聖書の記述揺らぐ~拙稿の転載
http://new-world-friends.blog.jp/archives/35397524.html
佐倉哲~聖書の矛盾(長いですよ)
http://ww52.tiki.ne.jp/~rachamim/sakuratetsu.html
聖書ものがたり・出エジプト記
http://web.archive.org/web/20170502135139/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/126.htm 聖書にはモーゼの生涯の中間部がありません。幼児の彼が捨てられファラオの娘に拾われ育てられた時から自分の出生の秘密を知る時期です。この中間部を埋めるには古代の歴史家フィロンやヨセフスの著作です。フィロンはキリストと同時代のヨセフスは50年後ローマ人によるエルサレムの破壊を見た人です。彼らは大昔の聖書である死海文書を読むことの出来た人々である。人間を治めるのは神の律法(トーラー)であるのかそれとも独裁者の意のままか。国民は神の所有物か,それとも自由か。これは今でも争われている問題です。三千年前の尊い教えに忠実であろうと努めました。それがモーゼの五書です。(パラマウント映画十戒を製作・監督したセシル・B・デミルの冒頭の言葉より)(管理人注:死海文書はクムランの11の洞窟で発見された。 イスラエル建国と前後して1947年~1956年にかけて。それを胡散臭いと感じている人は少なくないだろう)。 モーゼは羊の群れを先導し「神の山」に来た。
隠された神の山
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/5ad0a821aac2e33c9a0be685e51d92d9
『朝日新聞』(1999.10.30.夕刊) 旧約聖書の記述、揺らぐ イスラエル 「史実じやない」考古学者が論文 「ユダヤの土地」入植根拠、動揺も
地図:現在のイスラエル周辺。占領地「ヨルダン川西岸」部分の中に「ヘブロン」
【エルサレム30日=村上宏一】ユダヤの民がエジプトでの奴隷生活から逃げ出し、荒野をさまよった未に、約束の地カナンを征服した……これらの旧約聖書の記述は、考古学的発掘でみる限り歴史的事実ではないとする論文が、イスラエルの学者により発表された。1967年に占領したヨルダン川西岸などからの撤退には、「神から与えられた土地を手放すもの」と聖書を論拠に反対する右派、宗教指導者も多く、この学説は論議を呼びそうだ。
論文は29日のイスラエル紙ハーレツに掲載された。テル・アビブ大学のゼエブ・ヘルツォグ考古学教授によるもので、イスラエル各地で70年にわたって続けられた発掘の結果を検証した考古学者や歴史学者の大半が、旧約聖書に描かれたことがらは史実ではないと結論づけている、というのがその骨子だ。
イスラエルの考古学は1960~1970年代、旧約聖書の記述の裏付けに夢中になった。しかし科学的な研究、調査を続けてきた人々の大半は、ユダヤ民族の成立過程は聖書に描かれたのとは全く異なる、という考えで一致。聖書の記述が事実であることを証明しようとしてきた研究者も、多くが、これに同意するようになったという。
例えば、モ一ゼがユダヤ人を率いてエジプトを出国し、砂漠をさまよったとする「出エジプト記」。どんな記録にも、古代エジプトにユダヤ人が集団で住み、脱出したことを示すものはなく、大半の歴史家は、脱出が本当にあったとしても数家族の小さなもので、宗教上の必要から拡大されたとみている。
また、古代イスラエル王国の版図はダビデ、ソロモンの栄華の時代に、現在のヨルダン、シリアの一部まで広がったという記述も否定される。せいぜいエルサレムと、西岸南部のヘブロンを中心とする狭い範囲を治めたにすぎないのではないか、というのが、考古学的検証の結論らしい。
論文はさらに、唯一の神という一神教の概念についても、生まれたのは今から二千年余りさかのぼるにすぎない、と指摘する。
宗教指導者らは、旧約聖書の内容を否定する説はこれまでにも多く出ているとして無視する構えだ。しかし、聖書に出てくる地名を盾に「ここはユダヤ入の土地だ」と入植を正当化する人々の根拠を揺るがすのは確か。また、ユダヤ教の戒律厳守の押しつけに反発するイスラエル市民が増えており、学問的に聖書の世界を否定する説は、聖書を背景にした権威に反論する有力な根拠となりそうだ。 以下、昨年、1998.9.30.発行の拙訳『偽イスラエル政治神話』(れんが書房新社)から、関連箇所を抜粋し、紹介します。
