gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

殺人疑惑のある芸能人

2023-01-21 22:49:57 | 日記
創価学会が関与殺人疑惑した牙城会「殺人特効殺人部隊」
芸能人の創価学会関連事件

🟣三浦春馬さん、
🟣竹内結子さん、
🟣伊丹十三さん
🟣飯島愛さん、
🟣豊田商事事件
🟣地下鉄サリン事件、坂本弁護士一家殺害
🟣尾崎豊さん時効成立、
など。
まだまだ多数ありますからね

禁止組織に指定していません!工藤会だけです!

工藤会 野村悟と池田大作、原田稔、秋谷栄之助が 工藤会事務所にいました!  畑山あきこが白状する!

大和哲治から引用
拡散よろしくお願い申し上げます

池田大作は悪魔の化身②

2023-01-20 21:23:15 | 日記





創価学会に関する疑惑 編集
P献金 編集
「創価学会には、P献金と呼ばれる献金が存在している」という疑惑。P献金のPとは「プレジデント(英:President)」の略で公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長を指しているというもの。公明党出身の国会議員福本潤一が2007年(平成19年)6月、外国人記者クラブで外国人記者を前にし、「公明党の議員は選挙で当選した際に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金を行うよう要請されている」と記者会見した。福本の記者会見の内容を民主党の石井一が2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会で「P献金」を追及した[他 21]。

「P献金#週刊新潮での掲載」も参照
暴力団への暗殺依頼疑惑 編集
創価学会に反抗・批判する人間の暗殺を暴力団へ依頼したとされる疑惑。後藤組の元組長後藤忠政によれば元公明党最高顧問藤井富雄が後藤のもとを訪れ、池田大作名誉会長の名のもとに反創価学会の活動をしている有名画伯A(仮名)や亀井静香ら4名の暗殺を依頼されたという[125]。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している[126]。暗殺リストに名前があった亀井静香は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる[127]。後藤は著書の中で池田が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。と批判した。

大鳳会という組織 編集
「大鳳会(おおとりかい)」という組織の存在について以下で取り上げられた。

週刊文春が『皇太子妃雅子が外務省の創価学会シンパ「大鳳会」とディナーをした』という記事を掲載したこと[128]。
「創価学会が外務省幹部に『外遊特別待遇』要請書を送った」とされる問題[129]
「外務省が、池田大作の海外訪問に特別の便宜を図っている」とされる内容が国会で審議されたこと[他 22]。
財務私的流用疑惑 編集
下記のような例がある。

1977年(昭和52年)に 民社党の春日一幸が国会で池田専用の豪華施設等について調査したところ、会員の財務が私的流用されていたのではという疑惑を持ち、当時の公明党委員長委員長竹入義勝宛に質問する旨の手紙を送った[130]。春日は1970年(昭和45年)12月の衆議院予算委員会で池田の証人喚問を求めたが、自民党、公明党の反対で証人喚問は見送られた。また春日は創価学会が起こした言論出版妨害事件でも、国会で池田大作の証人喚問を求めた。
1989年、神奈川県横浜市のゴミ処理施設に廃棄された金庫から1億円もの現金が発見された。当初創価学会は、この問題を第三者の視点から批判したが、[131]数日後、創価学会総務の中西治雄が持ち主と名乗り出て、「(金庫のお金は)20年以上前に、自分が学会内で不正に蓄財したもので、その存在を忘れているうちに誤って捨てられた」等と述べた。しかし、すべて聖徳太子像が印刷された旧紙幣(C号券)で、半分は真新しい状態であり、「1000万円」と印字された帯封で束ねられたものや、一度も市中に出回っていない新札もあった。さらには中西が自宅を担保に借金をしていたことから矛盾点をマスコミから追及された。当時の学会内部は中西に同情的であり大多数の幹部が「この事件は中西が池田と学会のために泥をかぶった。」との見方をしていた[132]。
創価学会へのデマ
創価学会に対する肯定的評価
創価学会に対する批判 編集
政界進出を始めた時期に創価学会は、日蓮宗系他教団のほか、浄土真宗系教団、左翼陣営からの批判を受けることが増えた[84]。島田裕巳によれば、1957年(昭和32年)の北海道での創価学会青年部隊と日本炭鉱労働組合と間の戦いを一つのきっかけとして[84]、また1960年代の公明党結成に応じて[85]、左翼陣営からの批判が刊行されるようになった[85]。島田はこれらの教団・陣営は「民衆をターゲットとし」[85]、「下層階級を組織化」[84]する点で創価学会と競合していたと指摘し[85][84]、一方の保守陣営はこの段階では創価学会批判を展開していなかったとする[84]。

離反者による批判 編集
元公明党書記長の矢野絢也は「学会員二世、三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。しかも、一貫教育システムにより、筋金入りの創価学会員としてエリート教育される。一貫教育システムという醸成装置があればこそ、創価学会は次々と新たな学会員と「池田名誉会長」を信じて疑わない幹部を養成できる。」と指摘している[147]。このほか、現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められ、公明党議員にも創価学園・創価大学出身者がいる。このような教育によって、学会は強固な組織となり、池田の独裁体制も確立されたとしている[147]。また、「100万円財務は、戸田第二代会長の表現を借りれば、学会が決して手を染めてはならない「邪宗教」への一歩を踏み出した瞬間だった」としている[147]。

