http://members.jcom.home.ne.jp/katote/nenpo2010.htm
戦後米国の情報戦と六〇年安保~ウィロビーから岸信介まで
加藤哲郎(早稲田大学)
関連記事;ウラジミール・ブコフスキーインタビュー
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/931.html
(極秘のソヴェトの)文書によれば、1985-86年は、転換点となる年でした。私は、これらの文書の大部分をすでに出版しました。
http://www.junepress.com/coverpic.asp?BID=741.......消去
それは、インターネット上でも見ることができます。
http://psi.ece.jhu.edu/~kaplan/IRUSS/BUK/GBARC/buk.html
前ソ連反体制活動家が欧州連合の独裁制移行を警告(全文)
ソ連時代、反体制活動家として逮捕、強制収容所、精神病院などに12年間収容され、1992年にイギリスに亡命したヴラジミル・ブコフスキー氏のインタビューが「ブリュッセル・ジャーナル」に掲載されているので要約する。(tomi)
http://www.brusselsjournal.com/node/865
それとマーストリヒト条約の本質を知る必要がある
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/720.html
一 はじめに
日本現代史は、グローバルな現代史の一齣である。それが地球上のどの範囲にあり、いつから始まるかは、「現在」からの後付けにすぎない。この国では一九四五年から始まるようだが、沖縄群島に住む人々にとってはどうなのか。筆者が欧米日本研究者と交流し、インド、メキシコ、中国などで日本に関心を持つ学生・大学院生に講義をしてきた経験からすると、世界で日本に関心を持つ人々が最初に読むことの多い英語のスタンダード・テキストは、一九五二年以降を「戦後及び現代の日本」として扱う[1]。それは、外国人が読むものだからと、無視していいのだろうか。
本稿では、「戦後」は一応一九四五年以降とするが、第二次世界戦争から連合国による日本列島占領、朝鮮戦争、日米安保条約締結・改定を、一続きのものとして扱う。一九六〇年代までの日本を、第二次世界戦争に発する米国とソ連の世界支配戦略を基軸とした世界現代史、いわゆる冷戦史の一部として位置づける。
ただし冷戦史は、学術的にはようやく本格的研究が可能になった、新しい領域である。通常冷戦は、第二次世界大戦における戦勝国内部におけるアメリカ合衆国とソビエト連邦の間の、またアメリカを中心とする西側資本主義体制とソ連を中心とする東側社会主義体制との間の、経済・政治・社会システムとその正統性をめぐるイデオロギー対立の時代とみなされている。そこでは、世界的規模での情報戦が展開されていた。核兵器を使用する世界戦争にはならなくても、朝鮮半島・ベトナム・アフガニスタンなどで局地的熱戦があり、その支持調達のための情報戦・言説戦は続いていた。
ここでは、日本列島を一舞台とした、情報戦の世界史を見る。日本史という領域が、インターネットによるグローバル・コミュニケーションとデジタル資料公開の時代に入ったにもかかわらず、日本語文書資料による日本国籍取得者の世界に閉じられている状況に鑑み、敢えて日英両語混交の表記形式を採る。筆者自身の現在の研究が、アントニオ・グラムシのヘゲモニー論、「機動戦から陣地戦へ」テーゼに示唆を受けた「二〇世紀陣地戦・組織戦から二一世紀情報戦・言説戦へ」という情報ネットワーク政治・ソフトパワー研究であることから、本誌の読者には馴染みがないかもしれないが、インターネット情報を多用する[2]。
本特集は「六〇年安保の再検討」とのことであるが、その政治過程を直接に論じることはしない。日米安保条約とその改定をめぐる歴史を世界冷戦史の一環として解明するための前提として、その情報戦についての資料公開状況を概観し、何が明らかになりつつあるか、何がなお隠されているかを、主として米国国立公文書館(NARA)におけるナチス・日本帝国戦争犯罪記録の機密解除から読み解き、今後の本格的研究への序説とする。
それは、主として筆者の準備状況によるが、以下に述べるように、二〇〇七年までに機密解除された米国中央情報局(CIA)、陸軍情報部(MIS)などの新資料は、あまりに膨大であるため、その全面的解読は断念し、それらの資料を本格的に解読・分析すれば見えてくるであろう「再検討」への道筋を示すこととした。これは、筆者がかつて旧ソ連解体によって閲覧可能になった秘密資料を解読・分析してきた経験によるもので[3]、一つの資料を読み解くためには別の資料とのクロスが必要になり、新聞等で報道される新事実があっても、その歴史的意味づけには、資料そのものの性格づけや周辺資料の批判的読み込みが不可欠であるという、第一次資料解読の方法・手続きを重視するためである。