『偽イスラエル政治神話』(p.348-351) 訳者解説
本書の数多い主張の中には、まだまだ複雑な問題が潜んでいるが、ここでは四点についてだけ、補足をして置きたい。
第一は、イスラエル国家、またはパレスチナの場所の問題である。
本書では、88頁~89頁に、エリコとアイの場合の、遺跡の考古学的発掘調査の実例が紹介されている。それらの調査結果は、旧約聖書の物語と食い違うのである。
しかし、最近の考古学の成果を見ると、意外にも、これまでは軽視されがちだった口承伝説には、かなりの真実が含まれているようである。なぜ旧約聖書だけが、という疑問が残る。
ところが、ここに、旧約聖書の固有名詞の読み方が間違っているのだという、有力な説があるのである。旧約聖書の地名、人名、部族名などの固有名詞の解読が間違っていたとしたら、当然のことながら、考古学的な知見とは矛盾が生じる。もしも、この旧約聖書誤読説が当たっているとしたら、これまでのすべての研究は、ご破算となり、全面的な見直しが必要になるだろう。
この問題を私自身が知り得たのは、拙著『湾岸報道に偽りあり』(92)の発表直後に、ある読者が、これをぜひ読めと、当時すでに絶版の本、『聖書アラビア起源説』(草思社、88)を提供してくれたからである。
著者のカマール・サリービーは、「ベイルート大学の歴史学教授で、中東史の権威である」(同書の「訳者はしがき」より。以下同じ)。
訳者の代表はパレスチナ問題を追い続けている広河隆一だが、その解説から一部を引用すると、「旧約聖書の舞台はパレスチナではなく、サウジアラビアのメッカの南、アシールと呼ばれる地方だというのである」。
この本の内容を知っている日本人は、ほとんどいない。だが、「欧米での刊行後、『ニュウズウィーク』『クリスチャン・サイエンス・モニター』『サンデー・タイムズ』などを含む世界の主だった紙誌に取り上げられ、一大センセーションを巻き起こした」という。
日本語版の出版は一九八八年だが、その当時すでに、英・仏・独・オランダ・スペイン・アラビア・フィンランドの各国語版が出ており、インドネシア語版は準備中だった。論証の中心は「セム語学および固有名詞学の一分野である地名学」による旧約聖書の地名の照合にある。旧約聖書にはふんだんに地名が現われるが、現在のパレスチナ地方の地名とはほとんど一致しない。確かな証拠となる遺跡もない。エルサレムはアラビア語の「アル・シャリム」と同じく、「祝福された場所」の意味で、日本ならば「鎮守」の社とか森のような名称である。この地名は、あちらこちらにあり、もちろんアシール地方にもある。ソドムとゴモラは火山の爆発で消滅したとされているのに、パレスチナ地方には火山はない。ところが、アシール地方には類似の地名があるし、火山の爆発の跡が残っている。
アシール地方には、古代からのユダヤ教徒の子孫もいる。同書には、現地の「ユダヤ人」の写真が収録されている。肌色は、むしろ、アフリカの黒人に近い。縮れ髪を編んで垂らしている。私はかつて、旧著の『古代エジプト・アフリカ史への疑惑』(74)で、セネガル人の研究者による古代エジプト人の黒人説を紹介したことがある。その際、エデンの園のサハラ砂漠説の可能性を指摘していたので、この写真を一目見ただけで興奮を抑え切れなかった。いずれ現地にも足を運びたいと願っているが、とりあえず、つい最近の現地探訪記事だけを紹介しておこう。
日本経済新聞(97・5・27)の「文化」欄、京都大学霊長類研究所教授、庄武孝義の紀行文、「マントヒヒの楽園発見」には、つぎのような描写がある。
「サウジといえば砂漠というイメージを抱いていた私はアシール地方の緑の山々に目を見張った。国立公園でもあるこの山岳地帯は標高三千メートル、サウジ有数の避暑地だ。
ヒトにとって快適な気候は、マントヒヒにも都合がいいようだ」
お隣りのサハラ砂漠の山地の洞窟には超古代の黒人文明の壁画が残っている。そのころのサハラ砂漠は緑に覆われていた。アラビア半島全体も同様だったのである。
