つらつら日暮らし

今日は「母の日」(令和5年度版)

今日、5月14日は「母の日」である。ただし、これは移動式の日付であり、「5月第2日曜日」が該当する。なお、この日を「母の日」とし、また、カーネーションを母に贈るという習慣はアメリカから伝わったものだという。この辺、日本では昭和に入る頃に認識されたようである。

例えば、以下の一節などはどうか。

母の日(mother day)は米国ヂアルブイス、アンナ女史の発案に本づきて設けられたものである。アンナ女史は北米ウエスト、ヴアジニア州のウエブスタ町の教会に十六年間日曜学校の教師をして居た篤信の仁である。彼女は母の在世中、日曜日に説教を聞いた時、彼が母の恩の有がた味を悟らせる方法を案出して下さいと云はれたのを母の死後にふと思ひ出し母の恩愛を偲ぶ印にカーネーシヨンの一束を捧げた。この日に居合せた大人が感激してこの日を記念として毎年行ふことになつた。それから百貨店主ソナメーカの賛助により始めて一九〇八年五月の第二の日曜日に最初の記念日を開き一般に「母の日」を守ることになつた。後米国では一九一四年に議会で五月第二日曜日を「母の日」と決定した。
    佐藤充「母の日を記念して」、成城学園編『教育問題研究(1930年5月号)』教育問題研究社


以上の通りである。アメリカでの「母の日」の制定について、これほど分かりやすく書いているというのは、とてもありがたい。母の日の制定の経緯、あるいはその際にカーネーションを贈る経緯なども全て以上の一節で分かるのと、それから、既に20世紀初めから、しっかり商業的位置付けもされている様子も分かるが、だからこそ、記念日として広がったのである。

それで、このようにあるものだから、日本での「母の日」が、5月第2日曜日であるというのは、これをそのまま導入したものか、と思いきや、実は日本で最初に「母の日」を定めた時、当初は「3月6日」であったという。そこで、こちらを色々と調べてみると、経緯を示す幾つかの文章があった。その中でも、最も分かりやすいと思われる一節を紹介しておきたい。

●家庭教育振興に関する件
 皇后陛下御誕辰の地久節を卜し大日本連合婦人会並大日本聯合女子青年団は特に「母の日」を設定し婦人団体及女子青年団等に於て毎年式典を挙げ記念講演会の開催等適切なる施設を講じ奉祝の至誠を致し婦人の向上並家庭教育の振興を図る計画を以て全国的運動を開始の処右趣旨並其の計画は至極適当と存せられ候條貴管内婦人団体及女子青年団体等に対し右趣旨の普及並施設方御配意相成度此段及通牒候也
    昭和六年二月二十七日・社第四〇七号学務部長通牒、『現行新潟県令規全集』帝国地方行政学会・昭和6年


以上の通りなのだが、日本では「母の日」について、昭和の皇后陛下の御誕辰(これを「地久節」といい、昭和は3月6日であった)に合わせて行うこととし、また、この時に「六年三月文部省の肝煎りで全国の母の会・主婦の会・婦人会がほゞ統一されて大日本婦人連合会が生れた」(毎日新聞社編『毎日年鑑』1932年版)とあるように、国の側の国民教育の一環として「大日本連合婦人会」という組織が設置され、その時に合わせて「母の日」が制定されたのである。

つまり、国の意向ということになるのだが、これは果たして国民一般に浸透したのだろうか。それも調べてみたが、現場の教員などは、適宜対応しようとした様子を伝える文章なども複数見たのだが、例えば、アメリカのようにカーネーションを贈る、といった分かりやすい方法では無かったためか、結果としては、民間企業の主唱した「母の日大会」などが徐々に普及し、戦後は特にアメリカ式の「母の日」が日本にも定着した印象である。もちろん、「国民の祝日」などになっているわけでは無いが、それでも各社のカレンダーなどには「母の日」が5月第2日曜日に記載されており、忘れずに行われているといえる。

今日は、少しだけ「母の日」の制定経緯の一端を見た次第である。

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