タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

≪ 歴史地図に見る漢族と異民族(1) ≫

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 北京オリンピック後の中華人民共和国における最も大きな懸案事項は、経済政策とウイグル族対策だろう。民族摩擦の原因はウイグル族への強圧的統治であり、イスラム教への強攻策一辺倒では解決は望めない。
 紀元前2世紀後半に、前漢が西域諸国に武威を張ったときは、ウイグルの名はまだ歴史に登場していない。前漢も後漢も、北方を常に匈奴に脅かされた。
 8世紀の中頃の唐の時代に、モンゴル高原に遊牧ウイグル(回紇)帝国が出現し、一世紀の間、北方に勢威を張り、チベット高原の吐蕃(13世紀末まで存続)とともに、唐の版図を著しく狭めた。この遊牧ウイグル(回紇)帝国の崩壊後、中央アジアに逃れたウイグル族が天山ウイグル王国を立て、さらに、別の一族がカラ・ハン朝を立てた。中国は、五代十国から宋(北宋)・南宋の漢族受難の時代で、12世紀の北方には、西夏・ウイグル・遼(契丹)・金がひしめき、13世紀にモンゴル帝国に服属する。
 中世以前のウイグル族と現代のウイグル族との民族的系譜が直接繋がっているかどうかは不明(フリー百科事典『ウィキペディア』参照)だが、モンゴル帝国出現までの歴史的流れの中で、漢族がウイグル族を征服支配した事実はないといえる。
 ■四枚の歴史地図は、私が高校生の時に「世界史」の副教材として使用した、亀井高孝・三上次男 編『新版世界史地図』(吉川弘文館)から転写■

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