他団体による批判 編集
「反創価学会キャンペーン」も参照
NAACP(全米黒人地位向上協会)は創価学会が主催する「ガンジー・キング・池田平和建設の遺産展」について、「ガンジーやキングは多大な功績を挙げたのを全世界の人が知っているが池田はいったい何をやったのか」と批判、主催するなら「ガンジー・キング・ブルース・(スプリングスティーン)展」とするべきだと主張した[148][149]。その矛先は創価学会だけでなくモアハウス大学のローレンス・エドワード・カーターにまで向けられた[150]。
オウム真理教教祖麻原彰晃は、サンデー毎日から始まったオウムバッシングは聖教新聞を印刷している毎日新聞社グループと創価学会が結託
著名人による批判 編集
内藤国夫 - 「政界に進出し、国家権力と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教の中の邪教ということだ。オウムより、はるかに始末が悪い難問である」[154]。
浅見定雄(元東北学院大学教授) - 「メンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない-創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように-もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず政教分離の原則を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である」[155]
石原慎太郎 - 池田名誉会長を「悪しき天才、巨大な俗物」と批判[156]。
俵孝太郎 - 学会と対抗していた組織四月会の代表幹事。2005年9月1日の『日刊ゲンダイ』でも創価学会を批判。
徳川義寛(元昭和天皇侍従長) - 皇太子徳仁親王(現在の今上天皇)の親王妃候補について「新宗教(創価学会)を信仰する人間は親王妃、皇太子妃(未来の皇后)としていかがなものか」との考えを示した。一説では「先代の侍従長入江相政や、『2代続けて平民からの入内は慎むべき(上皇后:正田美智子、皇后:小和田雅子)』と発言し旧皇族旧華族が賛同したことを受けての発言」という説もある。しかし昭和天皇は、1988年(昭和63年)4月6日「慎重にすぎて好きな人が居なくなったり、徒に時を過ごしてもよくない。難しいと思うがよろしく頼む」「私は本人同士が良いならそれで良い」、同5月26日「浩宮(徳仁親王)のこと、その後は?」と当時の宮内庁長官富田朝彦に繰り返し伝えていたことが明らかとなっている[157]。
テリー伊藤、佐高信 - 共同著書『お笑い創価学会』で創価学会を批判。
杉田かおる - 自書『杉田』で創価学会を批判、主に池田大作や男性創価学会幹部の堕落ぶりを批判、また杉田自身がそうか学会関係者から受けたセクハラについても触れている。
瀬戸内寂聴 - 創価学会が毎年会員から会費を徴収していることに対し「宗教法人は信者から会費を取ったり、儲けを出してはいけない」と批判[注 26]。この批判は創価学会以外の参拝料を徴収している寺院、仏閣へも向けられている
大槻義彦 - ブログ「大槻義彦のページ」で池田大作・創価学会・公明党を政教分離の原則の観点から批判。
いしいひさいち - 自書『大問題』で創価学会を批判。
フロランスラクロワ - パリの国立研究院の博士。十数年にわたり創価学会を取材・研究を重ね、「創価学会、タブーの解剖」というフランス国家博士論文を発表。




筒井康隆 - 『SFマガジン』1965年8月増刊号で発表した短編小説『堕地獄仏法(中公文庫『東海道戦争』収録)』で、創価学会・公明党を連想させる宗教団体・政党が『政教一致体制』で支配する恐怖の日本社会を描いた[注 27]。また、朝日新聞で連載していた長編『朝のガスパール(朝日新聞社 のち新潮文庫)』では、信者らしき人物から筒井康隆に対する個人攻撃の投書があったため、筒井康隆は作中で実名を挙げて批判している[注 28]。さらに『現代語裏辞典(文藝春秋のち文庫)』では『創価学会。そうか。がっかり』と揶揄する記述が見られる。
段勲 - 自書『反人間革命』で創価学会を批判。
韮沢忠雄(日本共産党元赤旗編集局長) - 既存マスコミが創価学会批判をタブー視しているとして、赤旗で創価学会批判を展開。
後藤忠政(元山口組系後藤組組長) - 自書『憚りながら』で創価学会と後藤組(山口組)との関係を記載。

藤倉善郎 (やや日刊カルト新聞を主宰する宗教ジャーナリスト)- 創価学会について、現在でもしつこい「折伏」や、批判者や組織内の造反者に対する常軌を逸した攻撃が常に行われているとしている。また「安保法制」などをめぐる造反者側についても、「公明党はもともと平和の党」「池田大作先生は平和主義者」などの主張は、批判者への攻撃や言論妨害、しつこい折伏等の社会問題が、むしろ池田の会長在任期間中に起きていることから、池田を美化する「かつての創価学会」正当化は、歴史の歪曲だと強く批判している。むしろこれら社会的な批判を浴びた問題を池田信仰に基づき正当化してきたのが、カルト的側面を正当化する「かつての創価学会」であるとする[164]。
西山茂(宗教社会学者・東洋大学名誉教授) - 日蓮仏教にとっての創価学会の功罪について、第一の「功」は、相手が権力を持った官憲であれ、伝統的な宗教習俗を信じる庶民に対してであれ、「謗法」厳戒の姿勢を取った「伝統突破」(折伏というブレイク・スルー)の力にあるとする。第二の「功」は、「本門戒壇」の建立を、戦後日本社会の中で具体的に運動化したことだとする。一方で、「罪」は「功」の裏の部分に当たり、第一の「罪」として、他宗教への悪口雑言や暴力的な神棚撤去等の深刻的な人権問題を引き起こしたこと、第二の「罪」として、会則変更等の転進の際に過去を総括せず、過去と現在の教団の自語相違に一向に無頓着であり、信頼できない点を挙げている[165]。
島薗進(宗教学者・東京大学名誉教授) - 創価学会では、その排他主義的かつ自己完結的な教義体系のゆえに、強力な集団的統合が実現しており、指導者の指示のもと、一元的な意思の一致が前提とされ、自由な問いや討論が封じられる傾向があるとしている。また、上位者の権威への従順が宗教的指導の範囲を超えており、統制された集団生活の枠組みが日常生活のすみずみの領域にまで及んでいるため、個人の自由に任される領域が縮小する傾向があるとしている。とくに池田名誉会長崇拝にはそうした傾向が強く、このような個人の自立の抑制が「師弟不二」「異体同心」などの強調により正当化されている、と分析している[166]。
折伏大行進   


