義父母の葬儀の時は、緊張していた義弟のために、挨拶文をA41枚に下書きしている。
長年、人事や企画総務の仕事に携わっていたこともあり、
たいして苦もなく、歯が浮くような文が書けるのは・・・ ひょっとしたら特技かもしれない。

そもそも弔辞なんてものは、歯が浮くような文言で、お涙ちょうだい的なのが普通で、
国葬だからといって・・・ 期待するものでもないものの、
岸田さんと管さんの弔辞は、あんなこと言われたら、安倍さんも堪んないだろうなと思うぐらい、
練りに練られた・・・ 秀逸の弔辞だったと思う。

よって今日は、つまらぬ事を書くまでもないだろう。
生きてるうちに、次があるか分らない国葬という儀式に接して、
友人代表として立たれた、菅前総理の弔辞を・・・ ここに記しておきたい。

友人代表 菅義偉前総理の追悼の辞(全文)

 7月の8日でした。

 信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。
 あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気をともにしたい。

 その一心で、現地に向かい、
 そして、あなたならではの、あたたかなほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

 あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。
 あれからも、朝は来て、日は暮れていきます。
 やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、
 高い空には・・・ 秋の雲がたなびくようになりました。

 季節は、歩みを進めます。
 あなたという人がいないのに・・・ 時は過ぎる。
 無情にも過ぎていくことに、私はいまだに、許せないものを覚えます。

 天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、
 いのちを失ってはならない人から、生命を召し上げてしまったのか。
 口惜しくてなりません。

 哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日のこの日を迎えました。
 しかし、安倍総理と、お呼びしますが、ご覧になれますか。
 ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、
 たくさんの人が集まってくれています。

 二十代、三十代の人たちが少なくないようです。
 明日を担う若者たちが、大勢あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

 総理、あなたは今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。
 若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、
 毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

 そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。
 これが、あなたの口癖でした。

 次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて経済も成長するのだと。
 いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、
 歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。
 報われた思いであります。

 平成12年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。
 私は、当選まだ二回の議員でしたが「草の根の国民に届くのならよいが、
 その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない。」と言って、
 自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ・・・ これが新聞に載りました。

 すると、記事を見たあなたは「会いたい」と、電話をかけてくれました。
 「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、
  一緒に行動してくれれば嬉しい。」と、そういうお話でした。

 信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の政治活動の糧となりました。
 その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は直感しました。
 この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

 私が生涯誇りとするのは、
 この確信において、一度として揺らがなかったことであります。

 総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。
 そのことを負い目に思って、2度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。
 最後には、二人で銀座の焼鳥屋に行き、私は一生懸命あなたを口説きました。

 それが、使命だと思ったからです。
 3時間後には、ようやく首をタテに振ってくれた。
 私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも誇らしく思うであろうと思います。

 総理が官邸にいるときは欠かさず、一日に一度気兼ねのない話をしました。
 いまでも・・・ ふと、ひとりになると、
 そうした日々の様子が、まざまざとよみがえってまいります。

 TPP交渉に入るのを、私はできれば時間をかけたほうがいいという立場でした。
 総理は「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい。」という意見で、
 どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

 一歩後退すると、勢いを失う。
 前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。
 総理、あなたの判断はいつも正しかった。

 安倍総理、
 日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、
 特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、
 難しかった法案を・・・ すべて成立させることができました。

 どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。
 あなたの信念、そして決意に、
 私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

 国難を突破し、強い日本を創る。
 そして、真の平和国家日本を希求し、日本をあらゆる分野で世界に貢献できる国にする。
 そんな覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった。
 いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

 総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした7年8か月、
 私は本当に幸せでした。
 私だけではなく、すべてのスタッフたちが、
 あの厳しい日々の中で、明るく生き生きと働いていたことを思い起こします。

 何度でも申し上げます。
 安倍総理
 あなたは、我が日本国にとっての真のリーダーでした。

 衆議院第一議員会館、1212号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊ありました。
 岡義武著「山県有朋(やまがたありとも)」です。
 ここまで読んだという、最後のページは端を折ってありました。
 そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

