昨日は
・福岡〜佐賀にかけて
・硫黄臭
・大地震の前兆か?
いろいろ
調べてみて
たどり着いたサイトに
感銘を受けました。
2011年4月8日
(以下、途中からの引用です。)
私も今回の震災での東北の方々の姿を見て、そして、その後の現地の支援を含めた様々なことをされている「個人」の方々の姿を見て、「日本人であるということに喜びを感じられる感覚」を取り戻しています。
これは「日本人の誇り」とか「日本人は偉い」とか、そういう面倒な話ではなく、「自分もこの東北の人たちと同じ日本人なんだ」という嬉しさかもしれません。
これは「日本人の誇り」とか「日本人は偉い」とか、そういう面倒な話ではなく、「自分もこの東北の人たちと同じ日本人なんだ」という嬉しさかもしれません。
(中略)
神話が見せてくれた地震への最善の対処
ところで、今日の地震の時にテレビをつけた時、 NHK の仙台支局だと思うのですが、放送局内の様子が映されていたのですが、そこで見た人たちの行動。
多分、仙台も震度は6前後はあった中でしょう。
その中で、そのスタジオに映っている人たちがしていたこと・・・。
髪の長いスリムな女性はホワイトボードが倒れないように支えながら冷静に周囲や天井を見ている。
アナウンサーの方でしょうか、黒いスーツを着た女性スタッフは、揺れが収まった瞬間、動じることなく報道の準備を始める。他にも、落ちそうなパソコンを支えるスタッフ、そして、カメラを持ったカメラマンはその様子を揺れながら撮影している。
もはや、そこには「地震に対しての怖れ」など見えないのです。
起きる事象に対して、淡々と対処し、次に進む。
世界のどこを見回しても、震度6の地震の揺れの中でこれをできる人はいません。
本当にいません。
本来ならトラウマレベルのこの地震に対して、すでに「不要な恐怖心はない」とさえ映ります。
もちろん、余震とは言え、震災クラスのこの地震で、何らかの被害が出ているのは間違いないのでしょうが、「大きな地震では被害が出る」という不可抗力も含めた現実と、「それをむやみに怖れる」こととは大変に違いがあるように感じます。
このあたりにも「地球に生きる人類」が到達した究極の行動が見えてきます。
ところで、今日の地震の時にテレビをつけた時、 NHK の仙台支局だと思うのですが、放送局内の様子が映されていたのですが、そこで見た人たちの行動。
多分、仙台も震度は6前後はあった中でしょう。
その中で、そのスタジオに映っている人たちがしていたこと・・・。
髪の長いスリムな女性はホワイトボードが倒れないように支えながら冷静に周囲や天井を見ている。
アナウンサーの方でしょうか、黒いスーツを着た女性スタッフは、揺れが収まった瞬間、動じることなく報道の準備を始める。他にも、落ちそうなパソコンを支えるスタッフ、そして、カメラを持ったカメラマンはその様子を揺れながら撮影している。
もはや、そこには「地震に対しての怖れ」など見えないのです。
起きる事象に対して、淡々と対処し、次に進む。
世界のどこを見回しても、震度6の地震の揺れの中でこれをできる人はいません。
本当にいません。
本来ならトラウマレベルのこの地震に対して、すでに「不要な恐怖心はない」とさえ映ります。
もちろん、余震とは言え、震災クラスのこの地震で、何らかの被害が出ているのは間違いないのでしょうが、「大きな地震では被害が出る」という不可抗力も含めた現実と、「それをむやみに怖れる」こととは大変に違いがあるように感じます。
このあたりにも「地球に生きる人類」が到達した究極の行動が見えてきます。
(以上、引用おわります。)
もはや、そこには「地震に対しての恐れ」など見えないのです。
起きる事象に対して、淡々と対処し、次に進む。
あぁ〜
これなんだよな〜
と、腑に落ちました。
2022年
今年もあと少しで終わりますが、
「大地震が来る!」
とずーっと言われ続けてきながらも
無事にここまでやってこれました。
これは
みんなが
自分なりに
なんとなく
「いつきてもおかしくない」
と、注目して、備えているから
量子力学によってかろうじて
無事に済んでいるのだと思っています。
「来る、来る」って言っていつもこないじゃーん
と油断する人が、
「取り越し苦労だったけれど、無難に済んで有難い」
と備え続ける人の数を上回って仕舞えば、
大地は大きく揺れる
準備はできている
のが「今」だと感じます。
黄色
緑色
の点々が密集している地域は、リアルタイムで注意のようです。
少し話が逸れてしまいましたが、
もはや、そこには「地震に対する恐れ」など見えないのです。
起きる事象に対して、淡々と対処し、次に進む。
これが
できる
自分でいられるかどうか?
2011年
多くの日本人が
この姿を見せてくれていたのだと、
上記サイトに辿り着き、
再認識しました。
注目して
備える
努力は続ける
それでも
地震は
起こる
では、起きた時に
・淡々と対処し、
・次へ進んでいく
ことができるのかどうか?
私には、
まだ自信がありません。
困った人が目の前にいて
とっさに手を差し伸べることはできるだろうか?
自分のお腹が
ぐーぐー
ぐーぐー
鳴って、ぺったんこ。
もう力が出ないよぉ〜、え〜ん。。。
っていうときに、
手に入った食糧を
未来ある
子どもたちに
譲ることはできるだろうか?
睡眠もとれず
フラフラしている中でも、
移動できないお年寄りを
おんぶして
安全な場所へと
連れていくことは
できるだろうか?
疲労困憊
もうダメだー
というときに
ワガママ放題
ギャーギャー罵倒
ブーブー不満
ワーワー泣き言
にイライラせずに
優しさを出すことはできるだろうか?
私には、
まだ自信がありません。
むかしむかし
タバコの吸い殻を
がむしゃらに
拾いまくっていた頃。。。。お〜怖いですねぇ、笑
ゴミが落ちていれば
とっさに身体が動いて
拾っちゃう
っていう感じだったなぁ。
困っている人を見たら
助ける
ということを
意識してでも
続けていれば
困っている人がいたら
助けちゃう
っていう状態に
なれるんだろうな。
この状態になれれば
無敵!
怖いものはない、笑
結局45歳の今まで(多分10代後半から)
いろいろ悩み続けてたどり着いたのは、
自分の良心に反することをしてしまうことが怖い
苦しくて
辛くて
大変で
忙しくて
他人を傷つけてしまったり、
困っている人を無視してしまったり。。。。
自分を守るために
悪事を隠蔽してしまったり、笑
してしまいそうな
自分がいるので
怖い。。。。。。
でも、
いざとなれば
東北の方々
多くの日本人と同じように
普段ダメダメな自分でも
目の前の困っている人を助ける行動を
取れるのかも。
と勇気をもらえる文章でした。
今日も「防災意識」と「大地への感謝」を忘れずにお仕事頑張ります。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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