https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/32843d887911bcafb938d815bc495789
「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが,人間の手にうつるとすべてが悪くなる」
ジャン・ジャック・ルソー<エミール>より
「私は正式に結婚していなかったテレーズ・ルバスールとのあいだに生まれた五人の子供をすべて孤児院に送ってしまった」 JJ・ルソー(告白第七巻)
「教育論の構想を立てていたとき,わたしは,なんとしてもまぬがれられぬ義務を自分が怠っていたことを悟った。懺悔の念は次第に激しくなって「エミール」を書きはじめた時,もうすこしで自分の過ちを打ち明けてしまうところだった」 JJ・ルソー(告白第十二巻)
イエスかバラバか?
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。(マタイ 28 章 18-20 節)
マタイ24章は終末の預言か?
新約聖書とは。
xt-decoration:underline">新約と旧約の違いはな~に?
マタイ福音書Ⅰ:1~7章・イエスの教え
マタイ福音書Ⅱ:8~12章・イエスの業
マタイ福音書Ⅲ:13~17章・天国の共同体
マタイ福音書Ⅳ:18~23章・天の国の共同体
マタイ福音書Ⅴ:24~28章・受難と復活
バッハ・マタイ受難曲
ビデオで見る聖書の旅
「もしガリラヤの埃っぽい日ざしを浴びて,塵にまみれ,旅に疲れた師イエスをよく知り,これに従っていた真面目なナザレ人の誰かが,突然この世界に戻ってきて,例えばローマの聖ペテロ教会のミサに参加して,その聖壇のうえにおかれた聖餅(せいべい)が,十字架にかけられたかれの師そのものに他ならないと知ったら,これもまた驚くであろう。釈迦がチベットに再来して,ラッサにおける自身の偶像が礼拝されているのを見たら驚くように」とHG・ウエルズは世界文化史の中で述べているように冷めた見方もある。ですから理解しようとはせず感覚的な何かがつかめたらそれで充分です。
YAHOOから拝借しました。
ニースやリオのカーニバルは四旬節(仏語ではCENDRE,英語ではLENT)がベースになっていて毎年日にちは変わる。最後の火曜日が本当のカーニバルで日本からもねぶたや阿波踊りが参加しましたがその意味が分かっているのでしょうか。浅草のサンバカーニバルは四旬節とは全く関係なく行われる。
ヘロデが死ぬと,主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて,言った。「起きて,子どもとその母親を連れて,イスラエルの地に行きなさい。この子の命を狙っていた者どもは,死んでしまった。」そこで,ヨセフは起きて,幼子とその母親を連れて,イスラエルの地に帰ってきた。しかし,アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き,そこに行くことを恐れた。ところが,夢でお告げがあったので,ガリラヤ地方に引きこもり,ナザレと言う町に行って住んだ。「彼はナザレ(Nazareth)の人と呼ばれる」と,預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった。(マタイ第2章19~23節)
上の写真はEpiphany(主顕祭で1月16日に祝う。東方の3博士「Magi」の前にキリストが姿を現した日を祝う)の祭りにはギリシャ正教会から多くのロシア人巡礼者がヨルダン川のHajlehの浅瀬に来て水浴びをする。
ヨハネは,ラクダの毛衣を着,腰に革の帯を締め,いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで,エルサレムとユダヤ全土から,また,ヨルダン川沿いの地方一帯から,人々がヨハネのもとに来て,罪を告白し,ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。(マタイ3章4~6節)
イエスは洗礼を受けると,すぐ水の中から上がられた。そのとき,天がイエスに向かって開いた。イエスは,神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのをご覧になった。そのとき,「これはわたしの愛する子,わたしの心に適うもの」という声が,天から聞こえた。(マタイ3章16~17節)
東方の三博士の礼拝。(Uffizi /Firenze) Gentile da Fabriano1370-1427 05.ゴシック
マタイによる福音書第2章『占星術の学者たちが東の方からエルサレムにやって来た......』
イエスは言われた。「都に入ると,水がめを運んでいる男(注:水瓶座のこと)に出会う。その人が入る家までついてゆき........」ルカによる福音書22~10>これはイエスに象徴される魚座の時代の次は水瓶座(2150年)を意味している。こういう天文学的記述が新約では多く出てくる。
Then cometh Jesus from Galilee to the Jordan unto John,to be baptized of him......and the heavens were opened unto him,and he saw the Spirit of God descending as a dove,and coming upon him;and a voice out of the heavens,saying,This is my beloved Son,in whom I am well pleased.