未成年者への入信強要 編集
1959年(昭和34年)6月、長崎県に住んでいた当時19歳の少年Aは学会員から度重なり入信を強要された。入信を拒むAに対し学会員は自宅で座り込みをしたためAは根負けし入信。入信から20日後Aは「創価学会への入会は誤っていた。こんなものに入ったのは、自分がしっかりしていなかったからだ。」という遺書を残し自殺、Aの自殺を知った母親も後追い自殺をした。中国新聞は「創価学会に入会を強要されたばかりに、2人ともこんなことになって」という長女の談話を掲載した[107]。その後週刊新潮がこの事件を報道。その中でAの自殺は創価学会への信仰の薄さが原因とする学会員から匿名の手紙が届き、それを見てショックを受けた母親が後追い自殺をしたとしている[108]。

言論出版妨害事件 編集
詳細は「言論出版妨害事件」を参照
1960年代末から1970年代にかけて、創価学会と公明党が会長の池田大作や自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するため、学会員や公明党党員が著者・流通業者・取次店・書店に、脅迫や圧力をかけて出版を妨害したり、出版前の原稿に自らの主張を織り込むよう要求した問題。

公明党が結成され衆議院で議席を獲得しはじめると、創価学会批判の書物が発表されることが増えた[109]。1969年(昭和44年)の藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対して創価学会から圧力がかけられていることが明らかとなり、池田は1970年(昭和45年)5月に一連の妨害行為に対し謝罪した[109]。この件は日本共産党の不破哲三も1970年国会での質問で取り上げた[110]。1969年、共産党がNHKでの公明党との討論会で藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対し創価学会が著者、出版社、書店等に圧力をかけるなど出版妨害の事実があったことを告発したり、機関紙『赤旗』(現「しんぶん赤旗」)紙上で、田中角栄から介入を受けたという藤原の告発を掲載するなど追及した。[要出典]

これらの行為が、日本国憲法に保障された、言論の自由および出版の自由を侵害するものだとして、国会で取り上げられたが、当初、公明党はNHKの公開討論で「これらは全て嘘、デタラメである」と主張した。しかし、国会に招致された出版社や取次店などの証言により、創価学会・公明党が事件に関与していたことが明らかになるとマスメディアから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係や当時、公明党が創価学会の内部局として存在し、国会や地方議員を務めた人間が再び学会幹部として組織に戻るなど公明党が組織として独立していなかったことが、政教分離の観点から問題視された。

1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも、妨害行為に対し公式に謝罪、公明党を創価学会から切り離し組織として完全に独立させるなど、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。しかし後年、池田の著書「新・人間革命」では「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田氏の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」と掲載[SG 85]。「週刊新潮」と不破哲三は、年月が経ったことに乗じて、歴史を改竄するものだと批判した[111][批 6]。

選挙における不正投票、不正行為、問題行動 編集
「大阪事件 (創価学会)」および「新宿替え玉事件」も参照
1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区の補欠池田大作は有罪だった!

「P献金#週刊新潮での掲載」も参照
暴力団への暗殺依頼疑惑 編集
創価学会に反抗・批判する人間の暗殺を暴力団へ依頼したとされる疑惑。後藤組の元組長後藤忠政によれば元公明党最高顧問藤井富雄が後藤のもとを訪れ、池田大作名誉会長の名のもとに反創価学会の活動をしている有名画伯A(仮名)や亀井静香ら4名の暗殺を依頼されたという[125]。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している[126]。暗殺リストに名前があった亀井静香は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる[127]。後藤は著書の中で池田が裏で何をしていたかといったら、山崎や藤井をパイプ役にして俺達ヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺達がちょっとでももの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、頬かむりだ。と批判した。

大鳳会という組織 編集
「大鳳会(おおとりかい)」という組織の存在について以下で取り上げられた。

週刊文春が『皇太子妃雅子が外務省の創価学会シンパ「大鳳会」とディナーをした』という記事を掲載したこと[128]。
「創価学会が外務省幹部に『外遊特別待遇』要請書を送った」とされる問題[129]
「外務省が、池田大作の海外訪問に特別の便宜を図っている」とされる内容が国会で審議されたこと[他 22]。
財務私的流用疑惑 編集
下記のような例がある。

1977年(昭和52年)に 民社党の春日一幸が国会で池田専用の豪華施設等について調査したところ、会員の財務が私的流用されていたのではという疑惑を持ち、当時の公明党委員長委員長竹入義勝宛に質問する旨の手紙を送った[130]。春日は1970年(昭和45年)12月の衆議院予算委員会で池田の証人喚問を求めたが、自民党、公明党の反対で証人喚問は見送られた。また春日は創価学会が起こした言論出版妨害事件でも、国会で池田大作の証人喚問を求めた。

政界進出を始めた時期に創価学会は、日蓮宗系他教団のほか、浄土真宗系教団、左翼陣営からの批判を受けることが増えた[84]。島田裕巳によれば、1957年(昭和32年)の北海道での創価学会青年部隊と日本炭鉱労働組合と間の戦いを一つのきっかけとして[84]、また1960年代の公明党結成に応じて[85]、左翼陣営からの批判が刊行されるようになった[85]。島田はこれらの教団・陣営は「民衆をターゲットとし」[85]、「下層階級を組織化」[84]する点で創価学会と競合していたと指摘し[85][84]、一方の保守陣営はこの段階では創価学会批判を展開していなかったとする[84]。

