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ゴールドマンサックスの本性

http://kikuchi-blogger.blogspot.jp/2008/10/part1.html



長野新幹線の軽井沢駅から旧軽井沢方面に車で約10分。人目を避けるように、車道から20メートルほど奥まった場所に、真っ白な漆喰とベージュのレンガで彩られた二階建て瓦葺の瀟洒な別荘が建っている。

この地は、かつて旧華族の徳川家、細川家、そして田中角栄元首相などが別荘を構えたことで知られ、「軽井沢の中でも最上級の一帯で、坪単価4~50万円」(地元の不動産業者)と言われている。

別荘の門扉にはローマ字で「MOCHIDA」と書かれている。別荘の持ち主は、これまで日本における「最強外資」の名をほしいままにしてきた、ゴールドマン・サックス証券(GS)の社長、持田昌典である。平成13年に新築されたこの別荘では、週末になるとゴルフ接待を兼ねた「宴」が催されている。

今年8月12日、この別荘に20人ほどのビジネスマンとその家族が集まり、酒宴が開かれていた。持田がオーナーの西麻布のフランス料理店「コット」のシェフがバーベキューを焼き、GSの社員数名が食事や酒を振舞う。持田は、独特の甲高い声で延々と喋り続け、大声で笑いながら招待客を隅々まで見回し、誰もが楽しめるように気を配る。

そして、持田が座るテーブルには二人の意外な人物が席を並べていた。前三井住友銀行頭取で現在は日本郵政社長の西川善文。やはり三井住友銀行出身で楽天副社長の國重惇史である。大物が陣取ったテーブルからは近寄りがたい空気が漂っていたが、三人が大声で話す冗談は、部屋中に響き渡っていた。

持田が「昨年は村上(世彰)も別荘に呼んだが、今回は呼べねえな」と言うと、國重が「マスコミの連中が家に来て、『検察に事情聴取されたそうですが』とか言ってくる。バカバカしい」と応える。西川は「三井住友はGSに救ってもらった」と言い、高級ワインを持参していた……。

バブル崩壊後、外資系投資銀行や投資ファンドの成功は、「ハゲタカ」と批判を受ける一方、その手法を真似ただけの「ヒルズ族」なる虚業家も生み出した。しかし、今年に入り、ライブドアや村上ファンドが摘発され、「儲かれば何をしてもいい」という外資の思想は否定されようとしている。

景気が回復しつつある日本では、ようやく嫉妬や羨望を排して「外資」を公平に評価することが出来るようになった。あらためて外資のいまを追うと、最強と言われたGSにすら「凋落」の兆しが訪れているのだ。

      ■     ■

GSが、日本で圧倒的な存在感を誇示したのは、平成11年、国有化された日本長期信用銀行をリップルウッドに売却する際に政府側のアドバイザーになってからだ。その後、NTTドコモの海外投資、三井住友銀行の総額4500億円の増資などのメガディールを手掛け、経営破綻したゴルフ場を買収して日本最大のゴルフ場オーナーになり、「最強外資と言われるようになった。

そして、GS社長で投資銀行部門(IBD)のトップに君臨する持田は、これまでの「ピンストライプの高級スーツに身を包んだ外資のパンカー」というイメージを打ち破る、型破りの男として成功していた。持田は、飲食、ゴルフなどの接待営業を通じて企業トップに食い込み、孫正義、西川善文、立川敬二(NTTドコモ)などのワンマン経営者を〝落とし〟て、巨額ディールを手にしていた。

わけても、西川と持田との親密さは常軌を逸していた。平成14年12月、西川が来日中だった米GSのヘンリー・ポールソン会長と竹中平蔵(当時は金融・経済財政政策担当大臣)を引き合わせ「三者会談」を行い、翌年1月に三井住友銀行の1500億円の優先株をGSが引き受けた。

さらに2月には、西川の〝独断〟で、他の証券会社と進めていたディールをキャンセルし、3000億円もの増資の主幹事を持田が率いる東京のGSに与えた。ワンマンで知られる西川と持田が、ゴルフや飲食などを頻繁に繰り返す姿は、三井住友銀行内でも怪訝な目で見られていたほどだ。

ところが今年になって、他の投資銀行のパンカーから「最近のGSは何かおかしい・・・」という声が挙がっている。その舞台となったのが、「近年稀に見る最悪のドッグディール(大量の売れ残りが出た引受業務)」と言われた、日本航空の巨額公募増資である。