二 米国国立公文書館ナチス・日本帝国戦争犯罪記録機密解除の意義
二〇〇七年一月一二日、米国国立公文書館(NARA)は、「日本の戦争犯罪記録研究のために一〇万ページを機密解除」として、以下の記者発表を行った。
ナチス戦争犯罪記録及び日本帝国政府記録省庁間作業部会(IWG)は、日本の戦争犯罪に関連するファイルを精査した結果として、一〇万ページの最近機密解除された記録を利用可能にすると発表した。それに加えて、IWGは、Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essaysという参考文献、electronic records finding aidという研究者が太平洋戦争に関して国立公文書館の数千の新たな拡張されたファイルを探し利用するためのガイドを発表した[4]。
これは、帝国日本についての記録の記者発表であるが、文中にあるように、もともとナチスの戦争犯罪記録公開に準じて行われたものである。この経緯を、日本のドイツ現代史研究者清水正義は、自身のウェブサイトで詳しく説明している。
アメリカ議会は一九九八年一〇月八日にナチ戦争犯罪情報公開法(Nazi War Crimes Disclosure Act)(以下、ナチ情報公開法と略す)を、次いで二〇〇〇年一二月二七日に日本帝国政府情報公開法(Japanese Imperial Government Disclosure Act)を制定した。前者はナチ戦争犯罪に関して合衆国政府機関が保管する機密扱い記録の機密解除と公開を、同様に後者は戦前日本政府・軍の戦争犯罪に関する機密扱い記録の機密解除と公開を主旨としたものである。両者はほぼ同一内容であり、後者は前者の執行過程で前者を補完するものとして制定された。……ナチ情報公開法は、アメリカ政府機関が所有するナチ関係記録で現在なお機密扱いされているものについて、なるべく広範に機密解除をするべくしかるべき機関が三年間の期間限定で記録調査、目録作成、機密解除指定等を行うことを定めている。すなわち、同法によれば、
一、法発効後九〇日以内に関連機関を横断する機関「ナチ戦争犯罪人記録省庁間作業部会(Nazi War Criminal Records Interagency Working Group)」(以下「省庁間部会[IWG]」と略)を設立し、
二、省庁間部会は一年以内に次の任務を行う。
(1) 合衆国のすべての機密扱いされたナチ戦争犯罪人記録を探索し、確認し、目録を作成し、機密解除を勧告し、そして国立公文書館記録管理局で公衆が利用できるようにし、
(2) 各省庁と協力し、これらの記録の公開を促進するのに必要な行動をとり、そして
(3) これら記録のすべて、これら記録の処理、及び本セクションに基づく省庁間部会と各省庁の活動を記した報告書を、上院司法委員会及び下院政府改革監視委員会を含む議会に提出する。
三、ナチ戦争犯罪人記録は原則として公開され、公開しない場合の例外事由について詳細に規定される。例外事由を要約的に列挙すれば、
(A)個人のプライバシーを不当に侵すもの
(B)国家安全保障上の利害を損なうような情報源、情報手段を暴露するもの
(C)大量破壊兵器の情報を暴露するもの
(D)暗号システムを損なう情報を暴露するもの
(E)兵器テクノロジーの情報を暴露するもの
(F)現行の軍事戦争計画を暴露するもの
(G)外交活動を弱体化させるような情報を暴露するもの
(H)大統領その他の保護に当たる政府官吏の能力を損なうような情報を暴露するもの
(I)現行の国家安全保障非常事態準備計画を損なう情報を暴露するもの
(J)条約または国際協定に違反するもの
である。機密解除の例外となるこれらの事由はきわめて個別的具体的であり、記録を公開しないという判断は、それが上記(A)から(J)までの事由のいずれかにおいて「有害であると省庁の長が決定した場合にのみ許され」、しかも「かかる決定を行った省庁の長官は、上院司法委員会と下院政府改革監視委員会を含む適切な管轄権を備えた議会の委員会に、直ちにそれを報告するもの」とされている[5]。
清水は、ナチス戦犯記録機密解除・公開について、「戦後アメリカはナチ戦犯の相当数の入国を意図的か否かを問わず事実上許容してきた」「今回の記録公開によりアメリカの知られざるナチ戦犯容認政策の実態が暴露される可能性がある」という観点から注目した。その意義として、「アメリカは戦後の対ソ政策上、旧ナチ軍事・諜報・科学技術専門家を必要とした」ことを、資料により検証できる重要性を挙げている。
