商売繁盛はここの神社、家内安全はあそこの神社、産土神ってどこ、縁結びの神社に行ったつもりで、神社を間違って縁切り専門に行ってしまったら大変・・・そんなお悩みの数々、「神社は、いろいろあって結局どこに行けば良いの問題」
今回は、そんなお声のご参考にしていただきたい
「神道の生き方」は絶版、現時点で古本は存在するようだが、やはり数は少ないのでいつ入手困難になるかわからない
故山蔭基央氏は戦後の日本を憂慮しておられた
僭越ながら一助となるべく
山蔭神道家第79代故山蔭基央氏の著書「神道の生き方」学研パブリッシング社
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
霊界の構造 山蔭基央氏の著書「神道の生き方」p257図 参考
高天原(根源神界) 諸神界 |
全人類の守護神 |
第九層 第八層 第七層 第六層 浄明界 第五層 第四層 第三層 第二層 浄明界 第一層 |
天仙界・如来界 地域・国の守護神として 活動できる世界 遠祖明神の世界
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地仙界・菩薩界(聖使命自覚界) 縁者の守護霊となることができるが、 時に子孫のために下ってくることもある。 |
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第七層 第六層 第五層 霊界 第四層 第三層 第二層 第一層 |
上部極楽世界 (精神的満足界)
子孫の守護霊となれるが、不安定である からいっそうの浄霊供養を要する世界
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第五層 第四層 幽界 第三層 第二層 第一層 |
下部極楽世界 (物質的満足界)
子孫に憑依し供養を受けないと 幸せになれない世界 |
第三層 冥界 第二層 第一層 |
迷妄界・苦悩界 (物心両面不満足) 重病をもたらす悪霊のいる世界 |
地獄界 |
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p285 1行
高級霊界から降ってくる祖霊
我らが祖先霊のなかには、浄明界に入り、高級神霊と融合する栄誉に恵まれている方々があり、これらの方々を遠祖明神えんそみょうじんと申し上げる。
しかし、多くの祖先霊は霊界第七層~第五層までの世界におられるもので、子孫がトラブルに巻き込まれていれば、子孫を助けやすい幽界第三層~第二層にまで下ってきて、現世の人々を誘導しようと努力されるのである。
そのとき、幽界の大王である龍神(自然神霊)は現世救済の司神として、神仙・天狗・山人・動物霊を用いたまう。この狗賓ぐひん(天狗・山人)の霊は、現世のすぐ隣の世界に住む生物であり、現世の人間に多く影響を与えているのである。
狗賓が関与している神社は多く、霊験れいげんも顕著だが、よく選別して参詣しなければならない。なんとなれば、大きな代償を取られるからである。
それに対して、正しい神、正しい龍神が守護している神社の神札を迎えて信心深く祀る人の神棚には、光のエレベーターのようなものが天降っているもので、浄明界入りしている遠祖明神も霊界の時差を越えて、交通事故や難病などの災難を救済してくれる。
p287 11行
神界からの霊験を得るには
さて、下級神界の六~七時間でも現世の百年に相当する時差があるのだから、肉体をもったまま訪問することも、脱魂状態で神界に入ることも不可能であるが、感応という方法であれば神界に通じるということを理解できる者は幸せである。
また、それがあるゆえに、浄き祈りは神界に即刻通達するということを忘れてはならない。
近ごろ「一年の計は元旦にあり」というが、古代においては「百年の計は元旦にあり」と言った。
百年の計とは三代~四代未来の子孫の幸せを祈ることであって、まことに遠大なる祈りである。だから、正月元旦には稲荷神社の狐塚(幽界の動物霊〈狐狗狸〉)などに、今日・即刻の幸せを求める祈りなどはするべきでない。
なんとなれば、彼らは大いなる代償を求めるもので、ときに人の生命を求めることさえある。その理由は、生命はモノであって、それを得れば人の風態が得られるからで、古来、賢人は眷属霊たる狐狗狸の霊などに祈り願わずに心の知恵を磨いたものである。
では、一般の人々が高級霊界から即刻の霊験を得るにはどうすべきか。
もちろん、日ごろの信心を積み重ね、真理の道を求めていなければ即刻の霊験はないもので、人の道を踏んでこいと神界より求められるだけであろう。
それでもどうしてもという場合、幽界の大王である龍神に祈るしかない。それにはそれ相応の礼物が必要であり、多少なりとも祈りに公的な側面が求められるであろう。
されば、古来、天下公のことで緊急の祈りが必要な場合は、幽界の大王である龍神に礼をつくして祈り願ったものである。それがため、多くの旧官幣かんぺい大社に龍神を祀る摂社や末社がある。
というわけで、「神社は、いろいろあって結局どこに行けば良いの問題」
正解は、とにかく「龍神様」、しかし、願い事には、「多少なりとも祈りに公的な側面」がないとよろしくないらしい
誰も龍の飛んだところを見たことは無いのに、映像で白い龍のハクのように飛ぶところを見ると、知っていたかのように、その飛び方の信憑性に納得するのはなぜだろう
実は人は、どこかで龍に出会っているけれど、忘れているだけなのかもしれない
ヒトから見たカミとは、一方的にヒトがお願い事をして叶えて下さるだけの御存在ではなく、カミとヒトが互いに信頼し合い、助け合って、共にこの世界を幸せな世界につくってゆく御存在なのかもしれない
それと同時にカミは、ヒトの苦しみや悲しみもヒトと共にお感じになっている、少なくとも私は幾度となく自動書記を行ってそう実感している