6月28日、相次ぐ安全トラプルと内紛、巨額赤字を計上した末、株主総会後に西松遥が日航の新社長に就任した。ところが、その2日後、日航は突如、発行済み株数の約37%にあたる7億株もの巨額増資を発表する。明らかに株主を軽視した資金調達に、東京証券取引所の西室泰三社長、日本証券業協会の安東俊夫会長、さらに社外監査役の西村正雄(元日本興業銀行頭取、8月1日に死去)までが、「不透明」「株主への説明不足」と厳しく批判した。

この増資の主幹事として中心的に資金調達に動いたのが、国内はみずほ証券、海外はGSだった。しかし、国内では予定通りの株数を売ることが出来ず、途中から5500万株を海外向けに変更。一方のGSは、ヘッジファンドなどを中心に4億株以上を〝売り捌く〟ことに成功した。日航の西松遥社長を自宅で直撃すると、ほろ酔い加減でこう持田を絶賛した。

「知ってるでしょ、持田さん。レバノン情勢で油の値段も上がって、色々と風当たりも厳しい中で、よくやり遂げた。互いの健闘を称えたんです」

GSの圧倒的な資金調達能力、持田のエクセキューション(実行)能力は、高く評価するべきだろう。しかし、「GSが主幹事として儲けた仕組み」を解明すると、手放しで褒め称えることは出来ない。

初出:外資凋落-最強外資 ゴールドマン・サックスの本性『週刊文春』2006年9月21日号

そもそもGSと日航は、1000億円規模の巨題ディールを手掛けるほど親しい間柄ではなかった。GSのカンパニーエアラインは全日空で、出張で日航を使うこともない。

「日航は伝統的に、旧日本興業銀行と親しかった。また、西松さんの長男がみずほ銀行、娘さんがUBS証券に在籍していて、『国内みずほ』『海外UBS』のペアが多かった」(大手証券幹部)

ところが、UBS証券で日航を担当していたマネージングディレクター(MD)の安渕聖司が、今年、GEコマーシャルファイナンスのアジア統括の副社長に転職していた。

「安渕さんは、三菱商事からリップルウッドをへて、UBSでは運輸セクターと民営化部門のヘッドとして数多くのディールを手掛けた実力バンカーです。安渕さんの退社で、日航とUBSの間に一時的に空白が出来てしまった」(外資系投資銀行のパンカー)

この間隙にGSが入り込んだという。持田は周到に用兵したようだ。

GSのIBDには、飲食接待などの〝肉体労働〟と司令官を兼務する社長の持田の下に、〝頭脳労働〟を担当する三奉行がいる。三井住友の増資を手掛けた小野種紀、楽天によるTBS嫌買収などのM&Aのヘッドを務める矢野佳彦、金融部門以外を統括する小高功嗣の三人のMDだ。

まず、三奉行の一人の小野を、FIG(金融機関担当)からGIG(一般産業担当)に変えた。実は、小野と日航の資金部長の河原畑敏幸が友人同士だったのだ。もっともこれだけで日航の主幹事を奪ったわけではない。河原畑本人もこう答える。

「小野さんとは、彼が弁護士をしている頃からの付き合いです。もちろん一緒に食事にいったこともありますが、(主幹事決定とは)関係ないです。飽くまでもビジネスとしての判断で、GSの条件が良かったということです」

河原畑が言う「GSの条件」とは何か。ある外資系投資銀行の幹部は、「GSが演じたのは〝10%ゲーム〟だ」と表現する。

公募増資などの新株発行では、通常、特定の日付の株価から2~4%を割り引いた価格で募集が行われる。ところが、日航の増資では、4~6%という破格の割引率が提示された。

「前代未聞の数字です。それほど日航株の信用がないという証拠。GSは、『4%で売れたら手数料は6%、6パーセントなら4%の手数料を貰う』という提案をしたようです。つまり、日航は実質的には10%の割引率で新株を発行したことになる。これではMSCB(下方修正条項付転換社債)と同じ割引率ですが、西松社長は、MSCBを発行して、レスキューファイナンス(非常時の資金調達)だと思われたくなかったのでしょう」(外資系投資銀行幹部)

多くの専門紙は、「割引率は6%になる」と悲観的な観測記事を書いた。しかし、GSは最終的には4%の割引率で資金調達に成功する。結局、〝10%ゲーム〟は、「資金調達に成功する」「西松社長の面子を保つ」「GSが6%の莫大な手数料を受け取る」という目的は果たした。だが、株価は一ヶ月で3割も暴落し、既存株主の価値を大幅に毅損した。資本市場の規律が、GSの条件によって蔑ろにされた形だ。

