あさひ砂の彫刻美術展実行委員会 電話:080-5093-4747
開催中 2019年7月1日(月)~28日(日)
あさひ砂の彫刻美術展~玉崎神社~満願寺~渡海神社~銚港神社~圓福寺(飯沼観音)~川口神社
あさひ砂の彫刻美術展実行委員会 電話:080-5093-4747
開催中 2019年7月1日(月)~28日(日)
あさひ砂の彫刻美術展~玉崎神社~満願寺~渡海神社~銚港神社~圓福寺(飯沼観音)~川口神社
一瞬、千葉県とは思えませんでした。
関東にも大雨が降り始めました
長く降らないと思いますが
ニュースを見ていると
気が気じゃ無いですね~。
こんにちは~
海鹿島海岸にひっそりと咲き乱れる宵待草によせてわが身の
悲恋をうたったものです。
この詩の一節と肖像を刻んだ文学碑が作詞の地である海鹿島高台に
昭和46年に建立されました・・・
玉崎神社で現地で電話を入れましたが誰も出ない境内も掃除も
していないのは初めてです
××神社の人が銚子は過疎地だからお寺さんも寄付がないと
遣って行けないと愚痴を言っていました
いつもありがとう( ・・)( -.-)( _ _)
昔、いわしを天日で乾燥させて肥料にして江戸へ。
銚子漁港ができたのは醤油会社の社長の力?
地元紀州で漁業を営んでいる際、海難に遭い、下総国海上郡飯沼村や高神村の人々に助けられた恩返しから
明暦2年(1656年)飯沼村に移り住み、マカセ網漁と呼ばれる漁法でイワシ漁を始め、
万治元年(1658年)と寛文元年(1661年)の2期にわたって高神村の外川浦に港を造ったのが
外川漁港の始まりで屋号は大納屋次郎右衛門は故郷から多くの漁師を呼び寄せ、
漁業と海運を営み、当時の盛況ぶりは「外川千軒大繁昌」と語り継がれている
銚子は外洋に面していたその後、海退と毛野川(現在の鬼怒川)などから
運ばれた土砂が堆積し水の出口をなくし湖沼状況になっていった
そして1,000 年ほど前、今日の利根川河口から霞ケ浦一体は、
「香取の海」と呼ばれる広大な内海となった。
銚子は外洋に面していた。その後、海退と毛野川(現在の鬼怒川)などから運ばれた
土砂が堆積し水の出口をなくし湖沼状況になっていったそして1,000 年ほど前今日の
利根川河口から霞ケ浦一体は、「香取の海」と呼ばれる広大な内海となった...
昔の漁港の町場でなく過疎地で人口も少なくなっているようです~
いつもありがとう( ・・)( -.-)( _ _)