達人さんのサイトより
https://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/4671
<転載開始>

満州にユダヤ国家を樹立せよ!!~幻に終わった「フグ計画」(2000.6.22)

http://teikoku-denmo.jp/history/honbun/project_fugu.html

荒巻義雄氏のベストセラー小説に『紺碧の艦隊』シリーズがあります。この小説中、もう一つの「第二次世界大戦」の歴史の中で、南樺太(サハリン)にナチス・ドイツの迫害から逃れたユダヤ人の為の「約束の地」として、日本が「東方エルサレム共和国」を建国させる、と言う場面があるのですが ── 実は、これには実際に一つの歴史上の「モデル」があったのです。すわなち、満州に「ユダヤ国家」を樹立させる!! と言うものです。結果的に幻に終わった訳ですが、今回は、荒巻氏が小説の中で甦らせた幻の「ユダヤ国家」について触れてみたいと思います。

時は1917年。日本をして二度の大戦争(日清・日露戦争)に駆り立てた脅威の帝国・ロシアは、共産革命によって呆気ない結末を迎えました。世に言う「ロシア革命」ですが、この革命を指導したレーニン等がユダヤ系だった事と、『シオン賢者の議定書』なるプロパガンダ文書の流布によって、ユダヤ人が革命拡大によって世界支配を目論んでいると言う「ユダヤ脅威論」が欧州諸国に拡大し、ひいては、ユダヤ人排斥運動を増長させる結果となったのです。そして、その急先鋒が、アドルフ・ヒトラー総統率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党 略称:NSDAP)が政権を獲得したドイツ第三帝国だったのです。

一方、極東は満洲。ロシア革命の混乱の中、満洲へと難を逃れたユダヤ人に対する処遇を、日本は真剣に考える必要に迫られたのです。1931年の「満州事変」以来、日本は国際社会 ── とりわけ米国との関係悪化に苦しんでいました。日増しに強まる対日圧力と、日本の生存圏確保と言う二つの命題をどう解決していくか? その方策として考えられたのは、当時、「亡国の民」として国家を持たず、欧州において排斥の対象となっていたユダヤ人に「約束の地」 ── 定住の場を満州に設けると言う奇抜なアイデアだったのです。

「河豚(フグ)計画」。これがこのアイデアに対する暗号名(コードネーム)でした。この計画は、満州国内に「ユダヤ人特別自治州」を設置すると言うもので、ユダヤ人に対して高度自治権を付与する事実上の「ユダヤ人自治国」(内モンゴルにおける徳王の「蒙古自治邦」の様なもの:『もう一つの満州国、幻の「内モンゴル独立国」』参照)と言えるものでした。しかし、この計画はそれに留まるものでは決してありませんでした。「ユダヤ人特別自治州」の設置によって、世界中に散らばるユダヤ資本からの投資促進による満州国、ひいては日本の国力活性化をも企図していたのです。又、対日関係が日増しに悪化の一途を辿っていた当時の米国において、政財界に多大な影響力を持つユダヤ人ロビーが存在しました。その最右翼と言えるのが、反日家で知られ、フランクリン・ローズヴェルト大統領の側近でもあった世界ユダヤ人会議議長・ラビ・スティーブン・ワイズだったのですが、その彼を通しての対米融和工作(「日米開戦」と言う最悪事態の回避)をも企図していたのです。この為に、陸軍・安江仙弘(1888-1950 大連特務機関長)、海軍・犬塚惟重(支那方面艦隊司令部付上海在勤海軍武官府「犬塚機関」長)の両大佐が東奔西走しました。しかし、事態は思わぬ方向へと進んでいったのです。

1940年9月27日、日独伊三国同盟締結。翌28日、「フグ計画」の中心人物であった安江大佐が大連特務機関長を解任、予備役に編入され、安江大佐と在東京ユダヤ人キンダーマンによって、水面下で進められていた米国政府との直接交渉は、実現を目前にして潰えたのです。そして、同年12月8日、日本は遂に米英に宣戦布告。ここに「フグ計画」は事実上、終焉を見たのです。

