つらつら日暮らし

益軒の按摩法(益軒先生の「養生だけが人生さ」3)

江戸時代の儒学者・貝原益軒先生の『養生訓』を読んでいく連載記事ですけれども、前回は「五官」ということで自分の感覚器官を鎮めながら、毎日安楽に生きるコツを紹介しました。今日は、益軒が按摩の方法について紹介している箇所がありますので、採り上げてみます(※当初、岩波文庫の『養生訓』の記述に従って、安眠法として採り上げようと思っていましたが、ちゃんと読んだら、そうとは限らないと分かりましたので、記事のタイトルを変更しています)。なお、次回は「導引」という方法についてもお話ししますので、その前段階として今日の記事を示しておきます。

 およそ、1日に一度は自分の頭から足に至るまで、全身残さず、特に関節のあるところをことごとく他人に撫でさせ、押させること、各所10回はしてもらうべきである。
 まず百会の穴(頭頂部)、次に頭の四方、次に両眉の外、次に眉尻、また、鼻柱の脇、耳の中、耳の後ろを皆押すべきである。
 次に、風池(耳の後ろ)、次にうなじの左右を揉む。左には右手、右には左手を用いるのである。
 次に、両肩、次に臂骨の継ぎ目、次に腕、次に手の十指をひねらせる。
 次に、背中を押さえさせ、打たせる。
 次に、腰と腎堂(両脇腹の後ろ)を撫でさする。
 次に、胸、両方の乳、次に腹を多く撫でる。
 次に、両股、次に両膝、次に脛の表裏、次に足のくるぶし、足の甲、次に足の十指、次に足の裏、皆両手で撫でさせ、ひねらせる。
 これは、『寿養叢書』の説である。
 自分の手で自分を按摩しても良い。
    貝原益軒著・石川謙校訂『養生訓・和俗童子訓』岩波文庫、101~102頁、拙僧ヘタレ訳


まず、1日に一回はさせるべきだということで、専門の按摩師などを招いて行うわけではない、といえましょう。無論、金銭的に余裕がある人であれば、当時も今も、そういう専門家を呼ぶことが出来ると思いますが、庶民には難しいので、上記の通り、比較的簡単な方法でもありますから、家族同士で行うことなどを考えているのだと思います。

それで、方法は上記の通りで、肝心なのは全身くまなく撫で、さすることが必要だということです。また、「ツボ」なのでしょうか?特に重視されている箇所もあるようです。

それで、このような按摩を行うことにより、どうなるのでしょうか?『養生訓』には、続く「導引」については詳しくその効能が説かれておりますが、按摩については書いてありません。ただ、詳細は次回申し上げますけれども、以下のような時には按摩をしない方が良いとされています。

・気が良く回って壮快であるとき
・冬
・気が上るとき


これらの時はダメだそうです。そうなると、按摩の目的は気の回りが悪いときに行うものか、という類推が可能です。それで、按摩の意義について、検索したら結局、Wikipedia―マッサージ項に至ったので、それを参照してみました。

あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年法律第217号)第一条に規定するあん摩とは、人体についての病的状態の除去又は疲労の回復という生理的効果の実現を目的として行なわれ、かつ、その効果を生ずることが可能な、もむ、おす、たたく、摩擦するなどの行為の総称である。 昭和38年1月9日医発第8-2号(抜粋)

まさしく益軒のいう按摩ですね。なお、先のような按摩について、今の日本では資格の有無が厳しく問われますので、商売にすることは勿論出来ません。せめて、家族同士の健康法というくらいで行うべきだといえましょう。

※この連載記事は、「かつて養生に関わる説でいわれていたこと」を、文献的に紹介しているのみであり、実際の医学的効能などを保証する目的で書いているのではありません(それは、医師ではないので出来ません)。その辺は能く能くご理解の上、ご覧下さいますようお願い申し上げます。

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