実際、今回の資料公開には、元ナチ科学者で戦後アメリカでは「ロケット開発の父」と呼ばれるヴェルナー・フォン・ブラウンの軍事利用、陸軍G2(諜報部)によるソ連軍の組織、装備、戦略、戦闘能力などを探るためのラインハルト・ゲーレン将軍(Reinhard Gehlen,元参謀本部東部外国軍課長 )の「ゲーレン機関」創設、その下でのナチス親衛隊「リヨンの虐殺者」クラウス・バルビーの登用等の資料が含まれている[6]。
実は、今回の日本帝国戦犯記録の機密解除で、アメリカ側からスポットを当てられているのも、旧日本軍部と戦後アメリカ占領軍との秘密の関係である。ナチスのブラウン博士にあたるのが、日本陸軍七三一部隊で細菌戦人体実験を行った石井四郎、ゲーレン機関に相当するのが、戦犯訴追を免かれGHQ・G2ウィロビー将軍の反共工作に用いられた有末精三、河辺虎四郎、服部卓四郎、辻政信ら日本の旧参謀本部情報将校、ゲーレン機関で有能なエージェントになるクラウス・バルビーに相当するのが児玉誉志夫、笹川良一ら反共右翼、という役回りである。
そのため、IWG資料では、ナチス関係と日本帝国関係とは区別されておらず、索引も一つで、一緒に整理されている。ナチス関係が圧倒的な一二〇万ページの記録・資料の中に、日本関係の約一〇万ページが点在している。このことは同時に、アメリカのヨーロッパ政策とアジア政策が一対で了解できる、冷戦史研究上のメリットでもある。これらについてはすでに、英語版wikipedia で立項され、概略が説明されている[7]。
三 日本におけるこれまでのマスコミ報道
(1) 石井四郎と七三一部隊の細菌戦
日本のマスコミがいち早く注目したのは、占領権力と非訴追旧軍幹部の結びつきであった。NARAの報道発表直後に報じられたのは、石井四郎の七三一部隊についての新情報で、それは Select Documents on Japanese Warcrimes and Japanese Biological Warfare, 1934-2006として特別公開されており、資料そのものが、ウェブ上の画像としてダウンロードできる。
旧日本軍の「細菌戦研究」究明 米、機密文書一〇万ページ公開(サンケイ新聞二〇〇七年一月一九日)
米国立公文書館(メリーランド州)は、旧日本軍が当時の満州(現中国東北部)で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書一〇万ページ分を公開した。文書目録によれば、石井四郎軍医中将を含む七三一部隊(関東軍防疫給水部)関係者の個別尋問記録が、今回の公開分に含まれている。また、細菌戦研究の成果を米軍に引き渡したとされる石井中将が、米側に提出する文書を一九四七年(昭和二二年)六月ごろ執筆していたことを裏付ける最高機密文書も今回明らかになった。
今月一二日に公開された機密文書は、ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の九九年に米政府の関係機関で構成された記録作業部会(IWG)が、米中央情報局(CIA)や前身の戦略情報局(OSS)、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)などの情報文書を分析し、機密解除分をまとめて公開した。
IWGの座長を務めるアレン・ウェインステイン氏は、「新たな資料は学者らが日本の戦時行動を理解する上で光を当てる」と意義を強調するが、作業は「日本の戦争犯罪」を立証する視点で行われた。日本語資料の翻訳と分析には中国系の専門家も加わっている。細菌戦などに関する米側の情報文書は、これまでも研究者が個別に開示請求してきたものの、一度にこれだけ大量に公開された例は少ない。
情報の一部は三四年(昭和九年)にまでさかのぼるが、終戦の四五年(同二〇年)前後四年分が大半を占めている。文書内容の大半は七三一部隊など細菌戦研究に関する内容だ。公開文書の概要によれば、三七年一二月の南京事件に関する文書が一部含まれる。IWGでは「慰安婦問題」を裏付ける文書も探したが、「目的を達せず、引き続き新たな文書の解析を図る」と述べるなど、調査では証拠が見つからなかったことは認めている[8]。
ただし、上記サンケイ記事中、「文書内容の大半は七三一部隊など細菌戦研究に関する内容」というのは、現物をよくみないで書いた、新聞報道によくある誤報である。米国側の資料整理を担当した学者・Archivistによる資料紹介である Researching Japanese War Crimes Records: Introductory Essaysでは、確かに細菌戦問題も重要な論点とされているが、巻頭Daqing Yang論文では南京事件についての軍医Hosaka Akiraの日記証言が使われているのを始め、細菌戦以外の多くの主題が含まれている。新聞報道の多くは、IWGの二三〇ページに及ぶIntroductory Essaysの巻末Michael Peterson論文で要領よく整理されている事実の焼き直しであり、機密解除記録そのものにじっくり取り組んだ形跡はみられない。事実、「『日本の戦争犯罪』を立証する視点」が唱われているにもかかわらず、その解説文では重視されていないがゆえに、従軍慰安婦問題や昭和天皇についての第一次資料にあたっての探索・報道は行われていない[9]。
