陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

SNSに向いていない二次創作者の特徴 10選(後)

2019-06-22 | 二次創作論・オタクの位相

SNSにあまり向いていないと思われる二次創作者の特徴を、自虐的に書きつらねた記事。
今回は後半5選についてです。なお、この記事は二次創作者がSNS活用することを全否定する意図で書いたものではありませんので、誤解なきように。

・強制的な広報合戦に巻き込まれたくない
ブログでもちろん、ポチ押しコメント返礼の強要はありましたし、律儀なブロガーほどそれに疲れて辞めてしまいがちでした。SNSではフォロワー=自分の応援者、RTして褒めてくれる人という前提がありますし、その数を競うことで自作(というか作者自身)の人気を争っているふしがある。むろん、いい意味での励ましあいで作品向上だとよいのですが、逆作用してしまうことも。無理強いされた相互支援は、相手の自由を奪ってしまいます。また、こちらが応援しているのに見返りがないという不満も生じやすいです。フォロー貰いたさに最初はベタベタ構うのに、後はほったらかしなんてことも。
私は拙ブログでリンクを張った相手先に、こちらの読者になってくれることを期待していなかったので、SNS上で相互フォロワーになると、RTやいいね、更新ごとに感想つきのお付き合いは不文律なのだ、やってもらって当然!という意見がよくわかりません。私は他人さまのブログやサイトにおじゃましたときに、自作の宣伝をこれみよがしに書き込んだりしたことはない(はず)ので。そもそもSNS上の評価数は、あなたの人生の点数ではありません。

・自己目線の長文書きである
現在140文字までのツイッター投稿では、冗長な字書きは敬遠されます。何度も投稿するので、TL(タイムライン)がその人で埋まってしまい、悪気はないのにスパム扱いされます。独りごとならともかく、他人に絡んでしつこくする、わかりにくい言い回しで惑わすのもこれまた嫌われます。毒吐きだとなおさらです。理屈っぽくて自分を曲げたがらない人もそうです。自己紹介乙ですね~(苦笑)。
あと、受験生や仕事で文書作成を行う人は、ツイッター中毒になると長文の読解能力がかなり落ちるので、絶対にお勧めしません。情報取集として受験生用の掲示板や体験記を閲覧するのはいいですが、きちんと時間管理はしましょう。脳がかなり退化して、辞書や六法全書など文字の詰まったものが読めなくなります。プロの作家さんでも、ツイッター更新頻繁な人は、かなり表現力が落ちて失言が多すぎるように感じられます。感情の細やかさがSNSで削がれてしまうのです。

・極度のおせっかいか、構ってちゃんかの自覚がある
「自覚がある」がミソです。SNSは他人の共感を得るツールですが、やたらとウケ狙いに走ったり、被害者感情爆発させて同情をひいたり、親密に慣れあいすぎたりしても、相手に重いと判断されてしまいます。第三者から眺めても、考察の掛け合いがほほえましいこともあれば、騒ぎすぎて暑苦しいと映ることもあります。あてこすりの心配をさせたうえ、他人に愚痴をぶつけてケロリとしている人もいるので、親切心あふれすぎる人は裏切られたとも感じます。もともとネット自体の声がそういうものなので、ソウルメイトとの出会いを極度に夢見すぎてしまうのはよくないのです。

・コップの中のような料簡の狭さ
ピクシブがいい例ですが、いろんな作風が一堂に展示されていて探すのに便利な反面、なかには地雷であったり、苦手な絵柄や書き癖だったり、二次創作者の日頃の言動に問題があったり、同ジャンルの二次創作やカップル好きに喧嘩をふっかける、陰口をたたく、既存作をゆるパクする(そもそも、万人受けするカップル話はありきたりなものになりがち)、公式に直談判したがる等で、その存在すら見たくない人もいます。逆に自分が誰かにとっては抹消したい存在にされているかもしれませんね。美醜や快不快の基準は人それぞれなのですが、誰かが投票してくれると、個人の小さな不平口が世の中大半の正義みたいに思えてしまうから不思議です。立ち回りのよさだけで評価を稼ぐことへの反発や、誰にとやかく言われようが、他人と比較評価されずにのんびり創作したいひともいます。逆にその人の作品はとても魅力的なのに、他者から数字の裏付けがないと自作のアイデンティティが保てないひともいます。見る目がないひとは、見せかけの数字や知名度にたやすく踊らされます。自身の傾向が誰かの地雷だという自覚があって、自分はこれが好きだという自己肯定感の強い二次創作者は、そもそも事をあまり荒立てない代わりに、他人ともいっさい関わらないのですね。関わった相手まで攻撃されたら悲しいので。

・何ものにもとらわれず、マイペースで創作したい

SNSは他者の創作や発言といつも隣り合っていますので、強固な自我を保てなければ、他人の言動に一喜一憂して疲れ果ててしまいます。じつは一番やっかいなのは、自分の愚痴こぼしやハイテンションなツイート、血迷った妄想など。SNSに書くと、外側の目線を意識しやすいので、いかに見苦しいかがよくわかります。いや、自分もブログはじめの過去記事でよくやらかしまくっています。二度と見たくないものですけどね。
ブログやサイトならば目立たぬところへ押し隠すこともできるのですが、SNSでは日付を入れ替えできないのでトップにきたり、知らぬ間にRTを繰り返されてうっかり予期せぬ反響を呼んでしまったりもします。自分のうかつな発言でかえって、創作のエネルギーどころか生きる気力さえ削いでしまうことにもなりかねないのです。

