タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 小学校と英語教育 ≫

P1010634
 8月31日付各新聞は、中央教育審議会の小学校部会が、30日、文部科学省の示した指導要領改定素案に大筋で合意したことを報じている。『讀賣新聞』第1面の記事の見出しには、<小学校授業時間1割増・「総合」減らし「英語」>とある。
 私は、児童の学力の低下は、単に「ゆとりの教育」のための授業時間数減によるだけでなく、根本的には、日本の社会全体を覆う箍の緩みにあると思うので、時間数を増やしただけでは効果がないと見る。「総合的な学習の時間」を減らして、5年生以上に英語教育を導入することには、授業担当者に、英語を母語とする教養ある外国人を任用するという条件付きで賛成するが、実行は不可能だろう。小学生相手に、現状のままの日本人英語教員は百害あって一利なし! まっ、導入反対と同じ、ということ。
 冒頭に、ニール・セダカのCDを掲げたのは、英語学習について、私自身の悲しい想い出が曲に染み込んでいるからである。私は、裏山に熊が出没する山村に生まれ育ち、中学・高校六年間を通して、英語を話す紅毛碧眼の外国人に遭遇したのは、三回(高校通学の列車で二回、英語の授業で一回)きり。大学の「英会話」という空漠とした異次元の世界で、孤独と屈辱を強制されたことは、今でも忘れられない。
 高校二年の時、東京からの転校生が、自己紹介の後、ニール・セダカの「恋の片道切符」を歌った。もちろん英語。このときの「チューチュートレイナチャギンダウンザトラック」は、激烈なカルチャーショックだった。このような経験を踏まえて、小学生が英語に親しむことに賛成するのだが、必修教科にするのには大反対である。日本人全員が英語を必要とするわけではない。学びたいものが学べばよい。
   ?CDの発売元は、BMG Funhouse, Inc, Tokyo, Japan?

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「学芸文化」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事