(2)G2ウィロビーに使われた旧軍情報将校の「新日本軍」「地下日本政府」計画
いまひとつ、マスコミに注目されたのは、同じくIntroductory Essaysで扱われた、GHQ・G2ウィロビー将軍の庇護のもとで戦犯訴追を免かれ、マッカーサー戦史作成の名目で[10]反共諜報活動に使われた有末精三、服部卓四郎、河辺虎四郎らによる、「新日本軍」「地下日本政府」の陰謀計画である。この点は、NARAの報道発表以前に、共同通信がスクープし、後に時事通信も追いかけた[11]。情報戦の観点から見ると、こうした機密解除資料発表の仕方、それに対するメディアや学界の反応・対応も、重要な論点になりうる。
幻の「新日本軍」計画 旧軍幹部、首相に提案 (共同通信二〇〇六年八月二〇日)
旧日本軍幹部が太平洋戦争後の一九五〇年前後、「新日本軍」に相当する軍組織の設立を独自に計画していたことが二〇日、機密指定を解除された米公文書で判明した。構想は連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下で進み、河辺虎四郎元陸軍中将(故人、以下同)らが立案。最高司令官には宇垣一成元大将(元陸相)を想定しており、当時の吉田茂首相にも提案していた。
戦後史に詳しい複数の専門家によると、服部卓四郎元陸軍大佐ら佐官クラスの再軍備構想は知られているが、河辺氏ら将官級による新軍構想は分かっていなかった。毒ガス隊など三部隊の編成を目指した河辺氏らの構想は最終的に却下され「幻の計画」に終わった。?
文書は、GHQや中央情報局(CIA)の記録を保管する米国立公文書館で見つかった。河辺氏の経歴や活動を伝える秘密メモによると、河辺氏は警察予備隊発足前の五〇年二月ごろ(1)毒ガス隊(2)機関銃隊(3)戦車隊からなる近代装備の「警察軍」構想を立案。五一年に入ると宇垣氏を「最高司令官」に、河辺氏を「参謀総長」に充てることを「日本の地下政府が決定した」と記載している。
「地下政府」は、公職追放された旧軍幹部らが日米両当局にさまざまな影響力を行使するためにつくったグループを指すとみられる。しかし河辺氏らの構想は採用されず、GHQのマッカーサー最高司令官は朝鮮戦争発生直後の五〇年七月に陸上自衛隊の前身である警察予備隊の創設を指示。再軍備を通じた旧軍将官の復権は実現しなかった[12]。
この「河辺機関」については、詳しい解説[13]と、国内外情報収集のための「タケマツ作戦[14]」及びその失敗[15]についても報道されている。
(3) 正力松太郎、吉田茂、辰巳栄一とCIA
後述するように、IWG資料中でも特に注目されたのは、CIAの個人ファイル公開であった。そのうち「正力松太郎ファイル」を、正力のCIAコードネームがPODAMであることをつきとめ、いち早く解読した早稲田大学の有馬哲夫は、『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」』 (新潮社、二〇〇六年)を皮切りに、『原発、正力、CIA』 (新潮新書、二〇〇八年)、『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書、二〇〇九年)を発表した。その延長上で、『アレン・ダレス 原爆・天皇制・終戦をめぐる暗闘』(講談社、二〇〇九年)にも研究を広げ、他のファイルとのクロスから、以下のように吉田茂の軍事顧問辰巳栄一とCIAの関係をも見出した。
吉田茂側近「辰巳中将」がCIAに情報提供?(共同通信二〇〇九年一〇月三日)
吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(一八九五ー一九八八年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を三日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。
CIAの辰巳氏に関するファイル(五二ー五七年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、五〇年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。??