我々は現在この”魚座の時代”にいる。そして2150年から新しい時代に入る。水瓶座(AQUARIUS)の時代である。旧約聖書ではモーゼがシナイ山に十戒と共に現れた時,彼は人々が黄金の牛を崇拝しているのを見てひどく憤慨した。実際モーゼは石刻版(管理人注:二枚のうちの一枚)を粉々に砕いて人々に心を清めるために殺し合えと命令した。
多くの聖書学者達はこのモーゼの怒りはイスラエル人が間違ったものを崇拝していたからだと理解している。実はこの黄金の牛とは”牡牛座の牛”のことでありモーゼは新時代の羊を表現していた。だからユダヤ人は今日でも羊の角笛を吹いている。
.........こう話し終えると,イエスは弟子たちと一緒に,キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり,イエスは弟子たちとその中に入られた。イエスを裏切ろうとしていたユダも,その場所を知っていた。イエスは,弟子たちと共に度々ここに集まっておられたからである。それでユダは,一隊の兵士と,祭司長たちやファリサイ派の人々の遣わした下役たちを引き連れて,そこにやって来た。松明(たいまつ)やともし火や武器を手にしていた。イエスは御自分の見に起こることを何もかも知っておられ,進み出て,「誰を捜しているのか」と言われた。彼らが「ナザレのイエスだ」と答えると,イエスは「わたしである」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らと一緒にいた。イエスが「わたしである」と言われたとき,彼らは後ずさりして,地に倒れた。<ヨハネによる福音書18章1~6節>
エルサレムからベツレヘムへ至る道......そのとき,占星術の学者たちが(注;あるいは3賢人ともいう)東の方からエルサレムに来て,言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は,どこにおられますか。わたしたちは東方でその星を見たので,拝みにきたのです。」(マタイ2章1~2節)
Bell of Bethlehem.O come Ye,O come Ye to Bethlehem.
この年老いたアラブの老人は夕方の玄関前でくつろいでいる。手には数珠。典型的なパレスティナ人のいでたちである。まるでBen-Siraの教えを守っているようである。
律法を守ることは、多くの供え物に匹敵し、
掟に心を留めることは、和解の献げ物に、
他人の親切に報いることは、穀物の献げ物に、
施しをすることは、感謝の献げ物に匹敵する。
主に喜ばれるには、悪事に手を染めず、/贖いを受けるには、不義に手を染めないことだ。(35・1~5)
いまだに残るヘロデ王の豪華な宮殿跡。サマリアの頂上に,つまり,古代イスラエル王国はあった。
ローマのカタコンブ(CATACOMBS)で見つかった天井にあったイエスのフレスコ画。恐らく一世紀ごろの作品で大英博物館所蔵。
When they were come into the house......この原始的なユダヤ人村の風景は3賢人(東方の3博士)が幼児のキリストとその母マリアを見てひれ伏したことを思い起こさせる。「家に入ってみると,幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み,宝の箱を開けて,黄金,乳香,没薬を贈り物として献げた」(マタイ2章11節)
ヨセフは起きて,夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り,ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは,「わたしは,エジプトからわたしの子を呼び出した」と,主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(マタイ2章14節)
イエスはこの雪の降るベツレヘムで誕生した。今でも何百万人もの人たちがこの地を訪れる。
エルサレムとベツレヘムの間にかつて動物達の水のみ場であった井戸がありWell of the Star,もしくはWell of the Maggiと呼ばれている。
ガリラヤ湖の北側では早朝から漁にでる。「イエスは,ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき,二人の兄弟,ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが,湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。(マタイ4章18節)
