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沖縄で痛ましい事件が頻発しています。
ついでにJAL123便御巣鷹山の真相
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↑お借りしましたm(_ _)m
*日本国民の大きな勘違い!
*沖縄の米軍基地は昭和天皇の要請で、米国が設置しているものです。
・基地が存在する事によって生じる不都合な、悲しい事件の責任は昭和天皇に有ります。
・米軍基地撤去のデモは皇居前でおこなうべきです!
(昭和)天皇メッセージ
沖縄公文書館が米国国立公文書館から収集、2009(平成20)年3月25日に公開した「天皇メッセージ」
注;進藤榮一筑波大教授が、米国から帰国後、沖縄分割に関する天皇メッセージ電文を発掘掲載した衝撃的論文「分割された領土」(岩波書店の月刊誌『世界』1979年4月号)で発表した。
注;昭和天皇の初訪米(1975年10月)を前に沖縄へ先に行けないかとの意向を、当時の屋良朝苗(やらちょうびょう)本土復帰後の初代沖縄県知事(米国統治下の琉球政府最後の行政主席)が、同年7月に始まる沖縄国際海洋博覧会の打ち合わせで4月16日に上京、午前11時から宮内庁の宇佐美長官と会った時に伝えられたという(屋良氏が75年4月16日の日誌に書き残している。なお、同氏の1953年から85年までの日誌や手帳など126冊の複製が沖縄県公文書館で公開されている)。
同文書は、1947年9月、米国による沖縄の軍事占領に関して、宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた昭和天皇の見解をまとめたメモ。
注:宮内庁御用掛=宮内庁長官が任命する専門的な知識や経験を生かして、皇室に奉仕することを任務する非常勤の国家公務員で、定数はないが、2011年5月現在、小学4年生(当時)の愛子さまの家庭学習を指導する東京都の元公立小学校教諭の糸川順子さん(56)ほか、通訳や和歌の指導などで15人が働いている。
注;寺崎英成(てらさき ひでなり)=1900~1951年。東京生まれの日本の外交官、元・宮内省御用掛(通訳)。1941年に再びワシントンの日本大使館に赴任。情報担当の一等書記官として、野村吉三郎・来栖三郎両大使を補佐して日米交渉に当たった。日米開戦直前には、親電工作(ルーズベルト大統領から昭和天皇への親書発出工作)に尽力した。1947年2月、宮内省御用掛に任命され、昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の通訳を数回務めが、50歳の若さで死去。
滝田栄主演で1981年にNHKでドラマとして放送された柳田邦男原作『マリコ』の主人公のモデル。寺崎が保管していた文書類から、1990年に『文藝春秋』で発表された昭和天皇が側近・侍従などを相手に帝国日本の事情や開戦に至るまで経緯などが、率直に語られた記録『昭和天皇独白録』は有名。
注;ウィリアム・ジョセフ・シーボルド(William Joseph Seybold)=1901~1980 年。アメリカ合衆国の外交官。1947年から1952年まで、アチソンの後を継いで駐日政治顧問及び連合国軍最高司令官総司令部外交局長に就いたほか、 マッカーサー元帥の代理人も務めた。また、50万人超の国外の日本人捕虜を日本に帰還させる主導的役割を果たしたといわれる。1952年から1954年ま で駐ビルマ大使、1957年から1961年まで駐オーストラリア大使に就任した。
内容は概ね以下の通り。
(1)米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
(2)上記(1)の占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
(3)上記(1)の手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。
メモによると、天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し、共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同も得られるなどとしている。
1979年にこの文書が発見されると、象徴天皇制の下での昭和天皇と政治の関わりを示す文書として注目を集めた。
この外交文書が機密解除されたのは沖縄「復帰」後7年目。日の丸を掲げて島ぐるみで「本土復帰運動」をした沖縄県民は騒然とした。
シーボルト連合国最高司令官政治顧問は、率直に「a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest(疑いをはさむ余地なく主としてself-interest〈私利私欲、利己心〉から出た要望)」と評している。
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総司令部政治顧問シーボルトから国務長官宛の書簡
主題:琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解
国務長官殿 在ワシントン
拝啓
天皇の顧問、寺崎英成氏が同氏自身の要請で当事務所を訪れたさいの同氏との会話の要旨を内容とする1947年9月20日付けのマッカーサー元帥あての自明の覚え書きのコピーを同封する光栄を有します。
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天 皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事 目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
敬具
合衆国対日政治顧問 代表部顧問
W.J.シーボルト
東京 1947年9月22日
「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」を主題とする在東京・合衆国対日政治顧問から1947年9月22日付通信第1293号への同封文書
連合国最高司令官総司令部外交部
1947年9月20日
マッカーサー元帥のための覚え書
天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来に関する天皇の考えを私に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立ち、ま た、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼及び左翼勢力が増大して、ロシアが日本に 内政干渉する根拠に利用できるような事件をひきおこすことをもおそれている日本国民の間で広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)に たいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借――25年ないし50年あるいはそれ以上――の擬制にもとづくべきであると考えている。天 皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野心を持たないことを日本国民に納得させ、また、これによる他の諸国、とくにソ連と中国 が同様の権利を要求するのを阻止するだろう。
手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講和という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解を危うくする可能性がある。
W.J.シーボルト
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