 しるしをつけた箇所にあったのは、

 いみじくも、山県有朋が長年の盟友・伊藤博文に先立たれ、
 故人を偲んで詠んだ歌でありました。


 総理、いまこの歌くらい、
 私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
 「 かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後(のち)の 世をいかにせむ 」

 深い哀しみと、寂しさを覚えます。
 総理、本当にありがとうございました。
 どうか安らかに、お休みください。

 令和4年9月27日

 前内閣総理大臣 友人代表 菅義偉

菅前総理が、涙ぐみながら弔辞を読み終えると・・・ 期せずして場内に拍手が起こった。
葬儀の最中に拍手など、不謹慎であり、信じられないことではあるが、
毎度お馴染みの、飾り気のない口調で訥々と語りかける、菅前総理からのラブレター(弔辞)に、
参列されていた方々と同様に、私の心の琴線も・・・ 大きな音を立てて共鳴していた。

G7の首脳が一人も参列しないことに対して、
なにが弔問外交だと、小バカにするような声があがり、
国葬に反対する識者やコメンテーターなどが、メディアを通して饒舌に揶揄している。

ちょっと待ってくれ・・・ 会場の都合もあって、国葬の日程が9月27日になった時点で、
直近に行われる予定の、国連総会やNPTのスケジュールなどを想定すれば、
各国から首脳が来れないことぐらい・・・ 予め織り込み済みであって、
本来の外交目的は、国連総会やNPTなどの場で、既に果たされているとみるのが普通である。

よって、警備費や接遇費といった、国葬に掛かる体制や、コストなどから捉えれば、
政府は口にこそ出さないが・・・ 結果オーライとしているのではなかろうか?
批判したいが為の批判は、あまりにも見苦しい。

また、先週行われた、イギリス(エリザベス女王)の国葬と比べて、
どうしても・・・ 揶揄したい人たちが、相も変わらずたくさんいるようである。
君主国と、国民主権の国の違いや、君主と為政者の違い、宗教的な儀式であるか否かもあって、
そもそも論で、比較すること自体に、なんの意味あるというのだろうか?

無宗教の形式で行われ、なにかを期待する仕掛けや、この国特有の風習があるわけでもなく、
モノトーンの色調のまま、淡々と進行し、歌もないし、彩りもない、素っ気のないものだったが、
参列者がだれ一人として漏れることなく、最後の一人まで粛々と列に並び、献花を待つ姿は、
ある意味、厳かで・・・ 日本らしいなとも思った。

人の思いなんてものは、それぞれだから、賛否があるのは当然であって、
法律に触れない限り、なにを言っても自由の国だから、
イチャモンを付けようとするなら・・・ 賛否を支持する双方に山ほどあるだろう。

でも、良いんじゃないかな・・・ これで、
日本は、日本だから、他国と比較する必要はないし、
これで良いんじゃなかろうか?


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4 コメント

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Unknown (fuji3386)
2022-09-28 17:34:51
弔辞全文掲載ありがとうございました。何度読んでも涙が出ます。そしてどこから見ても完璧な送る言葉です。心が籠っていればこその文章です。
ことり
Unknown (多摩爺)
2022-09-28 19:23:29
ことりさん、こんにちは

仰るとおり、とっても素晴らしい追悼文だと思います。
政治的意図があると指摘したメディアもあったようですが、
まっ、それも自由なんで構いませんが、好き嫌いは別にして、素直に聞けよと言いたい気分でした。
弔辞に文句なし… (nekokoneko555)
2022-09-28 20:14:10
多摩爺さま。
賛否両論ある国葬でした。
賛成反対ではなく、弔辞には文句があってはならないと感じます。
全文を通し、真の心の籠る内容なことは間違いがありません。
全文提示してくださりありがとうございます。
Unknown (多摩爺)
2022-09-28 20:57:09
nekokoneko555さん、こんばんは

仰るとおりです。
私の心に触れた追悼文だったので、ネットに載っていて、著作権はないと思われましたので、表記させていただきました。

私は安倍さんと、同い年で同郷でもあり、思い入れは人一倍ありましたが、
同郷でもある、松下村塾出身の山縣有朋の句で締めたところは、さすがだなと思いました。
因みに伊藤博文は初代の総理大臣ですが、幕末に長州藩が密かにイギリスに留学させた長州ファイブの一人です。

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