つらつら日暮らし

存覚上人『彼岸記』参究(2)

(1)】の続きである。

 (記載抜け)……此花のかず人間の生年生ものヽかずと同きなり。よて善つくる人にあたりたる花はあざやかに匂ことに殊勝なり。悪をつくるものにあたる花は色けがれくさくにほふなり。此花より衆生をたヾして名字をかきつく。善をば宝札とて金の札につく、悪は鉄札にかき、無記の衆生をば非宝非縛印とて金鉄和合の札にかくなり。善悪無記の三性人、此札にのらずといふことなし。
 又これにかきつけられたる記を三種の正印とて、よき札は帝釈のあづかりにて忉利天の善法堂におさむ。悪の札は炎魔王のあづかりにて、光明院とて炎魔庁の九面の業に鏡にそへてをかるヽなり、此札は生々世々すてざるなり、決定業なり。二季の彼岸のあひだのわざをば善にても悪にてもこの二の札にかきつけらるヽがゆへに、決定業といふなり。この評定聚を申は色界頂の大自在尊をはじめとして八神ならびに、大梵天王・大歳八神乃至王女道祖神等、人中天上の冥官・冥衆一切の諸神集会して、天尊八神に勅して三巻の書に録して衆生の罪福をさだむ、これを天尊の正印と云事也。
    『真宗聖教大全―在家宝鑑(下巻)』381~382頁、カナをかなにし段落や句読点を付けて見易くした


浄土真宗で本願寺を実質的に創建した覚如上人の長子である存覚上人著とされる『彼岸記』であるが、上記内容は、中陽院に於いて彼岸会期間中に、衆生の善悪をどのように記録しているか、という話である。なお、本文にも書いておいたが、前回の最後の部分から、今回の冒頭の部分までには、抜けがある。おそらくその内容は、中陽院で行われている衆生の善悪についての記録を書いてあるのだろうと思う。

この内容を見ると、まぁ、昔ばなしよろしく、妙な機構をそれらしく描くことで、変なリアリティを出すという手法だと思う。しかも、拙僧の拙い調査の限りだが、おそらくはこれも、龍樹菩薩『天正記』に書かれていることだと思うのだが、分からないことばっかりだ。

なお、この辺について、拙ブログでは【『彼岸之弁』参究1~5(平成30年度版・秋の彼岸会)】でも書いたのだが、ちょっとだけ上の伝承と異なる部分もある。それは、人間の行動の善悪を記録する存在として、上記のようではなく、「倶生神」という神が我々の両肩に載っていて、記録するという。

ただし、彼岸会期間中の話だと、上記の内容に似ているので、とりあえず、閻魔王の『閻魔帳』に記録される期間としての彼岸会という位置付けが確立されたのだろうと思うのである。

また、炎魔庁の「光明院」という施設について、とても冥界にあるとは思えないような名前で、不思議なのである。ただし、他にこのことを書いている文献を見たことが無いので、伝承の精査すら出来ない状態である。

それから、「大歳八神」「王女道祖神」といった神の名前も、良く分からない。なんだろう・・・とりあえずここに記しておいて、読者諸賢の情報を待ちつつ、拙僧自身の今後の学びに繋げたい。

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