離反者による批判 編集
元公明党書記長の矢野絢也は「学会員二世、三世は幼い頃から、家庭において池田大作が著した絵本やアニメを見せられ、いかに池田と創価学会の教義が素晴らしいかを刷り込まれる。しかも、一貫教育システムにより、筋金入りの創価学会員としてエリート教育される。一貫教育システムという醸成装置があればこそ、創価学会は次々と新たな学会員と「池田名誉会長」を信じて疑わない幹部を養成できる。」と指摘している[147]。このほか、現在の学会の幹部は、こうした「池田チルドレン」たちによって固められ、公明党議員にも創価学園・創価大学出身者がいる。このような教育によって、学会は強固な組織となり、池田の独裁体制も確立されたとしている[147]。また、「100万円財務は、戸田第二代会長の表現を借りれば、学会が決して手を染めてはならない「邪宗教」への一歩を踏み出した瞬間だった」としている[147]。

他団体による批判 編集
「反創価学会キャンペーン」も参照
NAACP(全米黒人地位向上協会)は創価学会が主催する「ガンジー・キング・池田平和建設の遺産展」について、「ガンジーやキングは多大な功績を挙げたのを全世界の人が知っているが池田はいったい何をやったのか」と批判、主催するなら「ガンジー・キング・ブルース・(スプリングスティーン)展」とするべきだと主張した[148][149]。その矛先は創価学会だけでなくモアハウス大学のローレンス・エドワード・カーターにまで向けられた[150]。
オウム真理教教祖麻原彰晃は、サンデー毎日から始まったオウムバッシングは聖教新聞を印刷している毎日新聞社グループと創価学会が結託して行っている、池田大作は日本を侵略するフリーメーソンの手先であり「仏法」を曲げているまむしの一族などと批判[151][152]。池田大作サリン襲撃未遂事件をはじめ化学兵器や生物兵器を利用した学会に対するテロ攻撃を行った[他 24]。
幸福の科学の総裁大川隆法は自著で「現代社会における二つの悪」として、一つは悪徳マスコミ、もう一つの悪が「邪教・創価学会」であると批判[153]。
著名人による批判 編集
内藤国夫 - 「政界に進出し、国家権力と結びつく、また結びつこうとする権力志向、権力依存の宗教団体は邪教の中の邪教ということだ。オウムより、はるかに始末が悪い難問である」[154]。
浅見定雄(元東北学院大学教授) - 「メンバーが結果的に一つの政党しか選ばなかったり、その宗教団体の指示による以外は他の政党に投票することもない-創価学会の指示で信者が自民党に投票する場合のように-もしそういう宗教があれば、その宗教は必ず政教分離の原則を破っているのであり、また恥ずかしいことだが、非常に未成熟で前近代的な宗教である」[155]
石原慎太郎 - 池田名誉会長を「悪しき天才、巨大な俗物」と批判[156]。
俵孝太郎 - 学会と対抗していた組織四月会の代表幹事。2005年9月1日の『日刊ゲンダイ
テリー伊藤、佐高信 - 共同著書『お笑い創価学会』で創価学会を批判。
杉田かおる - 自書『杉田』で創価学会を批判、主に池田大作や男性創価学会幹部の堕落ぶりを批判、また杉田自身がそうか学会関係者から受けたセクハラについても触れている。
瀬戸内寂聴 - 創価学会が毎年会員から会費を徴収していることに対し「宗教法人は信者から会費を取ったり、儲けを出してはいけない」と批判[注 26]。この批判は創価学会以外の参拝料を徴収している寺院、仏閣へも向けられている
大槻義彦 - ブログ「大槻義彦のページ」で池田大作・創価学会・公明党を政教分離の原則の観点から批判。
いしいひさいち - 自書『大問題』で創価学会を批判。
フロランスラクロワ - パリの国立研究院の博士。十数年にわたり創価学会を取材・研究を重ね、「創価学会、タブーの解剖」というフランス国家博士論文を発表。
筒井康隆 - 『SFマガジン』1965年8月増刊号で発表した短編小説『堕地獄仏法(中公文庫『東海道戦争』収録)』で、創価学会・公明党を連想させる宗教団体・政党が『政教一致体制』で支配する恐怖の日本社会を描いた[注 27]。また、朝日新聞で連載していた長編『朝のガスパール(朝日新聞社 のち新潮文庫)』では、信者らしき人物から筒井康隆に対する個人攻撃の投書があったため、筒井康隆は作中で実名を挙げて批判している[注 28]。さらに『現代語裏辞典(文藝春秋のち文庫)』では『創価学会。そうか。がっかり』と揶揄する記述が見られる。
段勲 - 自書『反人間革命』で創価学会を批判。
韮沢忠雄(日本共産党元赤旗編集局長) - 既存マスコミが創価学会批判をタブー視しているとして、赤旗で創価学会批判を展開。
後藤忠政(元山口組系後藤組組長) - 自書『憚りながら』で創価学会と後藤組(山口組)との関係を記載。
蛭子能収 - 公明党支持者から食事中に強引なサインを要求され、公明党への支援も頼まれたことに立腹。「公明党の信者って、なんでそう熱心なのか不思議だが、相手の気持ちを考えない我がままな人ばっかりの集まりなんだろうなーと思う」と批判[159]。
H・N・マックファーランド(アメリカの学者) - 1963年から64年にかけて日本に滞在して日本の
藤倉善郎 (やや日刊カルト新聞を主宰する宗教ジャーナリスト)- 創価学会について、現在でもしつこい「折伏」や、批判者や組織内の造反者に対する常軌を逸した攻撃が常に行われているとしている。また「安保法制」などをめぐる造反者側についても、「公明党はもともと平和の党」「池田大作先生は平和主義者」などの主張は、批判者への攻撃や言論妨害、しつこい折伏等の社会問題が、むしろ池田の会長在任期間中に起きていることから、池田を美化する「かつての創価学会」正当化は、歴史の歪曲だと強く批判している。むしろこれら社会的な批判を浴びた問題を池田信仰に基づき正当化してきたのが、カルト的側面を正当化する「かつての創価学会」であるとする[164]。
西山茂(宗教社会学者・東洋大学名誉教授) - 日蓮仏教にとっての創価学会の功罪について、第一の「功」は、相手が権力を持った官憲であれ、伝統的な宗教習俗を信じる庶民に対してであれ、「謗法」厳戒の姿勢を取った「伝統突破」(折伏というブレイク・スルー)の力にあるとする。第二の「功」は、「本門戒壇」の建立を、戦後日本社会の中で具体的に運動化したことだとする。一方で、「罪」は「功」の裏の部分に当たり、第一の「罪」として、他宗教への悪口雑言や暴力的な神棚撤去等の深刻的な人権問題を引き起こしたこと、第二の「罪」として、会則変更等の転進の際に過去を総括せず、過去と現在の教団の自語相違に一向に無頓着であり、信頼できない点を挙げている[165]。
島薗進(宗教学者・東京大学名誉教授) - 創価学会では、その排他主義的かつ自己完結的な教義体系のゆえに、強力な集団的統合が実現しており、指導者の指示のもと、一元的な意思の一致が前提とされ、自由な問いや討論が封じられる傾向があるとしている。また、上位者の権威への従順が宗教的指導の範囲を超えており、統制された集団生活の枠組みが日常生活のすみずみの領域にまで及んでいるため、個人の自由に任される領域が縮小する傾向があるとしている。とくに池田名誉会長崇拝にはそうした傾向が強く、このような個人の自立の抑制が「師弟不二」「異体同心」などの強調により正当化されている、と分析している[166]。