CIAは五六年一一月二六日付文書で「CIAが使う上でおそらく最高で、最も安全で、最も信頼できる人物の一人」と辰巳氏を評価していた。有馬教授は「表舞台の外交で米国特使、国務長官を務めたジョン・フォスター・ダレスが日本に再軍備を迫り、舞台裏で弟のアレン・ダレスがCIA副長官、長官としてその下工作をするというダレス兄弟の連携の実態が、今回の発見で明らかになった」と話している[16]。
(4) 緒方竹虎を吉田後継首班とするCIA工作とその挫折
トータルで一二〇万ページ、日本関係だけで一〇万ページが新たに機密解除されたから、さまざまな資料が入っている。筆者自身は、二〇〇九年夏、早稲田大学で行なわれた二〇世紀メディア研究所公開研究会で、山本武利・吉田則昭との共同研究にもとづき、「吉田茂のあとに緒方竹虎を首相にすれば米国の利害で日本を動かすことができる」として米中央情報局(CIA)が対日政治工作を行なっていた事実を、CIA「緒方竹虎ファイル」から解読し、緒方のコードネームPOCAPONと「ポカポン工作」の全容を含めて報告した。
それは、毎日新聞二〇〇九年七月二六日朝刊で「CIA 緒方竹虎を通じ政治工作、五〇年代の米公文書分析」という一面トップ記事に取り上げられ、英文でも紹介された。筆者のホームページ「ネチズンカレッジ」にも、関連資料を含めて公開したため、世界中からさまざまな問い合わせと関連情報提供がある[17]。
CIA、緒方竹虎を通じ政治工作 五〇年代の米公文書分析(毎日新聞二〇〇九年七月二六日)
一九五五年の自民党結党にあたり、米国が保守合同を先導した緒方竹虎・自由党総裁を通じて対日政治工作を行っていた実態が二五日、CIA(米中央情報局)文書(緒方ファイル)から分かった。CIAは緒方を「我々は彼を首相にすることができるかもしれない。実現すれば、日本政府を米政府の利害に沿って動かせるようになろう」と最大級の評価で位置付け、緒方と米要人の人脈作りや情報交換などを進めていた。米国が占領終了後も日本を影響下に置こうとしたことを裏付ける戦後政治史の一級資料と言える。
山本武利早稲田大教授(メディア史)と加藤哲郎一橋大大学院教授(政治学)、吉田則昭立教大兼任講師(メディア史)が、〇五年に機密解除された米公文書館の緒方ファイル全五冊約一〇〇〇ページを、約一年かけて分析した。内容は緒方が第四次吉田内閣に入閣した五二年から、自由党と民主党との保守合同後に急死した五六年までを中心に、緒方個人に関する情報やCIA、米国務省の接触記録など。
それによると、日本が独立するにあたり、GHQ(連合国軍総司令部)はCIAに情報活動を引き継いだ。米側は五二年一二月二七日、吉田茂首相や緒方副総理と面談し、日本側の担当機関を置くよう要請。政府情報機関「内閣調査室」を創設した緒方は日本版CIA構想を提案した。日本版CIAは外務省の抵抗や世論の反対で頓挫するが、CIAは緒方を高く評価するようになっていった。吉田首相の後継者と目されていた緒方は、自由党総裁に就任。二大政党論者で、他に先駆け「緒方構想」として保守合同を提唱し、「自由民主党結成の暁は初代総裁に」との呼び声も高かった。
当時、日本民主党の鳩山一郎首相は、ソ連との国交回復に意欲的だった。ソ連が左右両派社会党の統一を後押ししていると見たCIAは、保守勢力の統合を急務と考え、鳩山の後継候補に緒方を期待。五五年には「POCAPON(ポカポン)」の暗号名を付け緒方の地方遊説にCIA工作員が同行するなど、政治工作を本格化させた。同年一〇ー一二月にはほぼ毎週接触する「オペレーション・ポカポン」(緒方作戦)を実行。「反ソ・反鳩山」の旗頭として、首相の座に押し上げようとした。緒方は情報源としても信頼され、提供された日本政府・政界の情報は、アレン・ダレスCIA長官(当時)に直接報告された。緒方も五五年二月の衆院選直前、ダレスに選挙情勢について「心配しないでほしい」と伝えるよう要請。翌日、CIA担当者に「総理大臣になったら、一年後に保守絶対多数の土台を作る。必要なら選挙法改正も行う」と語っていた。