BEHOLD,A SOWER WENT FORTH TO SOW. イエスは例えを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に,ある種は道端に落ち,鳥が来て食べてしまった。ほかの種は,石だらけで土の少ない所に落ち,そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし,日が昇ると焼けて,根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨(いばら)の間に落ち,茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが,ほかの種は,良い土地に落ちて,実を結んで,あるものは百倍,あるものは六十倍,あるものは三十倍にもなった。(マタイ13章3~8節)
人の子は,栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき,その栄光の座に着く。そして,すべての国の民がその前に集められると,羊飼いが羊と山羊を分けるように,彼らをより分け,羊を右に,山羊を左に置く。(マタイ25章32節)
そのすることは,すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり,衣服の房を長くしたりする。宴会では上座,会堂では上席に座ることを好み,また,広場で挨拶されたり,『先生』と呼ばれたりすることを好む。だが,あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで,あとは皆兄弟なのだ。また,地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。(マタイ23章5~9節).......多くの牧師たちは信者に『先生』と呼ばせているのも事実だ。
この写真は旧約の解説でも書きましたがオリーブ山にあるユダヤ人墓地でエルサレムのWall of the Templeが南東に見える。マタイ23章27~29節参照。
Wall of the Temple Area in Jerusalem
エルサレムの北約8マイルのところにあるRamallahの近くでの結婚披露宴風景。マタイ22章1~14節参照。
二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ,もう一人は残される。(マタイ24章41節)
Tell us,when shall these things be? and what shall be the sign of thy coming,and of the end of the world.
エルサレムのZion Gateのちょうど外側にPalace of CAIAPHASはある。その中にはTombs of the Armenian Patriachsがある。ここはゲツセマネの庭からイエスがローマ兵によって連行された場所として知られる。地下は刑務所になっている。マタイ26章69~75節参照。(ペトロ,イエスを知らないという)
写真はベタニア.......それから,イエスは彼らと別れ,都を出てベタニア(Bethany)に行き,そこにお泊りになった。(マタイ21章17節)
この建造物はギリシャ神話の自然の神とヘルメスの息子であるパン(PAN=ギリシャ神話の神で羊,森,野原,野生動物の神でやぎの角と足をもち葦で作った笛を吹き音楽を好む)の聖堂跡である。
イエスはフィリポ・カイサリア(Philippi Caesarea)地方(注:そこは異教徒・Paganismの中心であった)に行ったとき.........マタイ16章13~20節参照。
イエスが水上を歩いたとされるガリラヤ湖の北側でTABGHAHからの眺めと考えられる。
アンダーラインの記事の下部に魚のビザンチンモザイクが出てきますがもうこの意味はお分かりでしょう。
当時の魚つりの方法
このためこの畑は今日まで「血の畑」と言われている。マタイ27章3~8節参照・ユダ,自殺する)
マリアの井戸と言われる場所。この少女たちは夕刻の涼しい時間帯にかつてマリアが幼少のイエスを連れてしたように今でもそうして水を汲み運んでいる。こういう美しい少女は日本では見られないだろう。
Basilica of Annunciation内部
