つらつら日暮らし

「文化の日」の「日本文化私観」

今日は「文化の日」である。元々は、1946年に『日本国憲法』が公布された日になるが、同憲法が平和と文化を愛する理念を保持していることから、「文化の日」となった。さて、文化と文明という言葉のイメージを考えて見ますと、文化が人間的・有機質的なのに対し、文明というのは機械的・無機質的な感じがする。

よって、文化とは、どこか我々の生活に入り込んでいる習俗のような次元でとらえられるものが多い。食事作法であったり、日頃の挨拶や服装、そういうのが「文化」だと考えられている。それを総体として「日本文化」とした場合、その多くに、伝統的な仏教が関わっていることは少なくない。さらに、身体作法を積極的に取り入れていた禅宗が関わっていたことも否定できない。

ところで、日本仏教の寺院建築について、坂口安吾(1906~1955)が興味深い指摘をしていたので、見ていこうと思う。一応、岩波文庫の『堕落論・日本文化私観』から引用しておくが、ページ数のみの表記とする。「日本文化私観」という文は、幾つかの内容から成るが、「二、俗悪について(人間は人間を)」という章が仏教寺院に関する指摘が多いので、それを見ていきたい。あぁ、その前に、安吾のこんな言葉を見ていくのは良いことかもしれない。

多くの日本人は、故郷の古い姿が破壊されて欧米風な建物が出現するたびに、悲しみよりも、むしろ喜びを感じる。新らしい交通機関も必要だし、エレベーターも必要だ。伝統の美だの日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。我々に大切なのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである。
    「一、「日本的」ということ」、106頁


ちょうど今日が「文化の日」だからこそ考えてみたいと思うが、この安吾の指摘は、決して間違っているとは思わない。例えば、或る寺の檀家で、「この古い建物が良い」と斜めに傾いた本堂を見ている人の中には、もしかすると、この建物を取り壊し、新しい建物を建てる場合に「寄付」の要請があるかもしれないと考え、「生活の必要」に直結することを拒否するがために、現状の維持を推奨しているかもしれない。

もっと安上がりに先祖供養が出来るのなら、自分たちの幸せが実現できるのなら、寺や仏像、宗教などは不要だと答える人もいるかもしれない。地方で寺が無くても困らないが、一日2回しか走らないバスが無くなるのは困るのである。それこそ、日本人の文化であり、信仰であると言える。でも、何の特殊性が無くても、我々は日本人であり続けるのも事実であろう。

(ブルーノ)タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見したことと、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることとの間には、タウトが全然思いもよらぬ距りがあった。則ち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。我々は古代文化を見失っているかもしれぬが、日本を見失うはずはない。日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。
    同上、108頁


今更門外漢の拙僧にタウト(1880~1938)の説明を受けても仕方ないと思うので、簡単に触れるだけにしておきますが、タウトといえば、50代になってから祖国を追われ、日本に亡命したような人で、その時に東京・京都はもちろんのこと、仙台や高崎などの地方都市に滞在し、日本の文物を見ながら、そこにモダン文化を見出したような人である。まさに『日本文化私観』をヨーロッパ人の目で確立したような人だったわけだが、安吾は、ヨーロッパ人の目線と日本人との間には決定的な違いがあるという。しかし、その理由は或る意味、我々衆生が仏性を見出すような如くの話かもしれない。

話は一転して、当初の目的である寺院建築に関するお話しを見ていこう。

 すくなくとも、寺院建築の特質は、まず、第一に、寺院は住宅ではないという事である。ここには、世俗の生活を暗示するものがないばかりか、つとめてその反対の生活、非世俗的な思想を表現することに注意が集中されている。それゆえ、又、世俗生活をそのまま宗教としても肯定する真宗の寺域が忽ち俗臭芬々とするのも当然である。
 然しながら、真宗の寺(京都の両本願寺)は、古来孤独な思想を暗示してきた寺院建築の様式をそのままかりて、世俗生活を肯定する自家の思想に応用しようとしているから、落付がなく、俗悪である。
    「二、俗悪について(人間は人間を)」、120頁


