104(トシ)love love love

その日あった事、家族の愚痴、妄想、トシちゃん、聖子ちゃん、木村君の事を呟きます。

4月NHKホールにて

2018-10-30 18:43:25 | インポート
嬉しいニュースが飛び込んできました

4月21日(日)TOSHIHIKO TAHARA 40TH ANNIVERSARY EVE ? 平成 LAST LIVE!

NHKホール

トシちゃんの古巣に帰ってきました。デビュー40周年に向けて動き出しました~~!いきたいけど、東京は遠い!少しずつ貯金をしようか?悩んでます、グズグズしている暇はないですね。東京は早いうちにチケットが売り切れる可能性があるので、出来るだけ早く考えをまとめなくてはならないんですよね。グループLINEでもその話しがあってました。みんなで、東京へ行こう!作戦~~!と。

'80年代のアイドルファンならなぜ、トシちゃんがNHkホールが古巣なのかご存知ですよね?

知らない方の為にお教えしましょう


Wikipediaより
レッツゴーヤング』は、1974年4月7日から1986年4月13日までNHK総合テレビで毎週日曜?18:00 - 18:40に放送されていた若者向けの音楽番組である。略称「レッツヤン」。

そこでは、サンデーズが結成され当時人気だった歌手で結成された。司会には、亡くなられた平尾昌晃さんや、太川陽介さん、石川ひとみさんが務められました。

石野真子さんも一時期司会をされた事があったようです、知りませんでした。

サンデーズは、

1 - 2年ごとの代替わりを繰り返しながらグループとしては番組終了まで存続した。「ヤングヒットソング」のコーナー等では、個々のメンバーが持ち歌を披露するステージを他のメンバーがバックのコーラスやダンスなどで盛り上げる場面も見られた。「第31回NHK紅白歌合戦」(1980年)では当時司会だった石野真子の「ハートで勝負」のバックダンサーをサンデーズのメンバーが務めている。

メンバーからは田原俊彦・松田聖子の2大スターを始めとして後年人気声優となった日高のり子・佐久間レイ、今日でいうバラエティータレントの趨りともいえる「がけっぷちトリオ」の坂上とし恵・浜田朱里(および日高)など、幅広い分野の人気タレントを生み出した点に特徴がある。サンデーズに最も長く在籍したのは(卒業後も司会として番組に出演し続けた太川陽介を除けば)結成時の1977年度から1982年度前半期に至る5年半の間メンバーとして出演した川﨑麻世であり、1978年度から1980年度までの3年間出演した渋谷哲平・倉田まり子がそれに次ぐ。

1977年度 - 1978年度この期の最初は男性5組(6人)のグループとして出発し、キャンディーズが降板した1977年度後半期以降は女性3人が参加して男女混成となった。「ヤングヒットソング」としてメンバーが自分の新曲を披露するコーナーも作られた( - 1982年度前半期まで)。結成時以来のメンバーだった太川は1978年度限りでサンデーズを卒業した後も司会→メイン司会として番組終了時まで出演し、『レッツゴーヤング』を代表する顔となった。


そこに、我が田原俊彦さん、トシちゃんと松田聖子さん、聖子ちゃんもサンデーズとしてレギュラー出演されているので、2人にとって思い出の場所であり、古巣と言えると思います。

レッツゴーヤングはNHKホールで放送されました。毎週日曜日の午後6:00からの放送でした。当時学生だった私はトシちゃん見たさに毎週見ていたのを覚えています。

で、その古巣にトシちゃんが平成最後のアニバーサリーLIVEをするそうです。きっと普段見れないステージ構成なのは想像つきますよね?なので、何としてでも行きたい!!念願でもある東京のライブに行く事!叶えるために貯金せねば!


交通費、宿泊費、グッズ、これは最低限必要な物ですね。いったいいくら貯金すればいいのかな?嬉しい悩みです。東京の宿泊費っていくらであるのでしょう?調べなくてはなりませんね。行けるといいな。