本来、外資系の金融機関は、レピュテーション(評判)が落ちることを最も嫌う。しかしGSは吹っ切れたように「株主を軽視」し「自分さえ儲かればいい」というビジネスに邁進し始めたかのようだ。

もっとも、GSが「株主軽視」をするのは日航の増資が最初ではない。昨年12月、経営危機に陥った三洋電機に、GSは大和証券SMBCとともに出資している。そして、今年1月には「1株70円」という時価の4分の1以下で三洋電機の優先株を引き受けた。

「この優先株は、必要に応じて取締役会が転換比率を変えることができる。GS、大和は優先株を引き受けながら役員も派遣している。GSや大和出身の取締役は、三洋電機の利益との間で板ばさみになったら、どちらを優先するのでしょう。コンプライアンス上の問題が発生しかねない」(企業法務に詳しい弁護士)

実は今年、GSのコンプライアンス室長の石橋英樹がクレディ・スイスに移籍している。

「石橋さんは、投資銀行の法務分野では、ストリート(事務所に所属しないコンプライアンス・オフィサー)ではナンバーワンの実力者です。持田さんが企画する乱暴なディールにも、キッパリと〝ノー〟が言えた。GSの法令順守業務に支障が出るのは、避けられないかも知れません」(GS関係者)

そして、今年7月、持田の後ろ眉だった米GSのヘンリー・ポールソン会長がGSを辞めて米財務長官に就任した。

「持田さんは、ポールソンに可愛がられて日本のGSのIBSヘッドに就任した。三井住友銀行へ1500億円もの直接投資が出来たのもポールソンが会長だったからです。ポールソンを失った持田さんが、現在の地位を守るためには、『儲け続ける』しかありません」(同前)

外資凋落-最強外資 ゴールドマン・サックスの本性『週刊文春』Part3

日本国内でも、持田の後ろ盾だった男の存在感が薄くなろうとしている。日本郵政社長の西川の評価が、金融界で急落しているのだ。昨年11月、小泉純一郎首相と竹中平蔵総務相の後押しで鳴り物入りで日本郵政社長に就任した西川は、「リスクをとった者が成功する」と、外資の受け売りのような発言をするなど、やる気満々だった。

ところが、年明け早々から西川の求心力の無さが露呈してしまう。今年2月には郵政四事業の社長候補を決めるはずが、西川が誰に声をかけても返事は「ノー」だったという。

「民業圧迫と地銀から批判の矢面に立たされる仕事なのに、社長の収入が2000万円程度と安過ぎるのが一因です。西川さんには、メガパンクの役員クラスの招聘を期待されていたのに、誰も口説き落せない。郵貯銀行社長の有力候補は横浜銀行の池田憲人元常務でしたが、足利銀行の頭取に取られる始末。ようやく色よい返事をしてくれたのがUFJホールディングスの小笠原日出男元社長でした」(メガバンク幹部)

西川と小笠原は、全銀協時代から親しかった。ところが、難色を示したのは、三菱グループでも発言力が強い三菱東京UFJ銀行会長の三木繁光である。

「6月21日の三菱UFJの幹部会で、小笠原さんを突き上げて社長就任を白紙撤固させたのです。三木さんは、自分こそが『最後のバンカー』と自負しているし、三菱銀行時代に批判的なアナリストレポートを書いたGSを今でも出入り禁止にている。結局、小笠原さんは、病気を理由に、社長就任を辞退せざるを得なかった」(金融関係者)

この日は、西川がもっとも可愛がっていた部下の宿沢広朗(三井住友銀行専務)の通夜だった。西川は、宿沢の葬儀にも通夜にも顔を出すことはなかった。小笠原の辞退で弔問すらままならなかったのだろう。

結局、7月に入り、バンカーではない古川沿次氏(三菱商事常任顧問)の郵貯銀行社長就任が発表された。

「新規業務を始める郵貯銀行は、バンカーが数多く必要です。ところが、西川さんが個人的に声をかけても応じてくれない。最近は『公募しろ』とまで言ってるほどです。もっとも、郵貯銀行は給料が安すぎるので、公募してもボロボロの地銀や信金の人間ぐらいしか来ないでしょう」(同前)