池田大作創価ヤクザ!は宗教法人マフィア!

2023-01-20 21:04:01 | 日記

折伏大行進 編集
詳細は「折伏大行進」を参照
戸田城聖は、第2代会長就任時の挨拶で、自身の存命中に75万世帯の弘教を発表。会員が折伏を進める過程で、入会しようとした家庭に他宗派の仏壇や神棚が置かれていると、それを謗法払い(焼却)したり、大人数で対象者を取り囲んだりと、時として強引さを伴ったため批判を呼び、社会問題化した[106]。

未成年者への入信強要 編集
1959年(昭和34年)6月、長崎県に住んでいた当時19歳の少年Aは学会員から度重なり入信を強要された。入信を拒むAに対し学会員は自宅で座り込みをしたためAは根負けし入信。入信から20日後Aは「創価学会への入会は誤っていた。こんなものに入ったのは、自分がしっかりしていなかったからだ。」という遺書を残し自殺、Aの自殺を知った母親も後追い自殺をした。中国新聞は「創価学会に入会を強要されたばかりに、2人ともこんなことになって」という長女の談話を掲載した[107]。その後週刊新潮がこの事件を報道。その中でAの自殺は創価学会への信仰の薄さが原因とする学会員から匿名の手紙が届き、それを見てショックを受けた母親が後追い自殺をしたとしている[108]。

言論出版妨害事件 編集
詳細は「言論出版妨害事件」を参照
1960年代末から1970年代にかけて、創価学会と公明党が会長の池田大作や自らに批判的な書籍の出版、流通を阻止するため、学会員や公明党党員が著者・流通業者・取次店・書店に、脅迫や圧力をかけて出版を妨害したり、出版前の原稿に自らの主張を織り込むよう要求した問題。

公明党が結成され衆議院で議席を獲得しはじめると、創価学会批判の書物が発表されることが増えた[109]。1969年(昭和44年)の藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対して創価学会から圧力がかけられていることが明らかとなり、池田は1970年(昭和45年)5月に一連の妨害行為に対し謝罪した[109]。この件は日本共産党の不破哲三も1970年国会での質問で取り上げた[110]。1969年、共産党がNHKでの公明党との討論会で藤原弘達の『創価学会を斬る』をはじめとする様々な批判本に対し創価学会が著者、出版社、書店等に圧力をかけるなど出版妨害の事実があったことを告発したり、機関紙『赤旗』(現「しんぶん赤旗」)紙上で、田中角栄から介入を受けたという藤原の告発を掲載するなど追及した。[要出典]

これらの行為が、日本国憲法に保障された、言論の自由および出版の自由を侵害するものだとして、国会で取り上げられたが、当初、公明党はNHKの公開討論で「これらは全て嘘、デタラメである」と主張した。しかし、国会に招致された出版社や取次店などの証言により、創価学会・公明党が事件に関与していたことが明らかになるとマスメディアから激しい社会的批判にさらされると共に、創価学会・公明党の密接な関係や当時、公明党が創価学会の内部局として存在し、国会や地方議員を務めた人間が再び学会幹部として組織に戻るなど公明党が組織として独立していなかったことが、政教分離の観点から問題視された。

1970年(昭和45年)、池田大作が「言論妨害の意図はなかった」としながらも、妨害行為に対し公式に謝罪、公明党を創価学会から切り離し組織として完全に独立させるなど、創価学会・公明党の問題点を改善することを公約した。しかし後年、池田の著書「新・人間革命」では「衆院選前に、藤沢達造(藤原弘達の仮名)の本とともに、学会の批判本が次々と出されたのだ。暗黒の嵐が吹き荒れ、伸一(池田氏の仮名)を倒さんとする、攻撃の毒矢が放たれたのであった。」と掲載[SG 85]。「週刊新潮」と不破哲三は、年月が経ったことに乗じて、歴史を改竄するものだと批判した[111][批 6]。

