貞観(じょうがん)大噴火
平安時代初期の864年(貞観6年)から866年(貞観8年)にかけて発生した、富士山の大規模な噴火活動
昨日参拝させていただいた
河口
浅間(あさま=古代語で「火の山」という説)
神社
についての考察です。
平安時代初期
864年の「貞観大噴火」
>この噴火で埋没した剗の海の残片が現在の富士五湖のうちの2つ、西湖と精進湖であり、溶岩流の上に1100年の時を経て再生した森林地帯が青木ヶ原樹海である。
(Wikipediaより)
地形を大きく変えるほどの大噴火。
>西暦864年(貞観6年)は、日本の首都が平城京から長岡京を経た末に平安京に落ち着いてちょうど70年目にあたる年である。朝廷では清和天皇の外祖父・藤原良房が皇族以外で初の摂政に就任し、後の藤原北家繁栄の礎を築きつつあった。
(Wikipediaより)
>8月、朝廷では甲斐国司に対して浅間神社の神を奉じて鎮謝するよう命じている。しかし貞観7年(865年)年末の記録に「災異いまだ止まず」とあることから、この時期まで2年間に渡り、噴火活動が継続していたことが窺える。
勅命により祭祀が行われたのが、
この河口浅間神社の御創祀という謂れのようです。
この時の「神職」「禰宜」が、
大伴氏(渡来系)
です。
大鳥居をくぐって
すぐのところにある
波多志神
というお社も気になります。
波多志(はたし)神
秦氏?
を連想させます。
しかも、
「北麓(ほくろく)地方に伝わる
「徐福伝説」にもかかわる
小さなお社です。」
とのことです。
ますます興味深いです。
御祭神の
タクハタチチ姫命
やはり「天津神」
「ハタ」=機織り
の神様のようです。
しかし、境内には、
・諏訪(ミシャクジ信仰)
・出雲(国津神)
・七本杉(北辰信仰?)
そして、
縄文遺跡
「約4,000年前に、祭祀を執り行うために造られた縄文時代の建物の遺跡です。」
もある。
うっほ〜
もっと調べてちゃんと日記に残したいです。
今日は時間切れ〜
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