だが、自民党は四人の総裁代行委員制で発足し、緒方は総裁になれず二カ月後急死。CIAは「日本及び米国政府の双方にとって実に不運だ」と報告した。ダレスが遺族に弔電を打った記録もある。結局、さらに二カ月後、鳩山が初代総裁に就任。CIAは緒方の後の政治工作対象を、賀屋興宣(かやおきのり)氏(後の法相)や岸信介幹事長(当時)に切り替えていく。加藤教授は「冷戦下の日米外交を裏付ける貴重な資料だ。当時のCIAは秘密組織ではなく、緒方も自覚的なスパイではない」と話している[18]。
学術的にも、日本国際政治学会『国際政治』第一五一号特集「吉田路線の再検証」(二〇〇八年)など、これら新資料を用いた研究が現れてきている[19]。
四 CIAとMISの個人ファイルから見える戦後米国の情報戦
(1)個人ファイル、問題別ファイル、ビジネス・ファイル
今回機密解除・公開されたIWG資料で目玉とされているのは、CIA(中央情報局)、FBI(連邦捜査局)、MIS(陸軍情報部)などのName File(個人ファイル)である。そのほかに、各政府機関毎のSubject File(主題別ファイル)があり、二〇〇八年八月には、CIAの前身であるOSS(戦時情報局)についてのBusiness File(Official Personal File)も公開された。これらについて、ひとまず公開状況を概観しておこう。これらはインターネット上の米国国立公文書館オフィシャル・サイトで、ファイル名・個人名・資料番号まで公開されている。だから、日本関係一〇万ページの機密解除資料にどういうものがあるかは、 NARAホームページの資料リスト・索引で、日本にいても知ることができる。ただしファイル現物の閲覧は、ワシントンDC近郊のNARA別館でのみ可能である。
その第一は、個人ファイルである。ネーム・ファイルName Fileと言って、CIA、MIS(米国陸軍情報部)、FBI(連邦捜査局)関係の人名ごとにファイルに分類され、その人物に関する情報・資料がまとまった形で保存されている。人物によっては膨大で、筆者らの研究チームは、CIA「緒方竹虎ファイル」全五冊一〇〇〇頁の分析と裏付け調査に、約一年をかけた。本稿で扱うのは、主としてこのジャンルのファイルである。
第二は、サブジェクト・ファイルSubject File、すなわち問題別ファイルである。日本の中国大陸における諜報活動とか、欧米での情報戦とか、テーマに即してまとまったファイルが、CIAだけでも二百冊以上ある。ただし、マスコミからの照会の多い、占領期日本の三大事件(下山事件、三鷹事件、松川事件)等とG2キャノン機関やCIAの関連を示唆する謀略の資料は、個人ファイル類を含め、今のところ見つかっていない。
第三に、ビジネス・ファイルと呼ぶべきファイル群がある。まとまったかたちでは、ナチス・日本帝国戦犯記録とは別に、二〇〇八年八月に公開された、CIAの前身OSS(米戦略情報局)のOSS Official Personalファイル(RG226)三万五〇〇〇人分七五万頁で、OSSに勤務した人々の雇用契約、契約時の履歴書、勤務地と職務内容、給与・昇給・昇進、転勤・退職等の記録が、収録されている。このほか、CIAやMIS のファイルでも、履歴書や居住・家族情報等が綴じ込まれている場合が通例である。
筆者が一番注目しているのは、このビジネス・ファイル群で、OSSの場合には、W・W・ロストウやアーサー・シュレジンジャーら戦時米国における学者・研究者の戦争動員の記録が入っている。当時のハーバード大学歴史学部長ウィリアム・ランガーが人材集めの中心で、歴史学、人類学、社会学、経済学、政治学、法学、心理学、言語学、地理学等々の全米最高の頭脳が集められ、「敵国」ドイツ・日本の分析にあたっていた。しかもそこには、ポール・スウィージー、ポール・バランのようなマルクス主義者まで入っていて、ファシズムに勝利し世界中に「民主主義国家」を再建するための、米国の戦略的な調査と研究が行なわれた。いわば、自然科学における原子爆弾開発に相当する、人文・社会科学版「マンハッタン計画」が戦時中に組織されており、OSS Official Personalファイルは、その調査分析部R&Aの全容を解明するための、基礎資料となる。戦後日本の民主化・非軍事化政策との関わりでは、ジョー小出(鵜飼宣道)、藤井周而、石垣綾子、坂井米夫ら当時の在米日本人左翼でOSSに協力した人々のファイルが入っているが、この点については別途筆者の著書・論文で追跡しているので、本稿では省略する[20]。
