おんさいや

思い出…懐かしい日々や
毎日の ちょっとした出来事…
明日を見つめて…

高野山へ

2021-06-15 13:19:53 | memory 思い出
2018年5月。

3月に 結願した後 落ち着いてから
高野山を目指しました。

和歌山県九度山の道の駅を後に、
慈尊院(弘法大師のお母さんの住われた場所)…から、



祈りの道を歩き、大門を目指します。

一丁石を見ながら…(ちなみに 180の丁石があるそうです)
祈りの道…弘法大師が、月に九度 高野山から慈尊院まで
往復されたとか…。


大門を潜り

大塔や
金剛峯寺を観て

御廟橋を渡り、色んな武将の お墓を右左に見ながら…
奥の院まで進みました。

この先は、写真が撮れないので…。

道の駅を早朝に出て約 6時間位だったかな?

高野山の 町並みをたどりながら、

遍照尊院に宿をとりました。

一夜あけて 高野山の お札を戴いて帰途に着きました。

これで、一連の歩き遍路を終える事が叶いました。

縁があれば又 歩く事が出来たら良いなとは思っています。
以上。
四国遍路の道のりでした。

ありがとうございました。

では又お会いできる日まで。

落ちた!

2021-06-01 16:28:20 | memory 思い出
***
ボットン便所…

昔の人は知っている・・・

私も昔の人。

6歳になってたかな?

前記の賞状の紙を
半分に切って、トイレに。

そして、私は、
トイレの板を踏み外し 
ボットン…と。

泣き叫んでいた私は、
近所の人に助け上げられた。

全身…○○○まみれ。

母ちゃんに、身体中、
ゴシゴシ洗われたのだけは、覚えている。

泣き叫んでいた私…
可哀想!だったなぁ。

お口直しに…



"ストケシア"の紫が綺麗。

では又です。

黄色いスイカ

2021-05-31 07:13:24 | memory 思い出

  • ***

黄色いスイカ。

父が作る黄色いスイカが大好きだった。

何故か私は
赤いスイカよりも
黄色いスイカが好きだった。

九州の片田舎
小さな小さな家。

そこに広がる景色は
小さな私には
とても広く見えた。
犬のベルがいて家族がいて。

寂しいような懐かしいような甘酸っぱい思い出。

黄色いスイカ。
もうあの味には会えない。

ちょっとセンチになりました

では又です。





ブラックベリーの花。
薄いピンク色。

切り干し芋と 賞状と

2021-05-29 08:19:54 | memory 思い出
***
九州の国東半島近く。

新興に住んでいた頃の話。
小学校一年生。

自分自身は覚えてはいないが
学校で、絵を描きそれを、
先生が、出品されたようだ。

ぺんてるのコンクール。

何と私は特賞を。
母が、むしろの上に、
芋切り干しを広げている
絵を描いた。

その絵は覚えている。

九州から、
愛媛の宇和島に
引っ越した時、
トイレの紙にその賞状を
使ったみたい。

半分に割いて。
母の、
"まぁこの子は…"と言う
言葉だけを覚えている。

あの賞状…どうなったのかな?
今は無い!

*****

ラベンダーが綺麗…
挿し芽をして増やしたい。

では又です。





ヘリコプター🚁

2021-05-26 16:29:47 | memory 思い出
3歳か4歳か?

家の近くの空き地に、
ヘリコプターが降りた。

回る羽根が巻き上げる砂埃。

薄眼で、その回っている
プロペラを ひたすら眺めていた。

強烈な記憶。

父は あんなに小さい頃の
出来事を良く覚えとるなあ…って 私が長じてから良く言っていた。

強烈な 出来事は、覚えているものらしい。

しかし、あの ヘリコプター🚁凄かったなぁ。



フウロソウ& ウメバチソウが仲良く咲いています。

では又です。