もし、悟りをひらくことが頂点で、この世のすべてを捨ててたどり着かねばならない境地なのであれば、自分のことを考えるだけで精一杯になってしまい、人々を救済するという意識は出てこないのではないでしょうか。}
感想:うん、うん、すごく良くわかる。
{そうではなく、ひとつであるはずの仏と自分に偏りを感じることで、人々のために祈ることや、どうしたら人々を救済して仏を見出すことができるか、といった方向に考えが及ぶと思うのです」。
(中略)
「密教は、他の宗教を否定しません。宗教だけでなく、人間の業や欲、煩悩を否定するのではなく、仏性を覆い隠しているさまざまなものの存在に気づき、日々を生きるということです。密教は裾野が広いことから、言葉の表層だけを取ると誤解されやすいところがあります。大切なのは、密教を知識として理解するだけでなく、道徳や行動の土台となる信念として持ち、自分の血肉にすることです」。(福田さん)}
感想:もぅ〜ピッ感!ピッ感!ピカピカピカ〜って、胸が躍りまくりです、笑
{現代社会において、曼荼羅を前に瞑想することは難しいが、慈愛をもった言葉遣いを心掛けるなど、日常生活での意識として空海の教えをとらえることはできる。あるいはマインドフルネスに注目が集まっている現代にこそ必要な教えであるともいえるだろう。
「密教は『信じる』対象ではなく、常に自分の中にあるもの。それを確認しながら進むことで、道徳や行動の土台となるものです。日常の中で非日常を感じ、心を整える手段ともいえます。日常生活では妄想が起こり、すぐに瞑想に入ることはできません。この世には生と死があり、善と悪があります。そういった相対的な世界に生まれ、生きている。その間で悩みながら生き、その世界を超えた仏性を意識することで、相対的な束縛から自由になる。
それをつきつめていくと、奥底に光る仏の世界があります。私は、宗教とは感激であると考えています。
我々は感情に左右される生き物ですが、困難があるから幸せを感じることができます。
そうやって感情を知的に整理したのが宗教であり、自分の中の仏性に近づき感激を知ることが、弘法大師空海が訴えたかったものではないでしょうか」(福田さん)}
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伊豆大島近海
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浦河沖