西川にとって、持田の別荘での酒宴は、久しぶりの息抜きだったのかも知れない。しかし、日本郵政のトップが、特定の外資系金融機関のトップの別荘に招かれては、様々な誤解を招きかねない。日本郵政は、郵便貯金と簡保で運用資金が300兆円を超える世界最大の金融機関の持ち株会社である。資金運用の委託や金融商品の郵便局窓口販売、信託銀行業務など、証券会社にとっては、途方も無いビジネスチャンスが眠る「宝の山」なのだ。

国会でも西川と持田の「関係」は注視され、6月2日の参議院財政金融委員会で、民主党の峰崎直樹議員が二人の間柄を問い質している。この時、西川は「今年に入ってから(持田と食事をしたことなどは)なかった」と答えている。与謝野馨金融担当大臣は、次のように語る。

「初めて聞く語だからねえ。どういう経緯でそういうお付き合いをされているのかも分からないからいなんとも……」

調布の自宅で西川を直撃した。インターフォン越しに「持田さんとは最近会ってないのですか?」と聞くと、憮然とした声で「ああ」と応じる。ところが、「8月12日に軽井沢で会いませんでしたか?」と尋ねると、「おい、なぜ引っ掛けるような聞き方をするんだ!」と激昂しながら、Tシャツとパジャマ姿で玄関から飛び出してきた。

―最初は「会ってない」という答えでしたが?

「プライベートだからだ。持田は旧友だ。プライベートで会って何が悪い?」

―高級ワインを持参したと聞きましたが。

「持っていってない。たまたま軽井沢にいて、『良かったら来ませんか』と電話があったから、家族と一緒に顔を出しただけだ」

―特定の外資系金融機関トップの酒席に招かれると、誤解されるのではないか。

「なぜ、そういう方向に持っていくんだ。疑惑は無いんだ!」

―西川社長に対する風当たりが強いようです。新政権で竹中さんが政界を去ってしまったら、後ろ眉を失うのでは?

「誰がいてもいなくても関係ない。仕事ってのは、粛々と進めるもんだ!」

終始この調子で、20分以上も怒鳴り続けると、記者の名刺を受け取ることさえ拒否して、憤懣やるかたなしという態度で家の中に消えてしまった。

一体、誰がこの人物を「最後のバンカー」と命名して持て囃したのだろう。そして、西川の影響力が落ちることは、持田にとってもマイナスであることは間違いない。

昨年9月2日、GSのポールソンが来日し、楽天本社で社長の三木谷浩史、副社長の國重と会った。國重が当時を振り返る。

「楽天のファイナンス(増資)に協力したいという営業でした。実は、この時に初めて持田さんと会ったのです。私が持田さんに名刺を出そうとすると、三木谷が、『えっ、知り合いじゃなかったんですか』と驚いてたのを覚えてます」

昨年10月、楽天がTBS株を取得して、経営統合を求めた。この時、楽天側のアドバイザーになったのがGSである。一時は「敵対的買収」に挑むかと思われたが、TBS側の安定株主工作で攻め手を失った。さらにTBS株の下落で含み損を抱え、撤退も難しくなってしまった。

結局、1000億円もの巨費のTBS株買収に費やしながら、膠着状態のまま1年が経過しようとしている。GSは、事態の打開に向けて何らの効果的な提案も、政財界へのロビー活動をした痕跡すらない。

「持田さんの人脈らしい人脈は、西川さんだけです。西川さんが日本郵政の社長になってもTBSの社外監査役から辞任しなかったのが唯一の救いでしょう。とはいえ、今の西川さんにTBS首脳を懐柔して『大人の解決』に導くだけのパワーはない。この問題は、事実上『楽天の負け』が確定しています」(外資系投資銀幹部)

冒頭に紹介した酒宴の席上、国重が自身の「事情聴取説」を笑い話にすると、持田は「ウチの会社の連中も、俺がクビになりゃいいとでも思ってるよ」と応じ、それを聞いた西川が「そりゃそうだろ」とからかい、三人は声をそろえて笑い合ったという。

GSは、数年前までは外資系投資銀行の「輝かしい主役」として巨額のM&Aを成功に導いてきた。しかし、今のGSは、問題を抱えた会社の足元を見て、自分達が絶対に儲かるような絵図を描くだけで、「楽天とTBSの経営統合」のようなストレートなM&Aでは、手を拱いている。証券業界には「GSは日航を狙っているのではないか」という説がある。

「日航は社債の償還などで再び1000億円規模の金が必要になる。その時、GS自身が出資して役員も派遣するのではないか。今回の増資は単なる前哨戦だったのかも知れない」(業界関係者)

初出:外資凋落-最強外資 ゴールドマン・サックスの本性『週刊文春』2006年9月21日号
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