安吾がこの例として引いたのは、宇治にある黄檗山万福寺を開創した隠元隆琦禅師の言葉である。隠元禅師は、寺院建築とは、何よりも荘厳であれと言ったという。つまり、現在の新興宗教に見える、「巨大建築」にも通じる発想だろうが、俗人の信心を喚起し、集めるには、とにかく建物が荘厳でなくてはならないという。ただ、もう一方で、以上に引用したように、寺院建築というのは、世俗の生活を否定しているが故に、地域性を決める特殊性が無いといっている。

つまり、安吾は寺院建築には文化の国境を決定するような要因が無いとしており、強いて挙げれば、一部の日本仏教宗派のように「俗」が入り込んだものでもない限り、地域性が無いといっているのである。我々自身も、寺院の中で、生活臭を感じる場所を見てしまうと、後ろめたいものを感じる。或いは、それを嫌がって、敢えてそのような生活場所を寺域の外に求め、住職家族の住居を、寺院とは別に置く場合もある。それは「無駄」なのではなくて、「寺院」に相応しくないと判断されたものを、自ずと排除しただけだ。ただ、安吾はそういう営みを批判する。

成程、寺院は、建築自体として孤独なものを暗示しようとしている。炊事の臭だとか女房子供というものを連想させず、日常の心、俗な心とつながりを断とうとする意志がある。然しながら、そういう観念を、建築の上に於いてどれほど具象化につとめてみても、観念自体に及ばざること遙に遠い。
    121頁


であれば、結局「観念」に及ぶためには、どれほどに建築物を積み重ねても不可能なのだろうか?しかし、安吾は江戸時代末期の良寛上人の例などを挙げて、「貧困に甘んじる」ことを生活の本領にしたのではなく、その精神に於いて余りにも欲が深すぎて、豪奢であり、貴族的であり過ぎたと喝破している。そして、余りに絶対な物を求めすぎた結果、中途半端を排撃し、「無きに如かざる」という「清潔」を選んだという。

ただし、これは冷酷なる批評精神として存在できても、芸術としては存在できないとしている。そして、結局「有りながら」無き様相を示す、茶室などを媒介に、しかもその不自然さを廃して、豪奢・俗悪の極点に於いて闊達さを示すことを評価している。安吾は別の著作、「今後の寺院生活に対する私考」では、「禁欲」という不自然さを実現できずにいる僧侶を批判している。それは禁欲していないからではなくて、羊頭狗肉的なねじれを批判したものである。狗頭狗肉なら問題はないということ、よって、それと同じことをこの寺院建築に於ける「観念」とのねじれに見ているといえる。

俗なる人は俗に、小なる人は小に、俗なるまま小なるままの各々の悲願を、まっとうに生きる姿がなつかしい。芸術も亦そうである。まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。若し、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新らたに造ればいいのである。バラックで、結構だ。
    128頁


道元禅師が評価した「大叢林・小叢林」の議論を、ひっくり返すとこの見解になるといえる。道元禅師は『永平広録』巻2に於いて、道心が有る修行僧がいる場合は「大叢林」であり、いなければ「小叢林」とする。つまり、伽藍の大小は関係が無いとする。また、「寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ」という見解は、実際の「寺」の出来方からすれば、安吾のいう通りである。

しかし、一時の日本の集落形成からすれば、決してそうではなかったように思う。先に寺があって、そこに僧を招いたこともかなりあったはずだ。ただ、そういう事実の問題ではなくて、結局文化とは建物などの文物に於いて見るのではなくて、人に於いて見るべきだという見解になる。だからこそ、バラックで結構だというわけだが、デフレマインドよろしく寺院建築を否定せんとする日本人の見解とは一線を画している。何故なら、坊主をも否定しているからである。

その意味で、今の日本人が見ているのは、もちろん「建物」ではないが、「人」ですらなくて、「金」だといえる。「人間は、ただ、人間をのみを恋す」といい、「人間のない芸術など、有る筈がない」といった安吾の言葉には、遠く及ばない悲しい悲しい「文化の日」である。

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