選挙における不正投票、不正行為、問題行動 編集
「大阪事件 (創価学会)」および「新宿替え玉事件」も参照
1957年(昭和32年)4月に参議院大阪地方区の補欠選挙が施行された際、創価学会員が大阪あいりん地区に住む日雇い労働者達に候補者名の氏名の入ったタバコや現金を渡したとして創価学会員ら47名が公職選挙法違反で逮捕された。裁判では小泉隆、池田大作は無罪、45名に有罪判決が下され、有罪となった会員45名は戸田会長の名で会員除名処分を受けた。
1968年(昭和43年)に行われた第8回参議院議員通常選挙で不正行為(投票所入場券の窃盗、替え玉投票など)を行い、創価学会員34名が検挙された。

学会員が起こした犯罪、問題行動 編集
学会員が起こした犯罪や社会問題で裁判所が創価学会の組織的関与認めた事案として大阪事件[112]といった選挙違反、コーヒーカップ裁判[113]宮本顕治宅盗聴事件[114]といった反目する団体への誹謗中傷行動、手帳強奪事件[115][116]のように学会と袂を分かった元学会幹部への違法行為が挙げられる。かつて犯罪を起こし逮捕された学会幹部を除名せず、その幹部が数年後再び刑事事件を起こし学会幹部として逮捕されたこともあり組織として学会の体質が批判されたケースも存在した[117]。

セクト問題、諸外国での騒動 編集
フランス 編集
1995年12月にフランスの下院(フランス国民議会)で採択された「通常の宗教か、セクト(カルト)か」を判定する国際的な指針は調査委員会の委員長の名前を取って『アラン・ジュスト報告書』と呼ばれる。 「①精神の不安定化②法外な金銭的要求③住み慣れた生活環境からの断絶④肉体的保全の損傷⑤子供の囲い込み⑥反社会的な言説⑦公秩序の攪乱⑧裁判沙汰の多さ⑨従来の経済回路からの逸脱⑩公権力への浸透の試み」を「セクト構成要件の10項目」として列挙し、このうち1項目でも該当するものがあればその団体をフランス政府はセクトとみなしている[118]。 リストアップされたのは創価学会を含む全部で174の宗教、宗教団体であった。

フランス国民議会カルトに関する議会委員会(1995年)[他 19]
フランス国家警察の情報機関総合情報局が、UNADFI(カルトの被害者と家族を守る協会の全国連合)など、複数のカルト監視グループと編集
フランス国民議会カルトの財務、所有物、収益、同様にそれらの経済活動、経済・金融の関わりに関する公聴委員会報告(1999年)[他 20]
カルトと金銭に関するフランス議会報告、30数団体に注意を集中させ調査した。
2011年9月、フランスの新聞『ル・モンド』の月刊誌「Le Monde DES RELIGIONS」に『創価学会、自己の内なるブッダ』と題するルポタージュが掲載され、創価学会の歴史や活動が詳しく報じられた。ルポタージュは、創価学会が日蓮正宗と絶縁した理由について「創価学会のプラグマティズム、およびその在家による現代世界を中心に捉える方向性は、日蓮正宗の聖職者集団による教条主義的宗教観とはもはやできなくなったからである。」と解説した。また、過去にフランス国会に提出された報告書が創価学会をセクト扱いしていた背景についても解説し、首長直属機関であるセクト逸脱行為監視取締り関係省庁委員長ジョルジュ・フネックによる「ここ5年以上に渡りSGIフランスに関して、我々はセクト逸脱行為の通報を一切受けてない。運動体(SGIフランス)は礼拝、文化、商業活動を区別し、フランスにおいてはまったく問題を提起しない。」とのコメントを紹介している[SG 86]。

ベルギー 編集
ベルギーでは創価学会(SGI)が複数の未成年者を勧誘したことが発覚し社会問題となる、1997年、ベルギー議会調査委員会は未成年者保護のため創価学会(SGI)をセクト的な活動を行う団体にリストアップし未成年者への勧誘、入会を禁止した。[119]

ドイツ 編集
1980年代から90年代にかけて、日本に留学していた複数のドイツ人が創価学会の総会で池田大作が右手(実際は右の拳)を高くつきだし、それに呼応して参加者たちが一斉に右手を突きだした光景を目撃したことから「創価学会はナチス式敬礼を行う危険な団体」[120]などといった誤った風潮がドイツ国内に伝わる。その後1996年、創価学会インタナショナル(SGI)等を新宗教と精神世界グループの一団体としてリストアップした。[121]

イギリス 編集
イギリスの経済紙『エコノミスト』1999年7月3日号で「創価学会は(日蓮正宗[大石寺]が創価学会との結び付きを断ち池田氏を破門したことによって)主な目的を失った現在、世界中で行っているよい仕事の成果を強調するようになった。さらに創価学会は富裕になって以降初期の目標を失ったその他多くの組織と同様に、批判者を脅迫、主流マスコミを脅して黙らせるという容赦なさでその利害を守っている。」と批判した。

イタリア 編集
2015年06月27日、イタリア共和国とイタリアSGI(イタリア創価学会仏教協会)との間に、インテーサ(宗教協約)が調印され、調印式がフィレンツェのイタリア文化会館で厳粛に執り行われた。しかし、式典に池田大作が出席せず代理人をたてたことからイタリアの大衆紙「Corriere della Sera」は「Nessuna cerimonia di vincitori(受賞者なき授賞式)」、「Governo ha dato lui la medaglia di fantasmi(幽霊に勲章を授けた)などの批判記事を掲載した。

