ある日、小学生になったばかりの頃、ある子といっしょに遊んだ
夕方になって、畑や田んぼの中にある細い田舎道を二人で歩いていた
道なりに進めば、その先に人と自転車しか通れないとても小さな踏切があった
その踏切を渡った先のどこかに、その子の家があるという
私の家は、踏切まで行かないT字路を左に曲がった方にあったから
そこで二人は別れた
私はまたその子といっしょに遊びたいと思った
その子といると、とても楽しかった
今思えば、とても良い子だったのだろう
あの小さな踏切を渡れば、その子の家があるから
「いつでもまたあの子と遊べる」
幼い私はそう思った
けれど、それからその子と遊んだことはなかった
その子の家も知らぬままだった
自宅の二階のベランダに出ると、あの小さな踏切が見えた
真っ直ぐ通る線路も見えた、そして
「あの踏切を渡ればその先にあの子がいる」と思って
あの子の笑った顔をよく思い出していた
それから時が経ち、あの小さな踏切の周りの畑や田んぼは
埋め立てられ、そこに住宅が並び始めた
それからしばらくして、この辺りでは一軒も無かった鉄筋コンクリートのマンションが建てられ、自宅のベランダからあの小さな踏切は見えなくなっていた
電車も見えなくなっていた、踏切のカンカンカンという音や、電車が走って行く音も全く聞こえなくなってしまった
その頃にはもう、あの子の名前や面影さえ思い出すことが出来なくなっていた
ある夜、人々が寝静まった頃、二階のベランダに出ると、遠くからカンカンカンという踏切の音が微かに聞こえてきた
その音に耳を澄ませば、私の心も静まった
数え切れないほどの出会いと別れがあった、いつしか私は大人になっていた
それなのに、名前も顔も忘れてしまったあの子のことを思い出した
今でも知っていることはひとつだけ
「あの踏切を渡ればその先にあの子がいる」
電車の線路を分岐させているポイントの差は始めはわずかでも
互いの線路が離れるごとにその差はハッキリとしてくる
人との別れも、何処が分岐点だったかは遠く離れてみないと分からないことが多い
幼かった私は、そのことを知らなかった
ただ、大人になった今でも時折その事を忘れてしまう時がある
そんな時は大抵決まっている
その人との時間がとても楽しく過ぎて行くときだ
キャンティのうた「アンデルセン物語」エンディング曲1971年