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戒壇本尊の歴史上の最古の記録は。
「戒壇本尊が偽物である理由を列挙してみる」
今回は戒壇本尊の存在が過去の文献の記録にどこまで遡れるのかという点を考えてみたいと思います。
「『日興跡條條事』について」
「『日興跡條條事』は今日伝えられる形で成立していなかった。」
「日興の筆跡」
そもそも『日興跡条条事』に「弘安二年大御本尊」の後に4文字分の改竄の跡が存在し、しかもそれは「本門寺に懸け奉るべし」と書かれています。ところが戒壇本尊は楠板に彫刻されたもので、提げるのではなく、台座に嵌めて固定して安置する形になっており「懸け奉る」ことができないのです。紙の原本が戒壇本尊に元々あったと言うならそれも可能ですが、そもそも日蓮正宗は公式に戒壇本尊に関して紙の原本が存在しないことを認めています。事実、大石寺52世鈴木日霑は「両山問答」中で戒壇本尊に紙の原本があったことを「妄言」として退けているのです。
「戒壇本尊に紙幅の原本は存在しない」
ではこの『観心本尊抄抜書』はいつ頃に成立したものでしょうか?
同抄には末文に「永禄四年」と書かれていますから(富士宗学要集4-189ページ)、永禄4年すなわち1561年になります。
それは大石寺14世である日主の『日興跡條條事示書』です。
問題はこの年代です。この『日興跡條條事示書』は相承について書かれた文献です。14世日主から15世日昌への相承は栃木県下野市の小金井蓮行寺で元和3年(1617年)8月に行われたことが諸文献からわかります。それならこの文献の成立はそれと同年、すなわち1617年になります。
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