韓国  編集
韓国に関連した批判が下記のようにある。

1997年(平成9年)に行われた韓国大統領選挙で候補者の金大中が日本で秘密裏に公明党幹部と面会し、日本の公明党の影響下にある韓国SGIから支持を得られるように依頼し公明党幹部の藤井富雄が了承したとされる事実があること[122]
韓国SGIが平和をテーマに行なった集会で竹島の領有権主張や歴史教科書問題、日本の軍国主義批判が背景になっていたことを、週刊新潮が「反日集会」と報道する[123]。
2002年(平成14年)8月15日、韓国・SGIが池田大作の指示で韓国の政治家へ総額20億ウォンの裏金をばら撒いた不正疑惑が、SGIの内部告発という形で韓国の有力全国紙である『中央日報』『東亜日報』『朝鮮日報』の3紙に掲載され日本では週刊実話が『韓国 三大紙上で暴露 池田大作SGI会長が韓国の政治家にバラまいた20億ウォン裏金疑惑』として掲載されたこと[124]。
創価学会に関する疑惑 編集
P献金 編集
「創価学会には、P献金と呼ばれる献金が存在している」という疑惑。P献金のPとは「プレジデント(英:President)」の略で公明党の支持母体、創価学会の池田大作名誉会長を指しているというもの。公明党出身の国会議員福本潤一が2007年(平成19年)6月、外国人記者クラブで外国人記者を前にし、「公明党の議員は選挙で当選した際に衆議院議員は300万円、参議院議員は600万円の献金を行うよう要請されている」と記者会見した。福本の記者会見の内容を民主党の石井一が2007年(平成19年)10月16日、参議院予算委員会で「P献金」を追及した[他 21]。



カルト宗教法人の大阪選挙買収事件!池田大作は有罪!だった

2023-01-20 20:54:26 | 日記
池田大作は有罪判決!間違いない!

大阪買収選挙事件! 池田氏は有罪を免れない事態が 何故か?



♦有体に言えば、清原氏は椎名氏の親書――内容は違法な懇願である―― に依って、満州での命の恩に報いたのである♦資料引用

大阪事件とは

前代未聞の選挙違反「大阪事件」
 これは、昭和32年の参院選補欠選挙で、大阪に派遣された小泉理事長と池田渉外部長の元、学会員45名が買収による選挙法違反事件で起訴となった。同じく池田氏も公職選挙法容疑で逮捕勾留。裁判において無実となり、これを後年、法難として意義付けしたものである。

事件の詳細

 また四月二十三日、参議院大阪地方区の補欠選挙が行われ、創価学会からは船場支部長・中尾辰義が立ち(落選)、小泉、池田らが選挙運動にあたっていた。が、これにからみ、大阪府警は六月二十九日理事長・小泉隆を、七月四日池田を、「堂々と戸別訪問せよ。責任は私が負う」と会員に要請した疑いで逮捕し、七月二十九日それぞれ起訴した。
「創価学会幹部四十五人起訴
 〔大阪発〕大阪地検は、去る四月行われた参議院大阪地方区補選での創価学会幹部らの公選法違反事件について、二十九日、同学会本部理事長、東京都議小泉隆(四八)=東京都大田区蒲田五ノー一=ら四十五人を買収で、(うち二人は略式請求)同渉外部長池田大作(二九)= 同区調布小林町三八八= ら三人を戸別訪問で、それぞれ起訴した。起訴状によると、この選挙で、小泉理事長は主として“実弾作戦” を、池田渉外部長は戸別訪問をそれぞれ担当、現地で指揮に当り、大阪、船場、松島、梅田、堺の五支部に「選挙係」を設け、府下約六万世帯の信者のほとんどを戸別訪問に動員したもの。
 投票数日前には、“タバコ戦術” として職安十数力所で、日雇労務者に候補者名を書いたピースなど約四千個をバラまいたという」(『朝日新聞』昭和三十二年七月二十九日夕刊)

 池田は大阪東署に十五日間留置され、検事のいうがままの調書に署名し、七月十七日(小泉は十五日) 保釈出所した。この間、創価学会は事件(大阪事件とよばれる)を、同会を「おとしいれようとして仕組まれた策謀」だとして、小泉、池田以外の関係者四十一人を十二日、戸田命令で除名し、小泉、池田の即時釈放を要求する大会を十二日東京で、十七日大阪で開催した。
(『池田大作権力者の構造』講談社)




戸田会長は大阪事件を法難と明言せず
 大阪事件の当時は戸田会長が存命中であり、東京から見守っていた。 であるから、この事件については、「戸田城聖全集第4巻」において答えている。しかし、戸田会長は、現在の学会のようにそれを“法難”と意義付けはしていない。片や、戸田自身の投獄については、“法難”と明言している。では、いつのころから、大阪事件を法難と呼ぶようになったのか。

◎戸田自身の逮捕→ 法難と明言
◎池田氏の逮捕→ 法難と明言せず



池田会長時代に大阪事件は神格化に利用
 池田会長の時代になり、池田氏個人の法難としての「大阪事件」は意義付けに塗り替えられた。



池田氏が無罪となった要因


龍年光氏の証言

 原島宏治氏が心配していた大阪事件の裁判は、判決を言い渡す前に、田中裁判長が弁護団を呼んで一枚の紙を渡した。
 その紙は、「拘置所の中で、検事が三人がかりで、池田に手錠をかけたまま、夜十一時まで、食事も与えず調べた事、従って検事調書はすべて却下する」とあった。田中裁判長が一人で拘置所に赴き職権で調査し、検事の行き過ぎを発見したお陰である。後でわかったことだが、この事件の前年、昭和三十一年の参議院選挙で池田は大阪地方区で白木義一郎を当選させた。そのやり方があまりにもヒドイので、大阪地検は激怒していたという。その翌年、無責任にも池田は、またまた無差別戸別訪問の指令を出していた。この事実を知った弁護団は全員、池田の有罪を確信していた。
 その証拠に、池田の直接指揮下で動いた山田哲一、鳥養ら大勢の幹部や会員は有罪になった。「一将功なりて万骨枯る」の言葉は、池田のためにつくられていたと私は思う。原島嵩が言った「池田の将棋は、王様が一人で真先に逃げ出す」と。この図式は、今も少しも変わらない。
 田中裁判長が渡した一枚の紙は、当時の弁護団の一人であった松井弁護士(故・北条浩会長と海軍兵学校の同期生)が持っていたので、私がコピーして故・北条浩会長に渡し、『人間革命』に大阪事件の裁判を書くときにはきちんとこの事実を載せろと言ったのであるが、この事実をひた隠しにして、あたかも池田の無実の罪が晴れたかのように書いてある。これは大ウソである。
(『池田大作創価学会の脱税を糾弾する』龍年光)



