今朝の体重。
四連休直前。
頑張れ!BBA!
明日は成田山散歩だ!
推理は続く。
糞小林が亡くなったのは4日夜間。
社用のスマホ履歴で家族からの第一報がもたらされたのは7日の11時半過ぎ。
私が父を送った時は自宅に安置や通夜などするようなゆとりなど一切なかったので。
『最速で火葬をしたい』と葬儀社に相談をした。
決まり事ととして臨終から24時間を経過しないと火葬は出来ないらしかったけど。
(まんがいち息を吹き返したり、感染症問題とかもあると聞いた気がする)
父親は早朝に息をひきとったので。
翌日午後には荼毘に付すことが出来た。
家族葬などと小洒落たものではなく。
『直葬』ってやつだ。
糞小林の父親は昭和の人だから。
通夜などの形式的な事はしたかも知れないけど。
だとしたら。
5日か6日が通夜で7日までには葬儀が済んだのではなかろうか。
(我が家式なら6日に火葬が出来たはずだけどね)
一報を入れたのもそこが落ち着いた状態だったのかも知れない。
スマホの発着信履歴を追うと。
そのあと、U上司様とのラリーが幾度かあったので。
そこで香典の集金段取り等を整えて。
8日に出勤した私が訃報に接する、に至るって流れだ。
入院からひと月余り。
直前の不調振りを目にして来たBBAとしたら。
案外早かったのか。
むしろ持った方なのか。
判断はしかねるのだけど。
糞小林本人は臨終直前まで何を思っていたのだろう。
入院が叶った時点で不調から脱する安堵感はあったのか。
いよいよ、という覚悟を決めたのか。
生前の通り。
なーんも考えてなかったか。
叶うことなら。
ここぞとばかりに『だからあれほどいっただろう!』と。
説教詰めをしてやりたい。