時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
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自宅療養発言に至った背景

2021年08月11日 | 時のつれづれ・葉月 

多摩爺の「時のつれづれ(葉月の18)」
自宅療養発言に至った背景

いかなる理由があって、病気になろうと、
いかなる理由があって、新型コロナウイルスに感染しようと、
国民皆保険という制度の下で、この国で生活をしている人々であれば、
病院に出向き、診察を受けることを・・・ 医師から拒むことがあってはならない。

そこに持ってきて・・・ 新規感染者数が5,000人を超えた先週、
重症患者以外は原則として自宅療養にすると政府が発表したもんだから、
与野党含めて批判が上がり大騒ぎとなった。

その後、中等症のⅡ以上は原則入院と軌道修正したものの、
中等症のⅠと軽症については、自宅療養にするという考えを変えることはなかった。

それでも、メディアと野党は、ここぞとばかりに批判のボルテージを上げたが、
ちょっと気になることがある。

それは、一部の医療従事者と、一部の自治体トップは、メディアと野党に同調しているものの、
メディアによく出てくる医師会の幹部や、東京都などの多くの自治体からは、
表だって、批判の声が聞こえてこないことである。

なぜなんだ?
トリアージ(命の選択)について、政府がお墨付きを与えたというのに、
医師会や自治体が、烈火のごとく批判しないのは・・・ いったい、なぜなんだ?

つらつら考えてみると、一つのことに辿りつく。
それは、政府(総理)が・・・ 悪役を引き受けたと言うことではなかろうか?

全国の各地で、ほぼ医療崩壊に陥りかけている現状を踏まえると、
現場で待ったなしの判断(トリアージ)を下さねばならないのは、
保健所(自治体)と、医療従事者であり、
いままで、この国にはなかった、トリアージという重たい決断を、
明確な基準もないまま、彼らに任せるのは・・・ あまりにも酷だということに辿りつく。

そう捉えれば、政府の発表(入院基準の明確化)は・・・ ストンと落ちてくる。
現場に辛い判断をさせるのではなく、政府が悪者になって基準を作ることで、
医療に携わる尊い仕事で、精神的な負担を背負うことなく、判断と行動に躊躇がなくなってくる。

結論は現場の最前線で、必死に頑張ってる医療関係者に、
心理的なストレスを負わせるわけにはいかない。

政府の幇間をしたいわけじゃなく、肩を持ちたくて、こんなことを書いてるわけじゃないが、
医師会や自治体からの批判が上がってこないということは、
政府が悪役を引き受けたということであり、
医師会や自治体は、政府に助け船を出してもらったと思っているからに他ならないと、
推察できるのではなかろうか?

そういった背景があることを、政府が口にすることは恐らくないと思うし、
メディアはおそらく気づいているんだろうが、
残念なことに政策に寄り添う内容を積極的に伝えることは、
いままでも、これから先も・・・ ないだろう。

また、毎日のようにメディアに露出し、政治を語るコメンテーターや、いっぱしの解説者なら、
非難するだけじゃなくて、もっと想像力を働かせて、
政治決断の背景を語ってほしい思うが・・・ どうだろうか?

文章には「行間を読む。」って言葉があり、想像を膨らませてみることが間々あるが、
人が発した言葉を、ストレートに受け止めるだけでなく、
胸の内を読み、腹の中を探るのもまた奥が深い。

ハッキリ言えば、分かり易いのに、それが言えない立場ってものがあるんだから、
その職に就くのもまた・・・ 語るに語れない覚悟があったのだろう。

とはいえ、メディアからしたら、そんなことはどうでも良くて、
自宅療養者の辛い声を追っ掛け、現実がいかに過酷で、いかに恐ろしいかを訴え続けてる方が、
視聴率を稼げるんだから、練りに練られた思惑はあっても、
そこには心から通じ合えるものが見当たらない。

もちろん、そういった自宅療養者の現状を報道することが、必要なのは間違いないが、
思惑はあっても、この有事を解決したいと思う心がないので、
とっても大事なことが抜け落ちている。

それは・・・ 報道されている自宅療養者が、
いったいどこで、どういった場面で感染したと思われるのか、
療養生活の現状を伝えるのも良いが、なんでそうなったのか・・・ それを伝えなきゃ、
感染拡大にブレーキがかからず、行動変容には繋がらないと思うが、間違っているだろうか?