証言 石田次男氏(三代会長と目された人物)

 この事件で『戸田先生を引っ張る』と言った地検が戸田先生を引っ張らなかったのは何故か? 少く共、事情聴取位は有っても不思議は無さそうだが、それも無かったのは、決して池田が言うように『自分(池田)が泥を被った』からではない。このことは今明らかにして置く必要が在る。戸田先生に迄地検の手が伸びなかったのは、事件を担当した清原次席検事(地検ナンバー2)が断念したからに過ぎない。昔のことで、もう迷惑が及ぶことも無いであろうから真相を此処に明らかにして置く。
 敗戦の昭和二十年夏、清原氏は満州(今の中国東北部)に居て、真正面からソ連軍に追い回された。文字通り命からがら逃げ回った。その時、椎名晴雄――今は故人――という人に命を助けられた。清原氏は椎名氏を〈生涯の命の恩人〉として重く買った。二人共何とか帰国丈は果し、それぞれの道を歩み、昭和三十二年当時、清原氏は大阪で検事を務め、電源開発社員である椎名氏――第四代小岩支部長――は東京で学会の小岩支部幹事をしていた。この時の小岩支部長は石田であった。
 椎名氏は大阪事件の時、清原氏との関係を戸田先生に話し、清原氏へ〈石田紹介状〉という名目の親書を認め、石田がそれを持参して(十三日頃)地検へ清原氏を訪問した。
 『清原氏に弁護士を紹介して下さるよう申し入れよ』と戸田先生に言われた通り、このことだけ三十分位粘って言い張った。この日から二日後、まず田代富士男(後の砂利船汚職参議院議員)氏が釈放され、次いで池田氏も拘置所から出て来た。
 有体に言えば、清原氏は椎名氏の親書――内容は違法な懇願である―― に依って、満州での命の恩に報いたのである。大阪事件の捜査段階が、急にバタバタと締めくくられたのはこのせいであった。戸田先生に地検の手が伸びなかったのもこの為であった。清原検事が一切合財目を瞑って幕を引いてくれたからであつた。従って、断じて、
池田氏が一切合財を被ったからではない。池田氏は、当時、誰からもこの事情が漏れる気遣いが無いことを良いことに、萬事、自分の功績にして、学会員を総騙しにした丈だ」
 この選挙違反は、買収指示を除いて、あらゆる悪質な違反が池田の指示で大阪中で行なわれ、そのスケールの大きさでは前例がなかったといわれます。池田の有罪は当然でしたが、その事件担当の清原次席検事の存在と、偽証でかためた証言によって、四年半後の無罪を強引に勝ちとったものだ、と石田氏はその真相を明らかにしております。
(『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』原島嵩

カルト創価ヤクザマフィアのスパイ!長野妙相寺 樋田昌志!

2023-01-19 21:45:36 | 日記
フィクションの可能性もあります。が半々ですか?(笑)


長野県 妙相寺 樋田昌志は創価ヤクザマフィアのスパイ工作員だった・池田大作は51年頃から精神異常になっています。殺人者 養成
殺人部隊 牙掟会を作成した!







畑山あきこの 内容はすべて真実ですね!

裏が取れています。

ダーハラ会長先生が喋るからね~

一つは沖浦克治の殺人疑惑事件

被害者朝木明代議員の 靴が とある場所にある可能性が判明しました。

また 中野法論 長野法論の あの有名人

樋田昌志がなんと  原田創価ヤクザのスパイ工作員だったのです!


私達が以前 彼にアポをとった時にスルーしました!
 意味が解りましたね! 

創価ヤクザマフィアは野原ヨシマサグループ

波田地克俊グループにも複数のスパイ工作員がいます。

勿論 自民党 立憲民主党 、維新の議員に創価ヤクザのスパイがいるわけです!

もぅ一つは あの地下鉄サリン事件の 10人の一斉の死刑です!

麻原彰晃1人を 死刑すれば良いと思っていましたが やはり創価学会マフィアが 麻原彰晃をコントロールしています!


松本サリン事件 地下鉄サリン事件

は勿論 

あの坂本弁護士一家殺害事件も 坂本弁護士は オームを追求していて 創価ヤクザマフィアに行き着きました!

それで口封じされたのです。

池田大作サリン暗殺未遂事件は 池田創価学会と オーム麻原彰晃  秋谷栄之助会長の

八王子サリン暗殺未遂劇場で間違いないみたいですね! 


まだまだ 創価ヤクザの 戦後最大の大量殺戮事件が解決する予感がしています。


統一ヤクザ等 創価学会マフィアの犯罪に比べたら 殺人偽善者は 千倍多いようです

FB_IMG_16740362147032080
FB_IMG_16740365477610730
FB_IMG_16724466781681750
FB_IMG_1672207133127
FB_IMG_1672207576091
FB_IMG_1672207124413
FB_IMG_1672207152513
FB_IMG_16720522221316167
FB_IMG_16708323309643955