五十八備忘録

兄の死

今朝がた尊敬する兄が旅立った。

73歳

これからいっしょに色々する約束をしていた・・

6月20日(日曜)の夕方久々に電話をくれて、お盆の事や実家をこれからどうしてゆくか、などなど40分近く話をして

「坐骨神経痛を何とか治すから。」と言って切ったのが最後の会話となった。

翌朝5:00頃苦しいから病院に行きたいとの事で、長女が送っていった。

その時点で入院となったが先生曰く2週間ぐらいで家に帰れますよとの事だった。

しかし「うっ血性心不全」でICUに入る事になってしまった。

少々入院が長引くが退院できるでしょう。と言われており家族も、私も安心していた。

入院から2週間が過ぎた火曜日(7/6)にHCUに移ったとの連絡を受け、徐々に回復しているものと思っていた。

翌日7月7日は車検の予約していたので近くのトヨタに行き2時間ぐらいで出来上がると言われ待っていた。

車検が終わり家に帰ってさ仕事をするか!と思ったところに姪からの電話。(午後3時半過)

兄の容体が急変したので家族で病院に来たとの連絡だった。

コロナ禍のなか面会に呼ばれたという事はそれなりの状況だと想像は付いた・・・

その時点で腹部の血管の数カ所から出血し、血圧が下がり、輸血はするが止血の処置のしようがないとの事だった。

それでも先生方は最善を尽くすと言ってくださったそうだが、とても苦しそうで

かわいそうだったと涙ぐんでいた。

それを聞き覚悟を決めた・・・

姪からの電話の途中でキャッチホンが入ったのだが出られなかった。

姪との電話が終わり、番号を確認すると知らない番号だった。

昭島病院に末期がんの知り合いが入院しており緊急連絡先が私のところにしてあったので

もしやと思いネットで電話番号を検索すると「昭島病院」となっていた・・・

カミさんがメインで対応していたのだが今日は勤めで留守だった。

直ぐに昭島病院に電話をすると担当看護師につないでもらえ、

様子を聞くと「だんだん意識が朦朧としてきておりますのでご面会されるようでしたら手続き致します。」

と言われ、やはりこちらも面会を勧めるという事は・・・そういう事か・・

その晩の7:00に行く旨を伝えこちらの手配を整えた。

甥との共通の知人なので甥と二人で会いに行った。

もう話すことは出ないが意識ははっきりしていて、こちらの話には目で合図をして答えてくださった。

40分ぐらいお話し(こちらの一方的)をして帰ってきたがあまり長くはなさそうでした。

そして翌日の午前3時に兄が亡くなったとの連絡を6:50分に姪からもらった

その晩は私も仕事を間に合わせるべく2:00に起きて仕事をして6:00迄やり、何とか先が見えたので仮眠したところへの電話だった。

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