つれづれなるままに、日ぐらし硯に向ひて、心にうつりゆくよし
なし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけ
れ。(吉田兼好『徒然草』の「序段」)
なし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけ
れ。(吉田兼好『徒然草』の「序段」)
日本語の現代仮名遣い文では、歴史的仮名遣い文と比べて文末が単調に陥る弊を免れない。体言止めはこの欠点を補う方策の一つではあるが、使いすぎるとかえってだらしない文体ができあがる。
上掲『釧路新聞』第3面の「巷論」の執筆者は、たかだか 800 字余りの小さな論考で体言止めを繰り返し使用し、無節操な締まりのなさを露呈している。児童生徒の作文にも例を見ない駄作を「巷論」として掲載するのは、愛すべき我が地方紙にとって「恥辱」ではないかしらん。