性格上もあるのですが、過去にネット上のしがらみで過度のストレス経験済みだと、どうしても顔の見えないお付き合いには慎重になります。私は炎上させたことも、直接嫌がらせめいた攻撃をされたこともないのですが、自分のツイッター中毒ぶりに危機感をおぼえてアカウントを何度か潰したことがあります。相手に非があったわけではないが、公式をふくめてフォロワー整理をしたりして、向いていないなと実感しました。つながりすぎている関係を維持するのが重くなってしまうのです。

私がツイッターをしていたあいだに個人的に不愉快なつぶやきは、二次創作どうのこうのよりも「家族に対する悪口」でした。
諸事情はあるでしょうが、二次創作は人生上必要なことをほったらかしにしてまで行うものではないはずです。自分の周囲の人を大切にしないのに、なぜ百合やBLカップルに好きだの愛してるだの語らせるのかわからないです。

それにしても、二次、一次問わず創作楽しんでいる方で多いのが、このSNS上のトラブルですね。
とくにオフ活動=同人誌活動をされている方はSNS活用を推奨することが多いです。SNSどころか個人サイトももたずにイベント参加するサークルもありますが。イベントなどで手渡し販売する同人誌、読者の反応がすぐさま波打って返ってきやすいSNSとの相性はいいのでしょう。ただ、メディアで人気を得る手法はいくらでも転がっていますが、地道に自作を魅力的にする努力の積み重ねとはまた別問題のような気が。いま(2019年4月半ばごろ)ネット上で話題紛糾の銭湯絵師さんのパクリ問題などを見るに。反響欲しさのあまりに、原作ジャンルの萌えを内燃させたり、創作をじっくりきわめたり、絵をきちんと描いていく楽しさを忘れてしまうひとが多いのかもしれないです。なんで、いちいち二次創作している自分を見せ物にしないといけないのか、他人の権利物を借りたかってな創作ごっこを褒められないといけないのか不思議です。歌手も俳優も名スポーツ選手でも、テレビ画面に映りたいがために過激な発言で笑いをとる、ひな壇芸人みたいになっていくのかもしれません。

SNS利用で傷ついたひとは、さかんに離脱を促してもいます。
これも極論にすぎる。死亡事故が多いからといいまして、車がなければいいとは言い難い。車に乗れたから、人間としてまっとうであるとは限らないのと同様。SNSはあったほうが便利ではあるけれど、苦手なひとは無理にユーザーになる必要はないと私は考えています。そう促すひとも多いです、ネット上には。利用するにせよ、読み専のアカウントで残してもいいのです。すでに公式版権者や、応援しているクリエイターがSNSに活躍の場を移しているならば利用せざるを得ないからですね。受信者として利用する分には、SNSにはそれなりの利便性もあります。SNSでは海外のファンや二次創作に出会える可能性もひろがります。またツイッターやピクシブはブログにも投稿者名義をあきらかにして引用できるので、受け身につかっていても便利なものです。

音楽が好きでも、個人としてCDなどで聴くのが好きなのか、ライブに出かけてみんなと発散したいのか、自分でも歌唱演奏したいのか、仲間とバンドを組んで活動したいのか。楽しみ方は、人それぞれなのです。どれが格上で、それは駄目、あれは負け組、などと誰が言えるのでしょうか。ジャンル愛の深さは誰かと競わないといけないものなのでしょうか。SNSだけが二次創作の咲き誇る場所ではないのです。

コミュニケーション能力が重視されるこの時代、SNSで影響力の大きいひと=社会の上位者みたいな印象付けがあります。
しかし、ゆるやかに雑談でき、ときには言葉を呑み込めるひとと、相手の感情をくさらせてしまうただのおしゃべりさんとは違うのではないでしょうか。世の中は声にならない声の大衆のほうが恐ろしいのです。縁を結ぶも切るのも瞬時のSNSですが、切る、切られるときに冷たい思い出が残りやすいものです。SNSデヴューできなかったら、コミュ障認定されて負け組だなんて、かってに思わないでくださいね。たまたま入った部活が肌に合わなかった程度のことです。自分が好きなことをきわめる場所ぐらい、自分でつくりあげてやる、という気概がないと、二次創作も楽しめません。自分が最善を尽くしているのなら、他人と比べなくてもいいのです。

ちなみに、ブログ自体もそもそもSNSの初期形態ですので、ここで指摘された問題点の一部はそのままブロガーやSNS連携している個人サイトにも通じます。
自分はSNSをやっていないので無問題、対岸の火事だからではなく、炎上や違法行為などのSNSでの事件はネット上の使い方全般について考えさせてくれるものがあります。

大事なことは、どのツールを使いこなせているかではなくて、二次創作を自分なりに楽しめているか、ではないでしょうか。多数が集まる場所で目立つことは、いったん不手際をやらかすと集中砲火を浴びてしまう恐れもあります。SNSは祭りの神輿に担がれたお調子者が、ある日、急に地面にたたき落とされることもあるので、自重したいですね。毒舌家の自分が言っても説得力がありませんけども(苦笑)。


【二次創作者、この厄介なディレッタント(まとめ)】
趣味で二次創作をしている人間が書いた、よしなしごとの目次頁です。
二次創作には旨みもあれば、毒もあるのですね…。


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