推測でもの申すわけにはいかないが、
「飲み会や、食事会で感染したかも?」なんて言えるわけがない。

しかし、それを報道することが、一番の感染抑止につながると思うが、
残念ながら・・・ メディアはそこんとこには、全く持って触れないので、
不安が不満となり、行き着くところは政府が悪いということになり、
それが国民の頭にすり込まれ蓄積されている。

近代における民主国家の基本は、
司法権、立法権、行政権をそれぞれ独立させた三権分立にあるはずだが、
いまここに来て、第四の権力「報道権(SNSなどのネット情報を含む)」が力を持ち始め、
時の政権を揺るがすのみならず、社会までもコントロールしようとしている。

メディアが長い時間をかけて拾い集めた、
「もう無理、もう我慢できない。」といった声を報道し続けたことで、
国民は、政府の言うことを聞かないでも良いという・・・ 免罪符をもってしまった。
為政者からの呼びかけを茶化しながら、自由という言葉を乱用して、
都合の良い情報を流し続けた、メディアやSNSの責任は極めて重いと思うがどうだろう?

さて、どうする。
批判をするだけなら、Twitterがお得意の、野党の女性幹部に任せておけばいい。
こういったとき、メディアが果たすべき本来の役割は、社会の「正義」に向くものだと思うが、
この国のメディアのベクトル(報道姿勢)は・・・ 正しい方向を指しているのだろうか?

いま、第四の権力(報道)に求められている、なすべき正義とは、
恣意的な批評や、偏った批判ではなく、呼びかけ(良い意味での同調圧力)なのではなかろうか?

相も変わらず、政府はなにもやってないという声が後を絶たないが・・・ じゃぁ聞こう。
あなたは、為政者の声に耳を傾け、感染を回避する行動を取ってきたのか?
まず、胸に手を当てて、自問自答してみたら如何なもんだろうか!
小学生の子供じゃあるまいし・・・ なんでもかんでも、人のせいにするんじゃない。

大変申し訳ないと思うが、自分の身は自分で守る、自分の家族は自分が守る、他人に迷惑をかけない。
その考え方は、新型コロナウイルスも、毎年のように発症するインフルエンザも何ら変わらない。
自分が変われば、環境が変わる。
環境が変われば、世の中が変わる・・・ ただ、それだけのことである。


追伸
あくまでも推測の域を出ないが・・・ 総理はワクチン接種の目標を達成し、
感染拡大がある程度落ち着いたら、混乱の責任を取って辞任を表明するのではなかろうか?
個人的な思いだが、そこまでの腹が据わっているから、
トリアージについて表明したのではと思っている。

昨年の秋から冬にかけてのことを、思い起こしてほしい。
メディアも野党も・・・ いまやゲームチェンジャーとなったワクチン接種には、
様子見することを推奨していて、国内での使用承認に付帯決議を付けるなど前向きではなかった。

もし、野党政権だったら、トリアージどころか、
ワクチンの本格接種が5月の連休明けからスタートできていただろうか?
ワクチン接種のスタートは、恐ろしいほど遅れ、
トリアージの恐怖は、もっともっと前にあったであろう。

そう思うと・・・ 現在の状況は、新規感染者のみならず、
重症者も増加の一途で、とっても恐ろしいと思うものの、
世界の各国と比較すれば、捉え方に個人差はあるが、亡くなる人は少なく、
生活に大きな支障がでているわけではない。

この状況を、どう捉えるべきなのか・・・ それは個人個人の思いによって違ってくるが、
対策に100点がないことは、理解しておくべきだろう。

好き勝手に、人を批判することは容易いが、
人のために行動することが・・・ なんと難しいことか?
改めて痛感する昨今でもある。


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