考古学的な議論だけなら、こういう超古代の有様を、ゆっくりと楽しんで研究すればいい。だが、『サンデー・タイムズ』紙(84・8・12)が言うように、『イスラエルのユダヤ人は、間違った場所に住んでいるのかもしれない』」という議論になれば、話は血なまぐさくなる。
考えてみれば、日本列島なら縄文だ弥生だという時代のことである。旧約聖書が文字で残されるようになったのは古代ユダヤ・イスラエル王国の崩壊後とされている。本来は口伝えの伝承である。古代からの文明の中心地にあったから位置が確かだというものでもない。逆に、歴史の十字路といわれるほどの激しい戦乱の明け暮れを余儀なくされた地方だから、考古学的な証拠にもとづく厳密な鑑定が必要である。
現在のパレスチナ地方は、古代ギリシャ神話の最大のテーマ、トロイ戦争の舞台と隣接してるのだが、ギリシャ神話には、ユダヤ人がまったく出てこないという指摘もある。つまり、伝承文学上の証拠でも、古代ユダヤ・イスラエル王国のパレスチナ地方説は、決定的に不利だということになる。
本書の著者、ガロディは、アラブ人の学者たちとも親しい関係にあるから、この問題がまるで耳に入っていないとは思えない。他にも色々と聞いてみたいことがあるので、いずれ渡仏して直接の意見交換をしたいと願っている。今のところは推測でしかないが、以上のような「聖書誤読説」が正しいとしたら、ユダヤ教に発する地中海文明の三大宗教はすべて、その聖典の現代語訳を、全面的に変更しなくてはならない。これまた本書のテーマ以上に、国際的な大騒ぎとなる。だから、戦略的には、先送りして置いた方が良いのかもしれないのである。
[後略]
なお、上記の『聖書アラビア起源説』(p.97)によれば、エジプトを指すとされる旧約聖書のヘブライ語は、ローマ字で記すと、msrym(sの下に丸い黒点)であり、類似の地名もアシール地方にあるそうです。また、ヘブライ語の表記は子音だけなので、母音を恣意的に当て嵌めるための誤読が生じやすいとのことです。
ですから日ユ同祖論者は日本の国家「君が代」の日本語・ヘブライ語の対比をしていますが母音を恣意的に当て嵌ているのでそれらしくみえるだけでしょう。
ディスペンセーション主義(ディスペンセーションしゅぎ、英: Dispensationalism)は、神の人類に対する取り扱いの歴史(救済史)が、七つの時期に分割されるとするキリスト教神学上の思想。この名称の由来は、救済史における一連の「dispensation(経綸、天啓法)」についての理解から来ている。契約時期分割主義、天啓史観、経綸主義とも言われる。ディスペンセーション主義と対極をなす見解に契約神学がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
名著『聖書アラビア起源説』のAmazon:本のレビュー
ち5.0聖書アラビア起源説 2009年11月24日 形式: 単行本Amazonで購入 本書が出版されて21年になるが、その後アシール地方に膨大な考古学的証拠が発掘されている。常識をくつがえす本。
著者は言語学であるが、以外にも宗教、歴史、文化だけでなく科学的な証拠もあげている。マレーシアやアメリカ合衆国にも使われている赤と白のストライプはモーゼが多くの人々を引き連れて、砂漠の中をエジプトより脱出した時、昼は噴煙、夜は噴火口の赤いマグマの色。
当時の船、建物に使用される木材の木の種類。ソドムとゴモラのこと。イスラム教が生まれる前からのメッカのカーバもうでは、古来からの習慣であり、マホメットはそれを続けた。中には隕石の一部が納められている。
旧約聖書にでてくる鉱物、宝石、火山、地震もパレスチナにはあまりないが、アシール地方には、産出される物。
キリスト生誕時の乳香(イエメンで今でも樹液から作られている)など。ほかにも金、も没薬なども当時の産出していた産地と考えあわせると合理的である。(ふるい先祖の土地からの贈り物)。いろいろな人にすすめたい。
私はアラビア科学(一部分しか残っていないが、日本でも数学で中学や高校で習う図形、分数、代数はアラビア語で書かれた数学の本がヨーロッパに伝わり、日本語訳されただけ。ほかにも科学全般)の20%しか伝わっていないので。古代ギリシャ語訳されたものがラテン語にされ、19世紀以降英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、オランダ語などに変わっただけ。ラジオ講座でアラビア語を半年続ければ、面白さはもっと増すと思います。私も半年分しか学んでいません。