聖処女マリアの生まれたとされるAbbey Church of St.ANNA。Stephen's Gate(Gate of lady Mary) 近くエルサレムの北東の一角にある。聖母マリアとは乙女座の乙女=Virginのことでラテン語では乙女はVirgin(聖母)=VIRGO THE VIRGINという。古代エジプト文字では乙女座はMと記される。だからマリアを含むその他の聖母マイラ(MYRRA)=アドナスの母やマヤ(仏陀の母)MOSES,MANOU,MINOS,MISESなどがいる。そういえばミトラもMだ。また乙女座とは”パンの家”を意味しまたベツレヘムとは”パンの家”という意味である。それは天空の乙女座の場所をさしており地球上の場所ではない。イシスとホロスもシュメール神話からくる。プロテスタントの牧師は言う。「イシスはマリアの育ての親ではないか」と。
その後URLのかわりに「Not Your Business!」と感嘆符までついたアクセスがあった。おそらく何処かの日本人くそ牧師であろうか。Not your businessではなく正確には「It's none of your business」と書く。それはお前には関係ないこと,の意味。
イシスとホロス マリアとイエス
ブログ内検索でマリアを調べると30件出てくる。
LUKE(ルカ)1章26,27節参照)
ルカのついでにルカ1章31節聖ガブリエル教会
「四人の福音書家」(Book of Kells, ca. 800・ケルズの書)
英文のWikiがより詳しい
『人、獅子、牡牛、鷹の象徴はそれぞれ福音書家マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネに相当する。 それは春分,秋分,夏至,冬至を決定的に暗示している。これから書く記事は徹底して真実をあらわにしてゆきます。
下のキリスト像の背後には縦軸が夏至~冬至,横軸が秋分~春分を指している。古代バビロニア時代から惑星運行表が存在しすべてはVernal Equinox Precession(春分点歳差運動)なのです。地球の地軸は赤道に対して23.4度傾いている。それによって四季がもたらされる。本当の神はいるのです。
下の四隅は夏至,冬至,秋分,春分を意味する。この世の終わりとは(マヤのチラムバラムによると)過去四度起こった極の移動(Pole Shift)を明らかに意味している。
パリ、ノートルダム大聖堂入り口上部にある雄牛,人,獅子,鷲。<主がイスラエルの地に向かってこう言われる。終わりが来る。地の四隅に終わりがくる。今こそ終わりがお前の上に来る>エザキエル書第七章第二節より。<そして第七の天使がラッパを吹いた時,「この世の国は,我らの主と,そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。.......そして,天にある神の神殿が開かれて,その神殿の中にある契約の箱が見え,稲妻,さまざまな音,雷,地震が起こり,大粒の雹(ひょう)が降った。>ヨハネの黙示録第十一章第15~19節より。
聖書は一貫して極の移動による人類の終末を書いていると理解してよいでしょう。覚悟だけはしておいたほうがいい。マヤ暦の終わる2012年12月22日前後3週間は80メートル以上の津波に耐えられる場所に行くことだ。ノアの方舟を捜すことが生き延びる一つの方法かもしれない。
結局マヤ歴は終わらなかったがそれには仕掛けがあった。あの時の2001年9月11日を引くとぴったり2011年3月11の東北大震災の日と一致する
2012年12月21日の謎は専門家が分析している。
自転軸の傾斜と極移動の違いとは
「惑星の傾斜と極移動とは同じ現象ではありません。惑星の自転軸が傾斜する現象は,地軸移動と呼ばれています。
一方,極移動とは,地軸の傾斜角度は変化しません。南北が完全に逆転したとしても,地軸の傾斜角度はもとのままで天体だけが反転する現象です。
海洋地質学の研究者たちは,根気のいる調査によって,チャーチワードなる人が提唱した幻のムー大陸が実在しそうにないことを証明しつつあります。
もし地球の自転軸に意識を集中させれば,今から30年後までに起こる可能性の地軸の傾斜傾向と,その解決策が見つかると思います。
私がしばしば記す地球の自転軸の傾斜とは,地軸の傾きが23.4度以上傾いている現状45度,60度,あるいは180度傾く現象を指します。この時,同時に極の反転も起きる可能性が高い。私たちが住む太陽系の他の惑星も,勿論このような現象を体験しています。今のところ隣の惑星の火星だけが極移動と考えられる現象を示しています。それ以外の惑星は,自転軸の傾斜があったと考えられる。小学校低学年の児童のように思考すれば,地球も過去に自転軸の傾斜が発生したことを明白,と感じるでしょう。