全体のファイルは、米国国立公文書館の機密解除の通例にならって、史資料を所管していた政府機関別に分類されている。
IWGナチス・日本帝国戦争犯罪記録については、
国務省Department of State(記録群Record Group 59)、
外国郵便局Foreign Service Posts (RG84)、
連邦捜査局FBI(RG65) ,
海外資産局Office of Alien Property (RG131) 、
戦略情報局OSS (RG226) 、
ロバート委員会(The Roberts Commission 、Records of the American Commission for the Protection and Salvage of Artistic and Historic Monuments in War Areas, RG 239)、
中央情報局CIA (RG 263) 、
陸軍 Army(RG319、Army Intelligence and Security Command (INSCOM)プラスRecords of the Investigative Records Repository (IRR)、
Records of the Office of the Secretary of Defense (RG 330)
Records of the United States Army Commands (RG 338)、
U.S. Army Forces in the China-Burma-India Theaters of Operation (RG 493)
National Archives Collection of Foreign Records Seized (RG 242)、
等に分類されて整理されている。
海軍情報部(ONI)や国家安全保障局(NSA)はここにはないが、個々のファイルには別の政府機関がもともと作成・収集した資料が入っている場合もある。それぞれの内部分類もウェブ上でカタログ化されているから、おおまかな概要は、ウェブ上で知ることができる。ただし現物をNARA別館 で見てみると、個人ファイルでも貴重な情報が満載されている場合もあれば、履歴書一枚だけという場合もある。
以下にまず、個人ファイルの公開状況を、日本関係を中心に概観する。
・ 連邦捜査局FBI個人ファイル(RG65)
FBIは、連邦レベルでの警察組織であるが、ドイツ人・日本人に限らず、戦前・戦時・戦後のアメリカ合衆国の出入国を、移民局と共に管理していた。また、中南米での情報収集活動もFBIのテリトリーであった。日本人関係では、一九三〇年代カルフォルニアの日系左派の新聞『同胞』編集長藤井周而の記録や、米国に入ったキリスト教社会運動家賀川豊彦の関係資料が豊富に入っている。ドイツ人・日本人出入国記録などは、この記録群から探索できる。
・ 中央情報局CIA個人ファイル(RG263)
今回の機密解除で世界から最も注目されているもので、第一次と第二次の二回に分けてリリースされた。ナチス・ドイツ関係と日本帝国関係は区別されておらず、索引はアルファベット順、ボックスは独日一括で作られている。だから、アドルフ・ヒトラーHitlerの直前に、昭和天皇裕仁Hirohitoや東久邇稔彦Higashikuniの個人ファイルが入っている。ただし、昭和天皇裕仁や岸信介のファイルを見ると、「戦争犯罪記録」といいながら、戦争責任や東京裁判に関する資料はほとんどなく、未だに重要部分は非公開のままであると推定できる[21]。
CIA Name File の第一次公開は七八八人とされるが、アルファベット順で検索できる圧倒的多数は、ドイツ人名である。わずかに日本人名と特定できるのは、土肥原賢二、今村均、石井四郎、大川周明の四人各一冊計四冊である。