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アシール地方と聖書の世界 1~5
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/6674ddd1de602c93bc105b2413e8f572
ユダヤ人という民族は存在しない
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/4919eb88e8e33a2d252d3ce1e2dd31c3
イスラエル建国の父は反ユダヤ主義者だった?とは
ヘルツルの日記 その1 http://web.archive.org/web/20170502101043/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/937.html
ヘルツルの日記 その2 http://web.archive.org/web/20170502135025/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/938.html
アラビアのロレンス
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/ff5f354fc5bca6b5c07d4600297e3c97
注;その7は年齢制限がかかっていますので不掲載
注:その10は年齢制限がかかっています
出典:La Voz de Aztlan
聖なる土地でパレスチナの人々を抑圧している邪悪なシオニストたちの多くは、実際には古代ヘブライ種族に属するものではない。彼らは、1000年以上も前に自分の利害関係のためにユダヤ教に改宗したロシアや東ヨーロッパから移住してきた機会主義者どもである(管理人注:13世紀スペインでの異端尋問のように逆に偽キリスト教徒に改宗した人を隠れマラーノとよぶ)。ユダヤ教は多くのあり方でシオニズムに乗っ取られてきているのだ。 イスラエルのシオニストたちはパレスチナ人を陵辱しているばかりではない。彼らは同時に純粋なユダヤ人たちを陵辱しているのだ。シオニストたちは信心深くなくユダヤ人自体を憎んでいる。こんなことはあなた方が米国の主要ニュース・ネットワークでは読むことも聞くことも無いだろう。この世界で真の反ユダヤ主義者(アンチ・セミット)は、実際にはシオニストたちなのだ。セム族の人々にはパレスチナ人とその他の中東諸民族が含まれているのだ。(訳バルセロナより愛を込めて)
パレスティナ問題の起源 http://www.aa.tufs.ac.jp/~masato/zionism.html
第一回シオニスト会議
http://web.archive.org/web/20170311005619/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%E4%BC%9A%E8%AD%B0
『私がBen-Gurionを訪ねるように言われ始めて面会した。しょっぱなから彼は私にこう言った。『まずひとつだけあなたに申し上げよう。世界がイスラエルや我々についてとやかく何を言おうが構わない。重要なことはただ一つである。それは,我々がここ祖先の地に生存できることである。そして我々はアラブに対してユダヤ人を殺戮するならば高い代償を払わなければならないということを示さなければ我々は存続できない』, と。(Ariel Sharon)
これが今のイスラエル
注;その3と4は年齢制限がかかっています
シオニズムとそれを導く一握りの人間は、ユダヤ人とは異なる民族の核である。
この点に気をつけなければならない。
新しい民族でも、更新された民族でもなくユダヤ人とは異なる民族の核なのだ。
このように考えない者は、思い違いをしているか、あるいは自分を欺きたいと思っているかのどちらかだ。
ファウスト博士は魔法陣の中で悪魔メフィストフェレスを召喚した。
この世で私は理解されない...
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