場所:京都国立病院
場所:京阪電車藤森駅、京都市バス国立病院前
場所:京阪電車藤森駅、京都市バス国立病院前
現在の京都国立病がかつての陸軍病院であった。
陸軍病院には、戦場で負傷した将兵や病気に罹った将兵などを収容し、治療に当たっていた(ただし、病気の中
でも伝染性の隔離が必要である病気に関しては別である。結核などの気胸関係の病気に関しては傷痍軍人京
都療養所へ収容された。くわしくは当ブログhttp://blog.goo.ne.jp/01780606/e/7ec87d3496b37a08d3d4b5d9f4bba886、管理人のサイトhttp://www3.plala.or.jp/kindai-kyoto/99_blank481.htmlへ)。
収容された将兵への慰問として、愛国婦人会や国防婦人会、あるいは学生・児童などがたびたび訪れた。
ときには慰問として、京都市職員と収容将兵との野球試合や嵐山をはじめとする各地へのハイキングなどもおこ
なわれた。

写真は、今でも当時の面影を残す国立病院の古い病舎。

国立病院内にある石碑。ここが陸軍病院であったことを示している。
この石碑には次のような解説文がつけられている。
「京都陸軍病院記念碑の由来
京都陸軍病院ハ明治四十年六月、衛戍病院トシテ此ノ地ニ開設セラレ、ソノ後、継続シテ傷病将兵ノ収容治療
並ニ衛生部員ノ教育養成ヲ担ツテイタガ、昭和二十年十二月、国立京都病院ニ継承サレタ。京都陸軍病院ニ関
連シタ者テ組織スル京病会ハ、創立二十周年記念事業トシテ、其ノ名ヲ後世ニ遺スヘク此所ニ記念碑ヲ建立ス
ル。
昭和五十九年八月
京病会記念碑設立委員会」

国立病院内にある皇后行啓記念の石碑。傷病兵に対する対策としてとられたものの一つに皇后の陸海軍衛戍
病院への慰問行啓がある。皇后が病室をまわり「恩賜のたばこ」を配るなどをして「名誉の負傷」を激励していっ
た。これはそのことを讃えた石碑。裏には「日夜奉拝当時ヲ追慕シ以テ尽忠奉公ノ至誠ヲ致サントス」と書かれ
ている。1941(昭和16)年5月18日建立。

写真は、陸軍病院時代に工事中給食棟の地下から見つかった地蔵の「大日天白如来」。