第二次公開は約一一〇〇人であるが、そこから日本人らしい名前を抽出すると、秋山浩、有末精三、麻生達男、福見秀雄、五島慶太、服部卓四郎二冊,東久邇稔彦、昭和天皇裕仁、今村均、石井四郎、遠藤三郎、賀屋興宣、岸信介、児玉誉士夫二冊,小宮義孝、久原房之助、前田稔、野村吉三郎、緒方竹虎五冊、大川周明、小野寺信二冊,笹川良一、重光葵、下村定、正力松太郎三冊、辰巳栄一、辻政信三冊,河辺虎四郎、和知鷹二、和智恒蔵の名が見出される。筆者の概観では、一・二次合計で三一人四五冊分となる[22]。
多くは戦犯ないしその容疑者だが、東京(極東軍事)裁判の戦犯容疑者約一〇〇人中では、一二人(上記網掛け分)しか重ならない。つまり、CIAの個人資料収集基準は、占領改革期の戦争犯罪追及=民主化・非軍事化の原理とは、全く異なっている。
むしろ、七三一部隊長石井四郎に典型的なように、戦犯訴追を免かれた旧軍人が多い。有末精三、河辺虎四郎、服部卓四郎らGHQ・G2歴史課等に協力して訴追を逃れた人々が入っている。
上海自然科学研究所の小宮義孝は、七三一部隊の石井四郎・秋山浩・福見秀雄と同様に細菌戦関与を疑われたのであろうが、もともと小宮は治安維持法で検挙され東大医学部助手から上海へ左遷された左翼である。この小宮義孝を唯一の例外として、今回機密解除されたCIA個人ファイルには、左翼関係者は入っていない。
しかしこれは、CIAが日本の左翼を無視し、監視・工作をしていなかったことを意味しない。左翼系ファイルは、今回公開分には入っていないが、なお「極秘」「秘密」の扱いを受けている可能性も残されている。
このことは、ナチス戦犯記録のCIAドイツ人ファイルと比較すると、理解できる。膨大なドイツ人関係CIA個人ファイルの中で、第一次・第二次をあわせ最も冊数が多いのは、クラウス・バルビー一一冊(第一次七冊、第二次四冊)で、ラインハルト・ゲーレン一〇冊(第一次三冊、第二次七冊)、アドルフ・ヒトラー七冊(第一次三冊、第二次四冊)の順である。ゲーレン、バルビーは、ナチス・ドイツの高官で明らかな戦争犯罪人であったが、ドイツの敗戦後、アメリカ占領軍・NATO軍に協力し、CIAともつながった戦後米国への情報提供者である。
日本人ファイルの中で冊数が多いのは、緒方竹虎五冊を筆頭に、正力松太郎、辻政信が三冊、今村均、大川周明、服部卓四郎、児玉誉志夫、小野寺信が二冊であるから、さしあたり、彼らの戦後CIAとの関係が、ある程度推定できる。
ドイツ、日本とも、ニュルンベルグ裁判・東京裁判の戦犯容疑者名簿とは異なる原理でCIAから注目され、個人資料がファイルされていたことがわかる。端的に言えば、戦後冷戦開始時に、アメリカ合衆国の反共諜報活動に関わった人々が、多く含まれている。
・ 米国陸軍情報部MIS(Army Staff)の個人ファイル(RG319)
これは、索引で数万人に及ぶ、膨大なものである。NARAでの閲覧請求の際はIPR(Records of the Investigative Records Repository)の資料番号を用いる。
CIAの場合と同様な手法で、アルファベット順索引から日本人らしい名前を抽出すると、約二五〇〇人分になる。昭和天皇裕仁、近衛文麿・東久邇稔彦ら皇室関係者、吉田茂・岸信介・中曽根康弘・大平正芳ら首相経験者が入っている。しかしなぜか、鳩山一郎・石橋湛山、池田勇人、佐藤栄作のファイルはリストにはない。児玉誉士夫・笹川良一・里見甫ら右翼、有末精三・今村均・辻政信ら旧軍人、浅沼稲次郎・野坂参三・徳田球一・中野重治ら左派有力者が監視され記録されている。筆者がある程度系統的に解読したのは、尾崎秀実、川合貞吉、宮西義雄、木元伝一、堀江邑一、E.Ottら、ゾルゲ事件関係者のファイルである。
ただし、筆者が名前を推定できたのは、二五〇〇人中百人余にすぎない。圧倒的多数は無名の人々で、サンプルチェックの限りでは、シベリア抑留者、中国引揚者などが多い。
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