戦後、シオニズム運動の高揚と、戦時中からの英国の「二重手形」(パレスティナ・ユダヤ両民族に対して、戦後、パレスティナの地に独立国家を建設する事を承認していた)によって、パレスティナ・ユダヤ両民族双方が、「同じ場所」(パレスティナ)に独立国家の建設を画策。結果的に、ユダヤ人が「イスラエル建国」(1948年)と言う形で独立国家建設を強行。その後の四次にわたる中東戦争の中で、大量のパレスティナ難民が生み出され、又、今尚続く「パレスティナ問題」として尾を引いてしまったのです。しかし、もし、戦前・戦中の激動の時期に「フグ計画」が実現し、満州の一部にユダヤ人の「約束の地」として「ユダヤ国家」が建国されていたとしたら・・・そして、英国が「二重手形」を振り出さなかったとしたら・・・ひょっとしたら、その後の中東戦争もパレスティナ問題も起こらなかったかも知れません。その意味では、ユダヤ人に対する「最終的解決」の好機を逸したと言う点で、非常に残念としか言いようがありません。
「フグ計画」 関連年表~は省略



ついたコメントから

『山口ヤマグチ
1 年前
自衛隊幹部候補生学校卒業後5年間部隊勤務して除隊した者ですが、このような戦史教育は全くなかったです。ただ東京裁判史観の沿った歴史教育だけでした。
自衛隊の隊員に本当に知って欲しい内容の素晴らしい動画です。
ありがとうございました』

氷点下20度の極寒の地、ナチスの迫害から逃れてきた多くのユダヤ人難民は満州とソビエトの国境オトポールで立ち往生していました。
満州国外交部はドイツの目を気にして入国を拒否するなか、当時、ハルビン特務機関長であった、樋口季一郎少将は、二万人ともいわれる凍死寸前のユダヤ人難民の命を救ったのです。

「日本はナチス・ドイツの属国ではありません。ヒトラーのお先棒を担いで弱い者いじめ?することが、正しいことですか」

当時、関東軍の東条英機参謀長に、樋口季一郎少将は正論をぶつけました。リトアニア領事館で杉原千畝が「命のビザ」を発給する2年前のことでした。

樋口季一郎は、また、米艦隊に包囲され、玉砕必至のキスカ島守備隊520?0人の無血脱出を成功させ、さらに終戦後に北方に侵攻するソ連軍への「断乎反撃」を命じ、ソ連の北海道占領の野望?を砕いて、占守(しゅむしゅ)島での日本軍最後の勝利をもたらしています。
これら三つの「奇跡」をもたらしたのは、常に人道に立脚した樋口の決断でした。
現在の日本がおかれている安全保障における危機的状況を打開するためにも、人として正しい道を貫いた樋口季一郎の「志」を学ぶことはとても大切なことだと思いま?す。

樋口季一郎元陸軍中将のお孫さんで、明治学院大学の樋口隆一名誉教授に24歳まで同居?していた祖父から学んだことや秘話、思い出を語っていただきながら、決断の人、樋口季?一郎元陸軍中将の歴史的偉業に迫っていきます。

英語版「The Miracle of General Kiichiro Higuchi」
https://youtu.be/VYSvrgFWTAQ

「ユダヤ人の記憶に生きる日本人 杉原千畝 」
https://www.youtube.com/watch?v=m5_q1...

「 杉原千畝 四男 伸生 父の思い出を語る」
https://youtu.be/70C6W_tjes8

「戦後70周年に向けて 正しい歴史に学ぶ すばらしい国 日本」ダイジェスト版
https://youtu.be/-usWnzcFUhw
もご覧ください。



人間が登りつく最高の行為

https://youtu.be/m5_q1i5ntTY?t=2015

杉原千畝が書き残していたユダヤ人ビザ発給の本当の理由 天木直人

http://www.asyura2.com/15/senkyo197/msg/496.html

ついたコメントの一つから

2015年12月03日 13:32:52 : 5fSkgho2DU : MDSCLy8H2yc
河豚計画というのがあった。
ドイツやヨーロッパでの迫害が目立ってきたユダヤ人を満州に受入れ自治区を造ろうとした日本軍部の計画

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%B1%9A%E8%A8%88%E7%94%
BB

ユダヤ人の経済力や各界に出ている優秀さ・影響度合いを
日本に取り込むとか色々と考察され
その計画自体が猛毒を持っているフグを料理するようなもんだという理由で河豚計画といわれた。
これはゴルゴ13の題材にもされ描かれている「河豚の季節」人道主義はもちろん有っただろうが、それだけではないとの判断や資料が出てきても何ら不自然ではない。ましてやウヨ・サヨだけで判断できるモノではない。

日本人が知るべきユダヤ人との深い歴史的関係

https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%99%B8%E8%BB%8D%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%B2
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