現在の地球の地軸が23.4度傾いている事実。
南極大陸を覆っている氷と,シベリアから冷凍状態で発見されたマンモスなどの動物は,地球の過去に生じた地軸の傾斜によるものと感じられます。また日本近海では,奄美大島から南西諸島にかけて,この島々を乗せている琉球海嶺の二箇所に,深さ1000メートルから1300メートルに及ぶ断層が発見されています。周囲の深さは200メートル。この断層だけが,1000メートル級の深海です。
そして調査の結果,この地質上の分断は今から約24000年前に生じたことが判って,それまでは陸地であったことも判りました。またこの当たりでは,与那国島などに海底遺跡が発見されています。ここで注意しておいてもらいたいことがあります。
それは,惑星の自転軸の傾斜や極移動は,地球の自然界の周期活動の一つにすぎないということです。地球に悪がはびこったので神様が地球人を滅ぼそうとしているのではないのです」
ゴメイストさんへ
追加です。
http://www5.cncm.ne.jp/~ryuji-t/kenkyu/lucif.htm
アウグスティヌスやパウロは後日詳しく書きますがThe Great Chain of Being(存在の偉大な連鎖)つまり西洋には充満の原理がありアウグスティヌスもそれを肯定しているのですが『神の国』岩波文庫(服部英次郎訳)を読まれることをおすすめします。NWOグローバリストなど小さな取るに足りない存在にすぎません。あまり神経質になる必要もありませんしマタイやルカには天文学的な記述が多く出てきます。聖書はもともとVernal Equinox Precession(春分点歳差運動)でバチカンを空から見るとよく分かります。リンクにある「Ω祖型からバチカンまで」などを参考にされてください。アウグスティヌスはマニ教徒であったという記事の魚拓はなぜか記事が消えてしまっているのですが再度記事にする予定です。上のルシファー研究室には以下の説明があります。
426年アウグスティヌス『神の国』第11巻15章(岩波文庫)
『ところが、かれらは、預言者の証言に、すなわち、イザヤが悪魔をバビロニアの君主の人格をもって象徴的にあらわして、「ルチフェルよ、朝にのぼっていたあなたは、どうして天から落ちてしまったのか」といい、あるいはエゼキエルが「あなたは神の園の快楽のうちにあって、ありとあらゆる宝石にかざられていた」という証言にどう答えるのであるか。この証言においては、悪魔が罪なくあったときもあることが理解されるのである。
アウグスティヌス(354~430)も、413年から426年にかけて書き記した『神の国』の中で『イザヤ書』のルシファーを悪魔とみなした。「エゼキエルが」とあるのは、『エゼキエル書』第28章のエピソードで、ここでも「あなたは自分の美しさのために心高ぶり、その輝きのために自分の知恵を汚したゆえに、わたしはあなたを地に投げうち、王たちの前に見せ物とした」とあるが、これもイザヤ書同様にツロの王の事を指していて、悪魔を指しているわけではない。アウグスティヌスはもともとマニ教徒だったが、キリスト教に改宗した人物で、「ところが、かれらは、」というのは、マニ教徒たちを指しており、この文章は、マニ教の二元論に対する一元論的悪魔観を述べている文章である。マニ教の二元論が「悪」がもとから「悪」として創られたのに対し、アウグスティヌスの一元論では、もともとは「罪なくあった」ものとして創られたものが、「悪」になったと語っている。ということは、ルシファーという存在は、神学者がキリスト教における一元論神学を語るにあたり、「必要悪」として創られたんではないだろうか。』と。
DVD イスラエルに見る聖書の世界 旧約聖書編 ◆製作・演出:ミルトス制作部 ◆ナレーション:森繁久彌、神津カンナ ◆全120分 ミルトスhttp://myrtos.co.jp/ 現地取材2年、7万キロ走破の成果。聖書への信仰と情熱で完成! 旧約聖書を、次のようなシーンをもとに美しい音楽と映像で紹介します。 ・都市・遺跡・自然の山野・湖・川・砂漠・動物・植物・人々・教会・生活・行事・考古学的遺物など 聖書時代さながらの聖地の風景は、現地の都市化のため、もう2度と撮影できない映像作品です。「永久保存版」としてご愛用ください。 イスラエルとエジプトの自然、遺跡、教会などを現地撮影し、本物の舞台を通して聖書をドキュメンタリー風に紹介しました。 詩情あふれる映像と美しい音楽、心にしみ入る名ナレーションによって、いながらにして聖地を旅する感動を味わえます。 詳細はミルトスまで http://myrtos.shop-pro.jp/?pid=8951015
イスラエルに見る聖書の世界の続きは